久々に、やまと天目山温泉に行ってきた。ここは、大菩薩峠への登り口になる上日川峠に至る道沿いにあるのだが、絶妙な温度の源泉が素晴らしい。すぐに眠くなってしまうので、「譲り合って長時間入らないでください」とわざわざ書いている。
温泉を出ると梅雨の雨。しかし、折角来たのだから、何か行く当てはないかなと、行ってみたのが天目山栖雲寺。貞和4(1348)年に業海本浄禅師によって開かれた臨済宗の寺院で、業海が修行した元(中国)の禅寺、天目山から名前を取っている。業海は、武田家から招かれてこの地に来たのだが、以来、武田家の信望が厚く、境内には武田信満の墓がある。
とは言っても、武田信玄と武田勝頼なら知っているが、信満とは何者か。調べてみると信満は、武田家の第13代当主で、室町幕府に都留での闘いに敗れてこの地(当時は木賊村の木賊山と呼ばれていた)で自害した。これが信満とその家臣の墓。
それからの歴史を知らなかったのだが、信満の自害により、武田家は一時断絶。その後復興し、戦国時代に信玄が出て隆盛を極めるが、織田信長に追われた第20台当主勝頼が木賊山山麓の田野村で自害する。勝頼を祀ったのが景徳院である。
景徳院には以前行ったことがある。過去の日記はこれだが、日付を見て驚いた。丁度1年位前のことだ。
http://wind.ap.teacup.com/applet/fujino/20090702/archive
木賊山はピークではなく峠で、現在は天目山と呼ばれることの方が多いようだが、何とも因縁なことに武田家が2回滅亡した地だったのである。
これが本堂。屋根には武田家の家紋、四つ割菱が。
さらに、驚くべき石碑が境内に。ここが、蕎麦切、つまりいわゆる蕎麦発祥の地ということになっているのだ。さらに、境内には小さな小学校まであったりして、大変な歴史と位置づけを背負っている場所である。
この寺は、石庭でも有名である。禅寺で石庭というので、竜安寺の様なものを想像してしまったが、そうではなく、2ヘクタール程の広大な土地に奇岩、巨岩が点在するというもので、僧の修行の場であったという。実際見てみると、これは凄い!の一言に尽きる。
これは入口付近。私の写真の腕前が下手なので、どうにも石庭の迫力を伝えることができない。申し訳ないのだが、興味を持たれた方は是非足を運んで頂きたい。
石庭には、県下最古の600年程前に彫られた磨崖仏が2体存在する。これは文殊菩薩。これが一番分かりやすい写真なのだが。。
仏教や歴史に感心のある人には是非訪れて欲しい寺である。

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