2019/3/23

フェルミ国立加速器研究所  シカゴの美術館博物館



春ですね!



旦那さんが、以前から行きたいと言っていた「フェルミ国立加速器研究所」に行って来ました。
http://www.fnal.gov/
シカゴ大学にもエンリコ・フェルミ研究所があります。
The Enrico Fermi Institute
https://efi.uchicago.edu/

エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi、1901年9月29日 – 1954年11月28日)は、イタリア、ローマ出身の物理学者。統計力学、核物理学および量子力学の分野で顕著な業績を残しており、中性子による元素の人工転換の実験をして、多くの放射性同位元素を作り1938年のノーベル物理学賞を受賞している。フェルミに由来する用語は数多く、フェルミ推定のような方法論やフェルミのパラドックスといった問題、フェルミ粒子のような粒子の分類やフェルミウムといった元素名にその名を残している。他にも物理学の用語にフェルミに因むものが多く存在する。実験家と理論家との2つの顔を持ち、双方において世界最高レベルの業績を残した、史上稀に見る物理学者であった[3]。

マンハッタン計画
妻のラウラ・カポーネはユダヤ人であった。そのため、ベニート・ムッソリーニのファシスト政権下では迫害を受ける。1938年のノーベル賞授賞式出席のためイタリアを出国。ストックホルムで賞を受け取ったが、そのままアメリカに移住した。1939年、コロンビア大学の物理学教授となった。アメリカへの移住直後にフェルミは、オットー・ハーンがドイツで核分裂実験を成功させたと知る。

アメリカでは核分裂反応の研究に従事し、1942年、シカゴ大学で世界最初の原子炉「シカゴ・パイル1号」を完成させ、原子核分裂の連鎖反応の制御に史上初めて成功した。この原子炉は原子爆弾の材料となるプルトニウムを生産するために用いられた。アメリカ合衆国の原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画でも中心的な役割を演じ、1944年にロスアラモス国立研究所のアドバイザーとなった。

しかし、その後の水素爆弾の開発には倫理的な観点から反対をしている。第二次世界大戦後はシカゴ大学で宇宙線の研究を行った。1954年、癌により死去。死の床においても、点滴のしずくが落ちる間隔を測定し、流速を算出していたという。彼がイタリアで率いた同年代の研究仲間たち(ラガッツィ・ディ・ヴィア・パニスペルナ)は、後にアメリカやソビエトへ渡り、米ソの素粒子物理学の基礎を築いた。

エンリコ・フェルミにちなみ、原子番号100の元素はフェルミウム (Fermium)と命名されている。また、10のマイナス15乗メートルは1フェルミとされた。小惑星の一つもフェルミと名付けられた。
wikiより
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1階と15階に展示があります。
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高所恐怖症のAoiさん
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難しー。
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旦那さんだけがワクワクしていました。
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研究所の敷地内には、子供が学べるLederman Science CenterやBison牧場もあります。
https://ed.fnal.gov/lsc/ed_lsc_facts.shtml
湿地や池も多くて、魚釣りをしたり(巨大な鯉がいます。)、兄さんは念願のタガメらしきもの?を捕まえました!子供達は、お決まりの池ポチャ(汗)オタマジャクシ、小さな魚、ヤゴ、ゲンゴロウ、ザリガニ、などを沢山捕まえて、今、家で飼っています。誰がお世話するんだよー!!!
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