2013年8月19日 月曜日
さあ、今日から年末まで頑張るぞ!!今年も残り4カ月と10日しかないのだから、ゴールが見えてきました。
50歳を過ぎてジジイになってからというもの、3年ごとの区切りでものごとを考えるようにしています。1年では困難というチャレンジもありますし、2年あれば十分という課題も3年あれば余裕でできます。
たとえば、「アメリカ社会を知る」ということは書籍を20冊ほど読めば大体のことは理解できると思います。英語が不自由なのですがそれも含めても3年あれば十分です。
こうして考えると1つのチャレンジに3年とはいえ残りの人生でたくさんのことができないことに気づきます。そうして人生の限界を知っておくのも必要なことです。
人間には中学生くらいの若い頃には万能感があって何でもできそうに思うのですが、高校へ進学し、大学へ入り、就職するころには万能感はきれいになくなっています。自分の力の限界を体験とともに正確に認識できるからです。
たとえば、野球選手やサッカー選手になりたい、という少年の夢は真剣にやってきたとしても遅くとも高校卒業のころには実現不可能だということがわかりますし、医師になりたいという夢も大学進学で諦めざるをえないことを自覚する人が多いでしょう。
ところが、こうして万能感を捨てて働いている(働いてきた)50歳を過ぎたジジイは人生の最後である「死」に向かっていくことの覚悟はできていません。定年退職してもきっとできていないと思います。まだまだ老後を楽しむ時間があるとなんとなく思っている。
つまり誰もが抽象的には自分の「死」を考えていますが、「死」に直面しなければ具体的な「死」への覚悟はできないものです。
それは、病気で死ぬとか、事故で死ぬとは考えず、何が原因で死ぬかわからないけれど自然に死んでいくものだとイメージしているに過ぎません。仮に親がガンで亡くなったのだから自分もガンで死ぬかもしれないとは思ってもそれ以上手術したり入院している自分を想像できません。その先にある死も当たり前に想像できません。
でも、50歳を過ぎれば漠然としか思っていない「死」を避けて通れないものだと自覚する必要があります。「死」を考えない、というのはある種の万能感(?)です。そのためにはわたしの場合には3年ごとのチャレンジの課題を作っています。
そうすると、たとえば50歳の人なら80歳まで生きるとして残りは30年、3年ごとに一つ一つ達成できても10個の課題しか人生のなかには残りません。
60歳なら6個、65歳なら5個です。
人生におけるライフワークというものもあります。それも一つのテーマを3年ごとに区切りをつけて考えれば最後に自分がどこまで到達できるか、ということの目標は見えます。
こうして目標に向かって何事かを為すことが自分の人生を豊かなものにすることになります。そしてできれば、ライフワークに子子孫孫に日本の伝統や文化を繋げていくということを加えてほしいと思います。
お盆の機会にご先祖さまとのココロの対話をしました。そしてご先祖様があって私がこの時間に生かされている、ご先祖様が何をおいても助けて下さる、そう思えば、下の世代に残すことができるのは日本の伝統や文化を繋げていくことは私たちの義務でもあります。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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