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会式1号機

明治43年 徳川好敏大尉が飛行機操縦技術を習得するため 

フランスに派遣された 帰国後の12月19日 代々木練兵場にて

同じくドイツに派遣され帰国した 日野熊蔵陸軍歩兵大尉と共に

日本国内初の公式飛行に成功 明治44年4月1日 日本で

最初の飛行場が所沢に開設された

開設当初の所沢飛行場に在った飛行機は フランス製の

アンリ・ファルマン複葉機  ブレリオ単葉機 

ドイツ製ハンス・グラーデ単葉機  ライト型複葉機の全4機の

輸入機だけで 頻繁に練習が始まるとこの4機は酷使され 

すぐに飛行機が不足した このため1911年(明治44年)4月 

同研究会の事業として新しい飛行機が製作されることになった


前述の日本初飛行の公式記録を持つ フランス製1910年式

アンリ・ファルマン複葉機を参考に設計されたが ここまで同機を

何度も操縦していた徳川大尉によって 翼断面の形状・面積の

変更と 各部を流線形にして空気抵抗を減らすことなど 幾つかの

変更が加えられ 機体の強度と上昇力・速度の向上が図られる

こととなった 材料などは全て国内で調達されたものの 当時の

日本の工業水準はまだ低く 充分な加工機材も無かったため

製作は主に鋸等による手作業で進められた


製作は同1911年7月より 所沢飛行場の格納庫内で開始され

10月初め頃に完成、 同10月13日大尉自らの操縦により

テスト飛行が行われ 高度50mで 時速72km/h(最高高度は

85m)と良好な成績を記録し 操縦性もファルマン機より高く

評価された 設計・製作段階から徳川大尉の功績が大きかった

ため 当時一般には徳川式と呼ばれ その後は主に操縦訓練や

空中偵察の教育などの目的で使用された

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今から111年前の話である 日本初の会式一号機が出来てから

僅か27年後に陸軍では名機隼 最大速度 - 500km/h

上昇力 - 高度5,000mまで5分以内

行動半径 - 800km以上

運動性 - 九七戦と同等以上

武装 - 固定機関銃2挺

引込脚を採用

そして会式一号機が出来てから29年後 海軍は名機零銭を

作り上げた

二一型全長9m 全幅12m 空冷星型14気筒で離昇出力

940馬力 最大速度は時速533km 航続距離は3000km

武装20mm機銃2丁 7.7mm機銃2丁

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これが今尚日本人に脈々と受け継がれる能力である 海外には

全く存在しえない思考力 分かりやすく言ったら改善である

つまりすべての事柄に 進化・改良・効率などを求め実行する力

この改善こそ世界に通じる日本の基礎能力と言える

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パクルことしかないK国やC国とは大違い ハッキングで盗んだと

しても 基礎的な科学技術能力がないと 高品質の物は作れない

見た目だけで 盗んだ先の国とは形は似てても 能力自体が

異なる 民度の違いを理解したほうが良いんぢゃぁないだろぅか


http://www.genesis-ot.jp/
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投稿者:監督
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