以前書いた、「裸の王様」は依然として裸である
ことに気づいていないようである。私の言うこと
には聞く耳を持ってもらえないので、他の人から
言ってもらうようにお願いしても、どうもその
人たちは王様のとの旧交を思い、勇気がないよう
である。
これに関連して、昔子供の頃読んだ「猿神退治」
のお話を思い出し、ネットで調べてみたら、懐か
しいお話に行き着いた。もとは宇治拾遺物語あたり
からの話らしいが、こんな話である。
昔、ある流浪の旅人が山奥の村里に行きかかった
おり、村人から大変歓待を受け、娘の婿にとのぞ
まれた。その旅人はどうやら元侍のようであった
が、落ち着く先を探していたので、渡りに船と
その縁談を承諾し、村に居着くことになったので
あった。
平和で豊かな生活を享受しつつ、半年が過ぎ、
二人の間は親密度をまし、愛情は深まっていった。
さらにふた月もたった頃、どういうわけか妻の
様子がおかしい。元気がなく、夫に隠れては泣
いていた。
そこで、夫がそのわけを尋ねてみると、最初は
拒んで言わなかったのであるが、どうせ分かる
ことだからと、理由を話して聞かせてくれた。
「この里には恐ろしい氏神様がおられて、人身
御供を要求されるのです。毎年、どこかの家の
戸口に白羽の矢がたち、そこの娘が人身御供と
なるのです。人身御供にされた娘はその氏神様
に食べられてしまうの。その氏神様は猿のよう
な姿をしているらしいわ。」
「もし人身御供を出さなければ、嵐が来たり、
田畑が荒らされたり、疫病が流行ったりするの。
実は、今年の初めにうちに白羽の矢がたち、
本当は私が人身御供にされるはずだったわ。でも、
父が折りよくその身代わりとしてあなたを連れて
来たのです。」
「でも私は、あなたとこれほど深く情を交わした
上は、あなたに私の身代わりになっていただく
わけにはいきません。ですから、私が人身御供と
なろうと決心したのですが、どちらにしても、
あなたとお別れするのが辛くて泣いていたのです。」
これを聞いて夫は、「里人を守るはずの氏神が人身
御供を要求して、それを喰うとは。おかしな話じゃ。」
と考え、「いや、お前が人身御供になることはない。
私が行こう。」と言った。妻が思いとどまるようにと
説得したが、「大丈夫だから。私に考えがあるのだ。」
と言って、とうとう納得させたのであった。
いよいよ、人身御供を捧げる日がやってきた。村人は
夫を裸にして櫃に入れ、それに注連縄を張って、輿の
ようにして4人で担ぎ、山奥の祠(毎年指定の場所)へ
と運んで行った。ただ、その年の櫃の中に、よく研が
れた刀が一振り、隠されていたのは夫と妻以外誰も知
らなかった。
櫃が祠の前に置かれ、村人が去り、日が暮れてくると、
なにやらガサゴソと音がして、たくさんの気配が櫃を
取り囲んでいるのが感じられた。
その中の大きな気配が櫃を開けようとしたその時、
夫が飛び出して目を凝らすと、大きな黒い影が襲い
かかろうとしていたので、鞘を払わずその影を刀で
打ち付けると、「ぎゃ!」と叫んでその場に倒れた。
よく見るとそれは年を経た大猿であった。またその
周りに群れている黒い影どもも、大小の猿の群れで
あった。
そこで、夫はさらに2〜3匹を打ちのめし、刀の
鞘を払って注連縄を切ってそれらの猿どもを縛り
あげ、他の猿たちを睨みつけながら「次は斬るぞ!」
と脅した。そして、縛り上げた大猿たちを拳固で
打ちのめしつつ、里へと引いて行ったのである。
家来の猿どもは遠巻きにし、それについてやはり
里へ下りて行った。
死んだとばかり思っていた夫が、猿回しの猿の
ようにして大猿を縛り上げて引き連れてきたので、
村人たちはおおいに驚いた。
が、夫が「皆の衆、これは神様などではありま
せんぞ。牛や馬、犬や猫と同じ、ただの畜生じゃ。
都などではこれを猿丸といって芸を仕込んだり
して意のままに操ることもする。恐れることは
ないのじゃ。」と説明した。
そして、その大猿の頭を拳固でボカッと殴り、
「こら、村の衆にわびをいれぬか!」というと
猿は「ぎゃ!」と悲鳴を上げながら、涙を流し
つつ、頭を地面にこすり付けたのであった。
「また悪さをしたら、次は殺すぞ!」と脅し、
縄を解いて山へ返してやったのはその後の話
である。
これにより、里人たちはやっと目からうろこが
落ち、なんと自分たちは愚かであり、人身御供
として死んで行った娘たちにひどいことをして
しまったものだと、悔やんだことであった。
その後夫は、未だ恐怖感の去らない村人の為に、
猿の天敵である犬を飼うことを勧め、里には
犬がたくさん飼われて、猿の害はそれ以来無く
なったということである。
この話のポイントは、幻影に有りもしない力を
認めることの不幸と、それを勇気を持って改め
るべきだということであろう。また、その旧弊
を除くには、必ずその旧弊に染まっていない部
外者の勇気を待たなければならないということ
だ。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という有名な
言葉がある。人の世では、その権威や権力が、
果たして幻影であるか、本物であるかを見抜く
炯眼が必要となる。…ただ、幻影を信じている
人を目覚めさせるのは非常に難しい。

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