ここのお寺では月に3〜4件法事がある。昨日も
一件の法事があり、行って来た。
さて、法事の時には本尊の掛軸(十三佛等)を中央
に掛け、向かって左に不動尊、右に弘法大師の御影
の掛軸を掛けて拝む対象とする。また、そのほかに
四国八十八ヶ所の宝印を集めた物や西国観音霊場の
三十三ヵ所の宝印を集めた物を軸にして掛けている
場合がある。
昨日、法事をしたお宅でも八十八ヶ所の軸が掛けて
あった。法事の時にだけこの軸を掛けるのかどうか
聞かなかったが、今までの経験上、おそらく普段は
大切にしまっておき、法事の時にだけ出して飾るの
ではないかと思う。
昨日は時間がなかったので、八十八ヶ所の軸の扱い
についてレクチャーできなかったが、この軸を法事
の時にしか出さず、普段から供養をしていないこと
について、私はいつも、もったいないことであり、
また残念なことだと感じている。
何故なら、せっかく苦労して八十八ヶ所を回り、功
徳を修めた結果であるこの宝印の軸が単なる飾りと
してしかその用を果たされていないからである。
実はこういう聖物は、佛としての功徳がすでに円満
されている(その修行をした本人の功徳がこもって
もいる)ので、ちゃんと開眼してお祀りし、毎日朝夕、
灯明香華茶湯を供え、読経などして御法楽をあげて
祈願すれば、先祖供養はもちろんのこと家内安全・
家門繁栄等は約束されたようなものなのである。
その辺に売っている仏像などを買い求めて開眼し、
お祀りするよりはるかに効果が高いのである。
誠にその家の「家宝」とも言える代物なのである。
しかしながら、たくさんの人がこのようなお軸を
作っても開眼もせず、お祀りもしないで押入れの
片隅に片付けて、何年かに一度、法事などで飾ら
れるだけというのがほとんどだ。
…もったいなく、残念なことである。

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