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臼井六郎事件

仇討ちちゅ〜のをご存知ぢゃろぅと思うが・・・ 武士の時代には

親兄弟などを殺した者を 討ち取って恨みを晴らすことが 法的にも

可能ぢゃった 主に江戸時代武士階級で慣習として公認されていた


日本で最後の仇討ち事件は 明治6年仇討ち禁止令が施行されて

から7年後の明治13年に 臼井六郎が一瀬直久を殺傷した事件

なんぢゃ 以前TVで遺恨ありというタイトルで放送された

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秋に明治元年となる慶応4年 九州の秋月藩 執政臼井亘理は

大久保利通からも嘱望されるほどの開明派であった しかし

守旧派の反感を買い 国家老吉田悟助の命を受けた干城隊の

襲撃を受け 自宅で深夜に妻ともども残忍に殺害される

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藩の裁定は臼井殺害の犯人を罰せず かえって臼井家を罰する

不合理なもので 亘理の息子臼井六郎は周囲の反対にも

かかわらず 敵討ちの決意を固める 幼い六郎は剣の達人である

一瀬直久に敵うはずもない・・・・


その後明治政府の時代となり1873年2月 司法卿・江藤新平が

出した復讐禁止令により敵討ちは禁止された 武士は士族となり

廃刀令によって帯刀も認められず 自らの存在意義を見失おうと

していた殺伐とした時代になった

その後法務省の判事となっていた 父の仇一瀬直久の手がかりを

追うため六郎は上京する 殺害現場を目撃した下女のなかは

福岡県庁に給仕として入って情報を集め 六郎を影ながらに助けて

いた 

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東京では 一瀬の行方を探りながら 北辰一刀流の山岡鉄舟の

元で剣の腕を磨き 機会を窺っていた そんな折東京・三十間堀に

ある旧藩主・黒田長沖邸で 月に一度の旧秋月藩士を集めての

碁会に 一瀬直久もやってくる事を知る


当日六郎は 黒田邸を物陰から見張り 一瀬が館へ入るのを見ると

すかさず後を追い 階段を上りかけた一瀬に向かって親の敵

覚悟せい!と叫んだ 一瀬は最初ぎょっとした顔をしたが すぐ

ひるがえし階段を駆け上ろうとした そこで六郎は後を追い 

13年来の仇一瀬に向かって短刀を突き立てた

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引き抜いてはもう一度刺した それから頸動脈を切断して一瀬が

絶命したことを知ると 六郎はゆっくりと館を出る

騒ぎを聞きつけ二階の窓から 六郎を知っていた者が 

六郎何をしたのだ!と声を掛けた 六郎は邸内を騒がせ誠に申し

訳ない 多年の恨みを御邸で引き起こした事について 深くお詫び

申し上げると深々と一礼し 門前の人力車に乗って警察に出頭した


仇討は 旧幕府時代であれば美談としてもてはやされ 無罪放免

だが 仇討ち禁止令発布により当然六郎も罪人となり裁判の結果

死罪は免れたが終身禁固刑に処せられた 模範囚だった事もあり

世間での反感も多かった その後帝国憲法発布の祝典により 

罪一等を減ぜられ 明治24年獄中生活約10年で釈放される


今から133年前に実際起こった仇討ち事件ぢゃった

素・ナプキン氏に聞いたら 「よ〜覚えちょるよ 当時新聞が飛ぶ

ように売れたけぇのぅ ゎしも臼井六郎に同情したけぇのぅ」

さすが素・ナプキン氏 生き字引ぢゃのぅ


http://genesis-ot.jp/
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投稿者:監督
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