「サーキット場化した日本の道路、交通事故加害者は事故を起こしたくて事故を起こす」
社会のできごと
2012年3月20日 火曜日 春分の日(彼岸のお中日)
交通事故には自分で事故を起こす加害者類型と、加害者による事故に巻き込まれ死傷する被害者類型と2種類あります。
加害者が自損で死傷するのは自業自得ですから仕方ありません。事故を起こしたいわけなのでしょうがない。スピード超過で制御できない状況を作り、または、飲酒をして判断力や行動力が麻痺している状況で運転し、不必要な車線変更を繰り返し、その他必要な注意をしていれば避けられるはずのところ注意力を欠いて全体の状況が判断できない状態で運転をしたり、等々です。
〜〜YAHOOニュース3月19日引用〜〜
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120319-00000971-yom-soci
3人死傷のコンテナ横転事故、元運転手を起訴 読売新聞 3月19日(月)20時58分配信
名古屋市港区で2009年5月、大型トレーラーのコンテナが横転し、下敷きになった乗用車の3人が死傷した事故で、名古屋地検は19日、三重県桑名市、元運転手田川延郎容疑者(62)を自動車運転過失致死傷罪で名古屋地裁に在宅起訴した。
起訴状などでは、田川容疑者は09年5月13日午前11時40分頃、事故現場のS字カーブを約48キロで走行した際、荷台のコンテナを横転させて隣の車線の乗用車を押しつぶし、運転していた名古屋市の小島幸子さん(当時41歳)と母親の梅津つぎ江さん(当時64歳)を死亡させ、小島さんの妹の今泉京子さん(42)に重傷を負わせたとしている。
トレーラーは荷台とコンテナとを固定する4か所の留め具のうち、前方の2か所がロックされておらず、地検はコンテナを確実に固定する義務を怠ったと判断。また、制限速度(60キロ)以下だったが、ロックをせずにカーブを通る際の速度としては出し過ぎだったとし、「速度を適切に調整する義務も怠った」としている。
関係者によると、田川容疑者はこれまでの調べに「ロックしたつもりだった」と供述していたが、地検は起訴事実に対する認否は明らかにしなかった。
一方、トレーラーを無許可で通行させたとして、愛知県警が09年8月に書類送検した道路法違反事件については、田川容疑者らを不起訴とした。
小島さんの夫の歳之さん(49)は在宅起訴を受け、「これで妻も少しは報われる」と話す一方、「ロックと速度が原因という話は当初から出ていた。もっと早く結論が出せたのでは」と、事故から2年10か月余りかかった捜査に不満をにじませた。地検は「横転原因を精密に分析するのに時間がかかった」としている。 .最終更新:3月19日(月)20時58分
〜〜引用終わり〜〜
「素人よりプロの方が質が悪い」とは自動車運転全般に言えることです。医師や弁護士が素人より質が落ちることは許されないが自動車運転ではそれが許される不思議。
プロ運転手が自分の経験から法律には規定されてなくても必要な細心の状況判断を行うことは当たり前のこと、普通のことです。事故を起こさない、安全に荷物をお客様のところへ届ける、これは最低限のプロ運転手の義務でしょう。道路の状況、天気情報、自車の積載物の状況、これらを総合的に判断することは職業上の義務です。
たとえばコンテナ(2.6メートル)を積載していれば荷高が普通のトラックより高くなるために重心が高くなり、したがって、カーブは当然気をつけなければならないことは体験的に知っているでしょう。またトラック運転手の間でコンテナの前部のロックを2本かけないことが「横転を防ぐ知恵」だとの情報が口コミで広がっていたらしいのですが、法律で要求されていることをしないことはイザとなったときに自分を不利にする、という想像力が欠如しています。そもそもコンテナという輸送手段はアメリカのまっすぐな道路を走る経済合理主義の発明品です。道路事情の異なる日本でそのまま使うにはムリがあるのですが。
しかし多くのトラックや産業廃棄物運搬ダンプの運転や車お宅の改造マフラー車を見ていると、とてもそのような状況を見て走行しているとは思えません。道路はサーキット場であり、遊園地のゴーカート競争場です。
自分がよければ、自分さえ早く行ければ、という横着運転があまりにも多すぎます。
日本のこれまでの道路交通行政は、運転者自身が危ないから「スピードを落とせ」、「シートベルトを締めろ」などに代表されるように、あくまでも運転者自身を基準にしたものです。だから、スピード違反その他で検挙されれば「なんでオレだけやるんだよ、ほかにもいっぱい違反しているヤツいるじゃん」となるし、飲酒運転で検挙されれば「オレは飲酒していてもまともに運転できる」、これらはたまたま捕まったのは「運が悪かった」で済ましてきました。その他の検挙も同じです。
この道路交通行政には「他者を守る運転をすることが自分を守ること」、という観点がまるでありません。自分中心にしか考えられない取り締まりをずっと行ってきています。40年も前、自動車があまり一般的ではなかった頃には「酒飲んで酔っぱらっていたのだから死亡事故を起こしてもしょうがないね」で許された時代の名残です。えっ!と驚かれるかもしれませんが本当です。
しかし、自動車の道路交通には歩く場合よりも何十倍もの注意義務が必要となります。常に周囲というか他者を意識しなければならない義務があります。加害したときに相手が失うものが生命や身体の一部、取り返しがつかないからです。歩行者同士の衝突ではそこまでの事故はありえません。
そうであるにも拘わらず、道路交通行政は未だに自分中心、「運転しているあなたが危ないからスピードを落としてね」から出ていません。加害事故を起こして死ぬのは自分の勝手、自損事故だけなら、自業自得です。しかし、多くの交通事故には被害者がいます。
日本の道路や自動車などのハードと運行方法などソフト全体のあり方を根本的に他者への安全配慮に切り替えるべきではないか、と思います。とにかくサーキット場化した日本の道路は危険が山盛りです。改造マフラーなども事実上野放しで道路沿線住民の苦痛を与えています(国道2号線騒音訴訟、名古屋市南部公害訴訟)。
日本では信号が多すぎ、交差点で青側道路の通行が1台もない場合でも赤信号であれば止まらなければならない、そのことが逆に青信号であれば他者を意識することなく進んでいくために緊張感を生みません。
ラウンド・アバウト方式とすればお互いに譲り合うという精神や歩行者が優先するという精神が育まれると思うのですが、新車を買うと神社にお払いに行って車を宝物のように扱う日本ではムリかもしれません。
加害類型の交通事故については厳罰化が必要だし、道路交通行政そのものの変換が必要だと思います。国道交通省も、環境省も不作為です。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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