道路というものが、
今は交通の機能しか果たせなくなってしまっている。
人が往来する日々の暮らしの中で、
時間や場所、人に、余裕があった時代、
道路が十字に交差している所を辻と呼んでいたらしい。
辻芝居、辻相撲、辻芸、辻能、辻踊、辻酒盛、辻立ち、辻談義、
もちろん、辻取、辻強盗もあるから、辻番、辻固めなんかもあったらしい。
知らない人と行き交うそうした場所は、今、
本当にただ通り過ぎる場所だけになってしまっているのかもしれない。
自分のやることで精一杯で、周囲のことに気が向けられなくなってもいるのは確か。
それに、情報は道路なんかではなくて、こうしてネット上でいくらでも知ることが出来るわけだし。
自分たちのリアルな身体が、どう自然にさりげなく他の人と行き交えるか、
情報だけを行き交わせるのでなくて、生きている存在そのものとして、
生きるその主体として、どうこの地上に在りえるか、
こんなに便利になった東京にまだ路上で生きる人もいる今、考えさせられる。
