2013年8月7日 水曜日
朝鮮人の従軍慰安婦の「強制連行」やら日本企業の「強制労働」やら、北朝鮮を含めて朝鮮半島の人たちのビジネスというか対人関係はヤクザ体質そのもの、といえます。
他人を脅す、ゴネる、開き直る、の3つです。従軍慰安婦の調達がどのように行われたのか、まず慰安婦の調達は軍隊なのか民間の売春事業者なのか、その方法は強制力の行使があったのかなかったのか、ということです。
(脅す)
韓国人 「オマエら日本人は朝鮮人を性奴隷として扱ったのだからカネ払わんかい!」
↓
日本人 「高給に応募してきただけで国も軍隊も関係ありません」
(ゴネる)
韓国人 「従軍慰安婦像」を設置して各地でウソの体験談を講演するようになる
↓
日本人 「世界中の日本人が韓国の言うことはウソ、だといい始める
さて、次はどうなるか(?)といえば開き直ることです。
韓国人 「ゴチャゴチャぬかさんと韓国人が強制的に売春させられたというんやから払うもん払えや!!」
↓
日本人 「観光目的で入国した韓国人売春婦を5000人ほど強制送還しましたが日本人が売春を強制したものでしょうか?、売春を手引きしていたのも韓国人ですが」
さて、
戦時中従軍慰安婦だったという韓国人「経験者」たちは軍隊によって強制的に連行され意に反して売春をさせられた、と主張しています。
日本での多くの人たちは、民間の売春事業者が営利を目的に募集し応募してきた人たちが従軍慰安婦であると理解しています。
親が子供を花街に行くことがわかっていて泣く泣く手放す、というのはかつてはどこの農村でも見られたことです。特に明治の大飢饉や昭和恐慌後の恐慌により、東北の農村からはたくさんの女性が売られていきました。
1929年昭和大恐慌の世界的な不況で都会から帰農する人口が増え、さらに大飢饉が重なり家族が破綻するということで口減らしとして若い女性が花街に売られていきます。1936年(昭和11年)の2・26事件は青年将校たちの故郷の幼なじみが売春婦として売られていくことに耐えきれずに行われたクーデターでもあります。
日本ではこのようなことは「人買い」によって当たり前に行われてきたのです。
〜〜YAHOOニュース8月7日引用〜〜
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130807-00000007-mai-soci
<慰安所>朝鮮人男性従業員の日記発見 ビルマなどでつづる
毎日新聞 8月7日(水)7時0分配信
昭南博物館のスタンプが押された日記(画像省略)
【ソウル澤田克己、大貫智子】第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で働き、その様子をつづった朝鮮人男性の日記が、韓国で見つかった。男性は、1942年に釜山港を出発した「第4次慰安団」に参加し、44年末に朝鮮へ戻った。慰安所従業員の日記の発見は、日韓で初めて。旧日本軍による従軍慰安婦問題では、数十年たってからの証言が多いが、現場にいた第三者による記録は、冷静な議論をする上で貴重な資料と言える。
【慰安所従業員日記発見】慰安婦の日常、淡々と 募集の時期は欠落
朝鮮近代経済史が専門で、慰安婦問題にも詳しい安秉直(アンビョンジク)ソウル大名誉教授が見つけた。約10年前にソウル近郊の博物館が古書店で日記などの資料を入手。これを安名誉教授が最近精査し分かった。堀和生京大教授と木村幹神戸大教授が、日本語訳の作成を進めている。
日記は、朝鮮半島南東部・慶尚南道(キョンサンナムド)出身の男性が、ビルマとシンガポールの慰安所で働いた43、44年に記した。漢字やカタカナ、ハングルで書かれている。
男性は05年生まれで79年に死去。22年から57年までの日記が残る。ただ、朝鮮で慰安婦募集に携わった可能性のある42年を含む8年分は、見つからなかった。
男性は、43年7月10日に「昨年の今日、釜山埠頭(ふとう)で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した」と記述。44年4月6日には「一昨年に慰安隊が釜山から出発した時、第4次慰安団の団長として来た津村氏が(市場で)働いていた」と書いた。
ビルマで捕らえた慰安所経営者を米軍人が尋問し45年11月に作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。釜山出港の日付が一致し、日記の正確性を裏付ける。
安名誉教授は「米軍の記録が第4次慰安団を指すのは確実だ。慰安団の存在は、組織的な戦時動員の一環として慰安婦が集められたことを示している」と指摘する。ただ、安名誉教授は、韓国で一般的な「軍や警察による強制連行があった」という意見に対しては、「朝鮮では募集を業者が行い、軍が強制連行する必要は基本的になかったはずだ」との見方を示した。
また、日記には「航空隊所属の慰安所2カ所が兵站(へいたん)管理に委譲された」(43年7月19日)、「夫婦生活をするために(慰安所を)出た春代、弘子は、兵站の命令で再び慰安婦として金泉館に戻ることになったという」(同29日)などと、慰安所や慰安婦と軍の関係が記されている。
一方、「鉄道部隊で映画(上映)があるといって、慰安婦たちが見物に行ってきた」(43年8月13日)、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して、中央郵便局から送った」(44年10月27日)など、日常生活の一端がうかがえる内容もあった。
◇従軍慰安婦問題
第二次大戦中に日本が支配した植民地や占領地などから女性が慰安所に集められ、日本の将兵から性的被害を受けたとされる問題。1990年に韓国の女性団体が日韓両国に真相解明や謝罪、補償を求めたのをきっかけに社会問題化した。日本政府は93年8月、慰安所設置や慰安婦移送に旧日本軍が直接、間接に関与したことを認め、「軍の関与の下に女性の名誉と尊厳を傷つけた」と謝罪する「河野談話」を発表した。ただ、女性の連行段階での軍の関わりについては、第1次安倍内閣当時の07年、「政府が発見した資料には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」という答弁書が閣議決定された。
〜〜引用終わり〜〜
この記事の「慰安所経営者を尋問し作成した調査報告書には、42年7月10日に慰安婦703人と業者約90人が釜山港を出港したとの記録がある。」との部分は業者の介入が明らかであるし、「慰安婦に頼まれた送金600円を本人の貯金から引き出して送った」というのも奴隷ではないことを明らかにするものだと判断します。
当時の600円は今の貨幣価値では約1000倍の60万円にも当たります。ハガキ一枚の郵便料金が当時は5銭、今は50円、1000倍です。
自分の意思に反して強制的に連行された「従軍慰安婦」が映画を楽しみ、これだけのカネを送金できる(多分家族宛)ということは性的奴隷ではありません。対価を得た労働です。
自称「従軍慰安婦」は家族の同意のもと慰安婦募集の人買いに売られたにすぎません。
私は、自称「従軍慰安婦」たちが、軍隊に強制連行されて売春をさせられたというなら、その一つ一つの事例を帰納的に検証しなければならない、と考えていますので、今回の日記がその実証に役立つことを願っています。
ただ、東京新橋、大阪西成の売春婦街を機動隊のローラー作戦で外側から徐々に狭めていけば観光目的で入国しアルバイシュンで稼いで90日以内に韓国に帰国し、すぐに日本に入国する目的外滞在の韓国人を何千人と強制送還できるでしょう。東京都の石原慎太郎前知事、そして猪瀬直樹知事、大阪の橋下徹市長はなぜそれをしないのか不思議です。
韓国人売春婦何千人かを強制送還すれば諸外国の間違った「性奴隷」の認識を是正することに多いに役立つはずなのですが。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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