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Benito Amilcare Andrea Mussolini

1940年 ムッソリーニは イタリア王国をナチス・ドイツの側で

第二次世界大戦に参戦させた だが戦況はすぐに悪化 1943年

秋の時点で ムッソリーニは北イタリアに樹立された ドイツの傀儡

国家の指導者に身を落とし 南から進攻してくる連合国のみならず

国内のレジスタンス(パルチザン)の脅威にも直面

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1945年4月 連合国軍がドイツ軍の 北イタリアにおける最後の

防衛線を突破 パルチザンの一斉蜂起が各都市を席巻する中 

ムッソリーニの身にも危険が迫っていた 1945年4月25日

ムッソリーニは本拠としていたミラノを離れ スイスとの国境に

向かって逃走 そして4月27日ムッソリーニとその愛人クラーラ・

ペタッチは コモ湖畔のドンゴという町の近くで 地元のパルチザン

により逮捕

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ムッソリーニとペタッチは 翌日の午後に射殺 ムッソリーニの死は

アドルフ・ヒトラーの自殺の2日前の出来事だった

ムッソリーニとペタッチの死体は ミラノに運ばれ 郊外のロレート

広場に放置された 広場に詰め掛けた群衆は 怒りに任せて死体

を侮辱し 殴る蹴るの暴行を加えた その後死体は広場内の

ガソリンスタンドの桁から逆さに吊るされた ムッソリーニは墓標

無しで埋葬されたが 1946年にファシズム支持者によって死体は

掘り起こされ盗まれた 

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盗難から4ヶ月後 当局はムッソリーニの死体を取り戻し その後の

11年にわたって死体を秘密裏に保管していた 1957年

ムッソリーニの亡骸は 故郷プレダッピオにあるムッソリーニ家の

納骨堂に改めて埋葬 プレダッピオにあるムッソリーニの墓廟は

ネオ・ファシストにとっての「巡礼地」のひとつとなっており

ムッソリーニの命日にはネオ・ファシストの集会が開かれている

今から74年前の出来事である


http://www.genesis-ot.jp/
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投稿者:監督
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