越志旅館の美味しい料理と手打ち蕎麦に舌鼓を打ち、翌日は朝早くから鳥の鳴き声で目が覚める。この近辺には40種類程の鳥がいるらしい。
越志旅館に別れを告げて、車で奥社参道入り口にある駐車場へ。中社を過ぎると、院坊旅館の街並みは消え、高原風景が広がる。
奥社への参道入り口にある大鳥居。
歩き出すと、すぐこの様な雪山風景となる。当然寒い。後で知ったのだが、冬の時期が終わり、奥社が開山(社殿の扉と授与所窓口が開く日)したのが4月21日。昨日やんけ。。
奥社までの小一時間の道のりの丁度中間にある随神門。神仏習合時代は仁王門であった。
ここを超えると、樹齢400年を超える杉並木が続いている。1612(慶長17)年に、江戸幕府より千石の朱印地を拝領した戸隠寺は、奥の院を中心に坊を集め、杉を植樹した。坊は、明治に入ってからの廃仏毀釈で全て移転し、杉並木のみが残っている。
奥社付近。
雪に埋もれている奥社。度々雪崩で倒壊し、昭和に入ってからも2度も倒壊。現在は、堅固な鉄筋コンクリート造となっている。
奥社から参道を振り返る。右手に見えるのが社務所。
戸隠の、元々の地主神を祀っている九頭龍社。
そして、戸隠をして聖地たらしめている核心的な存在とも言える戸隠山。天の岩戸が飛来したという伝承通り、細い岩壁のようである。写真では、畏怖の念を呼び起こす存在感を伝え切れなくて申し訳ないのだが、上部の鋸状になっているのが山の稜線である。戸隠山には修行窟が無数にあるようだが、修験の伝統が耐えてしまった今となっては、全容は解明できてない。現在は、登山をすることは出来る。核心部である蟻の塔渡りには、ナイフリッジと言って両側がスパッと切れ落ちた部分があり、幅50cmしかない。遭難、死亡事故も多い。
参詣を終えて、中社にあるうずら家で昼食。30分は待たされたが、蕎麦や天麩羅が極めて美味であった。今年は、廃仏毀釈で絶えてしまったのを復活させた、3年に1度の柱松神事が月に行われる。都合が許せばまた訪れてみたいと思っている。


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