「どうしても咲けない時には無理に咲かなくていい、その代わりに根を下へ下へと張るのです」
わたしのこと
2012年11月8日 木曜日
わたしはふまじめな仏教徒なので宗教のことには詳しくありません。ただただご先祖さまに手を合わせて罰だけは当てないようにと(まあ、先祖が子孫に罰を当てるなどということをするわけがありませんが)祈るのみです。
仏教界のヒットソングといわれる般若心経も覚えていませんし、その他のお経についてはなおさらです。いや、むしろ子供の頃「ギャーテーギャーテーハーラーギャーテー」で腹を抱えて笑い転げたくちです(恥)。
死はまだ見えませんが、笑い転げた頃と比較すればマシになっています。
〜〜NEWポストセブン引用〜〜
http://www.news-postseven.com/archives/20121108_153867.html
シスターになろうと思った理由 「神に呼ばれた」「招かれた」 2012.11.08 16:00
ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんが、修道女として学んだことをまとめた『置かれた場所で咲きなさい』が70万部を超えるベストセラーとなっている。謎に包まれているイメージのある修道女だが、いったいどんな生活を送るのだろうか。
日本のキリスト教信者は人口の1〜2%と少ない。その信者たちの中でも、非常に信仰に厚い女性たちが目指すのが修道女。キリスト教徒は洗礼(入信の儀礼)を受けて信者となり、毎週日曜日のミサ(礼拝)などに通うが、修道女たちはもっと厳格だ。宗教学者の島田裕巳さんが解説する。
「修道女は、いわば人生そのものが信仰の道。修道女になると、基本的に、教会に隣接する修道院などで暮らし、一生涯をそこで過ごすことになります。恋愛や結婚も禁止。これは、神様に『清貧』(=自分のものを持たず、貧しくとも清く、神様だけを頼って生きる)、『貞潔』(=神様と人々のために、一生独身で奉仕する)、『従順』(=修道院の上長をとおして神様の望みを知り、生きる)という3つの誓いを立てるからです」
この誓いは、「キリストとの結婚」ともいわれ、そのシンボルとして指輪やロザリオを渡す修道院もあるという。
女性向けの修道院を持つ修道会は、日本全国に約100あり、外国人を含めて約5500人が暮らす。なぜ、彼女たちは一般の信者では満足せず、修道女になることを選んだのか。自らも洗礼を受けたクリスチャンで、修道女たちへのインタビュー取材をしている、ライターの渡辺麻実さんはこう語る。
「皆さんに『なぜシスターになろうと思ったのですか?』と質問しますと、必ず『神に呼ばれた』『神様に招かれた』と、おっしゃいます。お祈りしている最中に、神様の声が聞こえて、召出される(=呼び出される)神秘的な体験があったといいます。それが、神様に選ばれたことの証で、一生修道女でいようと確信する瞬間なのだそうです」
渡辺麻美さんによると、修道女たちの多くに共通点が見られるという。両親が敬虔なクリスチャンだったり、あるいは、仏教徒でも信心深く、宗教への精神的な壁がない人が多いという。
※女性セブン2012年11月22日号
〜〜引用終わり〜〜
アダルトビデオの題名に「修道女の〜」というのがよくあります。修道女が性とは無縁だというアイロニービデオなのでしょうが、修道女というキーワードでこのページにアクセスした方には残念ですが、この日記にはそういうエロ系の修道女に関する情報はありません。
わたしは一度だけ女子修道女だけの修道教会に足を踏み入れたことがあります。修道女の方にお会いして話しを聞かせていただきました。貴重なお話でした。
しかし、大多数の方は修道女がどのような生活をしておられるか知りません。わたしも知りません。でも、修道女の精神構造はこうなっているのか、と考えさせられる記事です。
「キリストと結婚しているから」とはよく言われます。修道女だけでなくカトリックの神父様ももちろんキリストと結婚しているので独身です。なのでバチカンにはオトコとオトコの関係がうわさされる神父様がいます。
では、イヤになったら足抜けできるのか(?)
結婚することを理由に神父や修道女をやめることはあるそうです。信仰ちゅうに神の啓示を得て神に仕えようと決断したのと同様に、オトコ又はオンナが恋愛感情に目覚めるということはあるように思います。
冗談はさておき、わたしも渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を読みました。キリスト者らしい精神世界を説いていらっしゃいます。
〜〜置かれた場所で咲きなさい114ページ〜〜
「老いは人間をより個性的にするチャンス」
老いは悲しいことばかりではありません。それなりの恵みがあります。持ち時間も体力も、気力さえも確実に減ってゆくのだとすれば、いこい何もかもでなく、本当に大切なこと、必要なことを選んでするようになります。老いは人間をより個性的にするチャンスなのです。人間関係にしても、徐々に量から質へと変わってゆきます。
〜〜引用終わり〜〜
このような言葉で語られると理屈なく納得できるような気がします。
最後までお読みいただきありがとうございます。

0