2011年7月31日 日曜日
オンナというのは、オトコからすると理解しにくくわからないもので、特に髪型を変えたり化粧などされると人相すらわからなくなります。髪型と化粧でどうにでもなる(いや、実際にはどうにもならない女性もいるのですが)オンナは不思議です。
今まで気にしたことがありませんでしたが、アメリカでも日本でも電話の声を換える、ということを意識するオンナがいることにビックリ、です。人生には知らないことっていっぱいあるのですね。
〜〜NEWSポストセブン引用〜〜
http://www.news-postseven.com/archives/20110725_26582.html
日本女性に多い甲高い電話声 米国ではバカっぽいと思われる
おぐにあやこ氏は1966年大阪生まれ。元毎日新聞記者。夫の転勤を機に退社し、2007年夏より夫、小学生の息子と共にワシントンDC郊外に在住。著者に『ベイビーパッカーでいこう!』や週刊ポスト連載をまとめた『アメリカなう。』などがある。おぐに氏が、日本とアメリカにおける「電話の声」の違いについて解説する。
* * *
ちょっとした用事で、日本の不動産会社に国際電話したら、いきなり子供が電話口に出た。「はい、○○不動産でございます」。舌足らずな女の子だ。「おいおい、この会社、小学生に電話番させるの?」と仰天した。もっとも次の瞬間、自分の誤解に気付いたけどね。「日本の女性の『電話声』って、久しぶりだとこんなに幼く聞こえるんだ!」と。
次に、営業マンが電話口に出た。私は日本の家探しについて、矢継ぎ早に質問する。営業マンの対応が心なしか固く、取っ付きにくくなる。あれれ、何か変だ。私の口調って、妙に暗くて、不機嫌で、思い切り嫌なヤツっぽく聞こえてないか!? そこで、ようやく気付いたのだった。「私の声が低過ぎるんだ!」。アメリカ流にわざと低い声で話した結果、「この女、怒ってんのか?」と営業マンに誤解されたらしい。
アメリカの女性は、人前や電話で話す時、日本人女性のように、普段より高い、かわいらしい声を出したりしない。むしろ逆だ。わざと声を下げる。落ち着いた、深い声ほど、有能で魅力的な印象を相手に与えられる、と考えられているからだ。
アメリカじゃ、キンキンした甲高い声は子供のうちだけ。高校生にもなると外見だけでなく、声もずっと大人っぽくなる。女性の政治家やアナウンサーの声も軒並み低い。職場や学校でのプレゼンなんかも、日本の「電話声」でやるのはNG。甲高くてかわいらしい声は、軽率でバカっぽく聞こえるんだって。
だからだろう。日本人女性はアメリカに来ると、かわいい「電話声」を封印する。「ママの声って日本人相手の時だけ甲高くなるね〜」と子供に指摘された駐在妻も。アメリカ生まれのバイリンガルの娘さんでさえ「英語をしゃべる時は低い声、日本語の時は高い声に、自然と変わっちゃう」というから面白い。
「日本人女性の声はなぜ甲高いのか」は、アメリカ人の間でも話題になる。ネット上の論争をのぞいてみると、「アニメだけじゃなく、生身の女性も声が高いよな」「日本語と英語の言語の特性の差だろ」「遺伝的傾向?」「でも、クロサワ映画の中の女性は、甲高いアニメ声で話さないぜ」「アメリカの女みたいに、男と対等に張り合おうとしてないからじゃないか」なーんて感じだ。
※週刊ポスト2011年8月5日号
(「ニッポン あ・ちゃ・ちゃ」第154回より抜粋)
〜〜引用終わり〜〜
女性の声は高音で甲高く、男性の声は低温で響く、というのは常識だと思いますが。女性の甲高い声を「アニメ声」っていうわけですか、勉強になりました。
音楽の世界では、高い〜低いの順番に、女性はソプラノ・メゾソプラノ・アルト、男性はテノール・バリトン・バスとパートが決められています(声の高さだけではないようですが)。
日常生活のなかでも、低音の魅力がある声、感じがいい声、気持ちのいい声というのを感じることがあります。だからあのヒトの声が好きとか、嫌いというのは当然あります。
わたし自身はあまり気にしたことはありませんが、あのヒトの性格はいいが声が嫌い、ということもあるわけです。
でも、声というのはコロッケの演技のようには変えられないわけで、好きとか嫌いとか言われても困ります。
わたしにとっては声よりも喋り方が気になることのほうが圧倒的に多い。また、自分の喋り方を気にしているヒトも多いようです。イントネーションやアクセント、発音・言葉使いなどです。
標準語で話をしているつもりのわたしですが、東京の方からは「名古屋ですね」と言われます。東京の標準語と名古屋の標準語はアクセントが違うらしい、です。とはいえ、わたしは方言大好き派です。
さて、
わたしが気になる話し方のなかに口癖があります。多分気付かずに使っているのですが、それが実は自分の口癖であり、他人とのコミュニケーションを左右している場合が多いのです。
わたしたちは、改めて学校の授業のなかでどう挨拶するか、他人との間でどうコミュニケーションをするか、ということを教えられていません。「挨拶をしましょう」「目を見て話しましょう」「優しくしましょう」といっても、どうすればそうなるのかはわからない、すべて家庭任せにされています。
挨拶をすること、目を見て会話をすること、優しくすることが行われている家庭なら「どうすればいいか」がわかるかもしれませんが、そうでない家庭ではわからない、そういう家庭で自然成長的に放置された状態でたとえば企業に就職したときに思わぬバッシングに遭遇することになるわけです。
「どんな家庭で育ったんだ」と。
そうではなくても無くて七癖、自分の育った家庭では気にしなかったことが外では気にしなければならないこと、があります。
お客様で会話の途中で必ず「イヤ、そうじゃなくて」という、合いの手というか、この言葉を接頭語のように使うヒトがいます。そして続く話の内容は、わたしの発言と同じ意味だったりします。つまり「イヤ、そうじゃなくて」というのはこのお客様の口癖なのです。
長年付き合えば口癖だとわかりますが、初対面ではそうもいきません。「イヤ、そうじゃなくて」という言葉を聞いたとき自分の言うこと又は自分を否定された、と感じるヒトもいるのではないでしょうか。
そして、自分を否定するヒトには本当のことを話しません。そしてこういうヒトは苦手だ、ということでコミュニケーションを取らなくなります。コミュニケーションが苦手だと思っている方は、自分の口癖が相手に対して不躾になっている場合もあるので注意して自分自身を観察してみてはいかがでしょうか。発見があるかも知れません。
アニメ声から脱線しましたが、わたしはアニメ声が嫌いではありません。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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