圓寂坊の現実!

今まで謎とされていた圓寂坊の
活動状況・思想・妄想・幻想…
そして告知事項などを書き綴るブログ

 
この記事にはコメントを投稿できません
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:圓寂坊
文字化けしてしまいました。

瀉呂気譴ソ → しゃびょうされた
投稿者:圓寂坊
>三人文殊さん

なるほど。佐伯氏は海運に携わっていた
のですか。ならば、餅は餅屋で密貿易の
ルートを使える可能性は出てきますね。
ただ、そうだとしても、細かい点で疑問が
生じてきますので、またお会いした時に
でも。

>大法螺窟さん

7年律を行じるというのは、具体的に何を
どうすることでしょう?不勉強なので教えて
ください。

恵果和尚の「遺産」とは?密教は瀉呂気譴
投稿者:大法螺窟
ナゾの7年・・隠れて修行していたとか、失そうした、などいろいろ言いますが、唐招提寺で受戒すれば、7年は律を行じなければならなかったようです。いまは受戒しても「戒律」は知りません。。恵果和尚の「遺産」も相続したのでしょうか?

http://hukumanji.blogspot.com
投稿者:三人文殊
>おぉ、三人文殊さん。コメント書き込み
>できたのですね。よかった〜。

なんとかうまく入りました

>>やはり、唐へ渡っていたと考えるほうが・・・

>昨夜の説ですね。新説ですので、小説でも
かけそうですね?! でも、当時海を越え
て大陸進出をはかるのは、大変難しかった
のではないかとも思います。国家プロ
ジェクトである遣唐使でさえ、困難な
渡航ですから。

そうでもないと思います。

遣唐使は何故か九州から東シナ海を突っ切る形で大陸を目指しています。

政治的な問題ですか?危ないのは当然です。

一方で、密貿易船は対馬から朝鮮半島を経由して唐へ向いました。

佐伯一族は瀬戸内海の海運で富を蓄えたと武内先生の説にはあります。大陸へのルートも無くは無かったと思います。

そう考えると、お大師さんの留学費用ですが、佐伯一族が出した可能性もあります。
もし、佐伯一族が外洋貿易を志向していたとしたら、一族の人間を公式の立場で唐へ派遣するというのは莫大な利益をもたらす可能性があります。

宮坂先生の説は真言僧としては捨てがたいところがありますが、ただ、お金に関する限り、南都の僧よりも、佐伯一族の可能性が大きくありませんか?
投稿者:圓寂坊
おぉ、三人文殊さん。コメント書き込み
できたのですね。よかった〜。

〉やはり、唐へ渡っていたと考えるほうが・・・

昨夜の説ですね。新説ですので、小説でも
かけそうですね?! でも、当時海を越え
て大陸進出をはかるのは、大変難しかった
のではないかとも思います。国家プロ
ジェクトである遣唐使でさえ、困難な
渡航ですから。

私は、お大師様はず〜っと求聞持法を
いろんな場所で修行しつつ、丹生一族と
コンタクトを持ち、それ(将来の財源)
との関係を深めていかれたのではないか
と考えております。
投稿者:三人文殊
拝見しました。

司馬遼太郎氏の「空海の風景」に対しては、私も違和感を感じていました。同感です。

北伝仏教では19歳で出家、十二年修行して30歳で成道というのはしりませんでした。

面白い説ですね!

結構な学者である宮坂師が大真面目でこのような説を唱えられることは真言家らしくていいですね!

ただ、それを基にするともう一つ謎が出てきます。
お大師さんはもし宗教家でなかったとしても、歴史に名を残しているというのは、真言僧の自慢ですが、そういう実利的な試みをどこで考えたか?

30歳までは出家以外の別の道をある程度別の道を歩んでしたと考えれば説明が付きますが、そうでなかったとしたら、思いつく理由がないように思います。

やはり、唐へ渡っていたと考えるほうが・・・

私はさまざまな分野で歴史に名を残した天才であるお大師さんが、ライフワークとして最も興味を持った分野が真言密教であったと思いたいですね。
1|2
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ