〜このブログを読んでもらう前に誤解のないように話しておくが、あくまでこれは自分の考えなので、一部の人を否定したり、非難したりしているわけではなく、自分にはただ興味がない、自分はそれをする気がない、自分はあまり好きではない、ということなので、どうぞご理解ください。〜
アボリジナル文化展vol.1開催まであと10日あまり。
ディジュリドゥをはじめて約19年。アーネムランドに初訪問したのが、13年前。
現在まで、この楽器を通じて、いろいろな人と交流し、いろんなイベントを開催し、いろいろな体験をさせてもらった。
その間、企画したいろいろなイベントや自分自身の体験を通じて、日本にアボリジナル文化が少なからず広まったと思っている。「あのイベントで人生観が変わりました」とか嬉しいご意見を頂くこともある。
しかし、正直なところ、2005年のジャルー来日公演を境に、ある程度やり尽くして、その頃から自分は何をすべきか、ずっと悩んでいる。
自分は、プレーヤーとしても活動をしているけど、決して演奏がめちゃくちゃ上手なわけではないことは理解している。もちろん自分の演奏が好きだったり、嫌いだったり、感じ方も人それぞれ。スタイルが違うから一概に順位を付けるのは好きではないし、自分は自分らしく演奏していけば良いと思っているけど、正直テクニックだけで言えば、自分ができない演奏スタイルのプレーヤーがずいぶん増えてきたなあ、とも思う。フェスで活躍するプレーヤー、ヨーロッパのプレーヤーに影響を受けたプレーヤー、独自の演奏スタイルを確立したプレーヤー、トラッドを追求したプレーヤーほんと10年前から比べたらディジュリドゥのスタイルも多様化したよね。ただ正直ほとんどの他のプレーヤーのスタイルに興味がない。自分はトラッドのテクニックを取り入れたいたってオーソドックスなスタイルだと思っているけど、真逆のプレーヤーもたくさんいるし、もっとトラッドサウンドを忠実に再現するプレーヤーもたくさんいる。
そんなプレーヤーが多様化している中で、自分はプレーヤーとしてどんな立ち位置にいればよいだろう、と考えてしまう。決して負け惜しみとかではないよ。ただディジュリドゥを演奏するだけのスタイルは違うんじゃないかな、と思う。
それからディジュリドゥの販売を生業としている立場についても疑問を感じている。ディジュリドゥが好き、要望があるから、頑張って新しい商品を入れる。ただプレーヤーのスタイルの多様化に応じて、楽器も多様化してきたよね。ユーカリ以外の素材で製作する人たちも増えてきた。その分ユーカリディジュリドゥの売り上げも減ってきたのも事実。じゃあ、自分はなぜ未だにオーストラリア産のユーカリにこだわっているんだろう、とも考える。昔、インドネシア産のチークディジュリドゥがアジア雑貨店に並んでいる頃には真っ向から否定をしてきたけど、今、ちまたで作られているユーカリ以外のディジュリドゥのクォリティは高くなってきてるよね。FRPとか違う素材の木だったり、ヘンプだったり。
でも、そいった他の素材のディジュリドゥにも全く興味がないのだ。
よく他の演奏者でもイダキを使っていたと思ったらいつの間にか他の素材のディジュを使っていたりするんだけど、自分がもしそうしたらとても違和感を感じてしまうのだ。(ちなみに言い訳をするわけではなけど、ディジュリボーンはディジュリドゥとは違う他の楽器としてとらえているので、プレーヤーとしては使っているけど。その基準もちょっと矛盾に感じるかもしれないね。自分でも矛盾に感じるところがある。)多様化すれば、ユーカリディジュリドゥの売り上げが減る。まあ、不景気も相まって、ディジュリドゥが売れなくなる。そうすると製作しているアボリジナルも製作意欲が減退していく。そしてクォリティが下がり、製作者も減少していくのが現状だ。実際、2000年前後にすばらしいイダキを製作していた多くのヨルングの職人さんが今は全く作らなくなってしまったし。ちなみに自分は製作することにも興味はない。製作するのは彼らの仕事であって自分の仕事ではないし、彼らの仕事を手伝うことに興味はあるけど、自分が最初から最後まで製作することには決して喜びを感じないのだ。
まあ、話を戻すと、仮に自分がディジュリドゥが好きなら、もっと他の素材のディジュもそろえて多様化すべきなのかもしれないし、むしろ逆にディマンドがなければ商売としてのディジュリドゥをやめてしまうべきとも考える。
ディジュリドゥを教えることは好きだ。
だから教則CDも作ったし、教室も続けている。
ただ、演奏方法だけを教えるスタイルには正直疑問を感じている。
トゥーツが綺麗に出るようになったから、それがどうなの?
トラッドの曲が上手くコピーできたとしてもそれがどうなの?
誰よりも速いテンポで演奏できたらそれがどうなの?
自分はそんなことを教えたいんだろうか?そんなことが習いたい人ばかりなら、自分は教える必要がないんじゃないか?とも考えることがある。
長くなったけど、今まで自分が続けてきたことやこれからも続けていくことに本当に疑問をもっている。
じゃあ、自分は何がしたいのか?
最近その答えにつながるヒントが見つかった。
自分は、ディジュリドゥが好きなのではなく、
ディジュリドゥから見える沢山の「景色」が好きなのだと。
そしてその見てきた景色を伝えていくことが自分の存在意義なのだと。
自分はディジュリドゥオタクでもなければ、研究者でもない。
自分の知識や情報のほとんどは今までの経験から成り立っている。
それは、曖昧だったりする情報もあれば、もしかしたら一般的に言われていることと真逆だったりすることもある。経験したことしか知らないからなのだ。ただ経験したことには説得力があるし、それが自分には「正解」なのだ。
北東アーネムランドに毎年通っているのは、決してディジュリドゥの演奏の向上のためじゃない。またただ単に仕入れをするためだけでもない。
経験をしたいからのだ。
ヨルングのファミリー達と過ごす他愛もない時間、あの場所に流れる風、木々の音色、におい、温度、日差し、すべてが自分の経験となっているのだと思う。
自分が体験したことを多くの人にも体験してもらいたいから、イベントを主催し、CDを製作し、教室も開いているんだと。
アボリジナル文化展はそんな自分がやるべきことができるひとつの舞台だと思う。自分が見てきたディジュリドゥの先にあるものを少しだけお見せすることができる場所だと思う。少なくともインターネットで得られる薄っぺらい世界では体験できないものを提供できるはずです。
そんな世界を見たい人は是非参加してほしい。多くの方に来てもらえば継続していく活力になるし、逆に盛り上がらなければ、もうやらないよ(笑)。
きっと多くのイダキファンは、イダキ奏者の来日を望んでいるだろう。
イダキ奏者じゃなくて、ヨルングの女性が来るだけならいかないよ、なんて思っている人はとても残念。ダンガルは、ヨルングの世界を外部の人に伝えるとても重要な役割を担っているすばらしい人。何気なく彼女が話す世界に何度も驚かされたこともあるし、沢山のことを教えてもらった。GALPUに伝わる話や、ジャルーたちが語ることをわかりやすく教えてくれるのも彼女の役割なのだと思う。
そのダンガルと日本で会えるのだから、是非彼女の話に耳を傾けてほしい。
沢山質問する必要はないし、そばにいて彼女の一挙手一投足を見ているだけも、沢山のことが経験できるよ。少なくとも自分は北東アーネムランドで彼女から教えてもらったことが一番多いのだ。
トークショーでは上手く通訳ができるかどうか自信はないし、予定していた話で進むか、も分からないけど彼女の言葉からアボリジナル文化の本当の魅力を感じてもらいたい。
文化展を開催した理由を少しだけ分かってもらえたかと思う。
長々と書いたけど、一言で言えば、
これはすげ〜ことなんだぜ!
ってことだ。(笑)
その都度形はいろいろだと思うけど、これからも文化展は続けていきたいし、自分の経験を語る場所は作っていきたいね。
彼らのすばらしい文化をうわべだけではなく、良い部分もそうでない部分もできるだけありのまま、自分が体験したままに伝えていきたい。
(だらだらと長い文章ですいません。最後までこんな個人的な話におつきあいいただきありがとうございました。)


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