2014年1月1日 水曜日
新年おめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
アジアでは正月、ヨーロッパではクリスマスが、家族との団欒の一番の機会ですが、新しい年2014年が始まりました。年が改まり何かが変わるということではありませんが、けじめを大事にする日本人の習慣です。
そして、変わらなきゃいけない、という観念をそろそろ捨てる時期だと思っています。
バブル崩壊後、日本の社会は大きく変わりました。今、概観してみるとフリー・フェア・グローバルのスローガンの下、まずカネが規制されることなく世界中を移動するようになり、カネにしたがってヒトとモノが動くようになっています。
さすがにヒトとモノは規制なく自由に移動するということはありませんが、モノについては例えばTPP交渉によって関税撤廃という形で移動の自由が求められていますし、モノのうちサービスについてはヒトの移動の自由が当然派生します。サービスというのは本質的にヒトが提供するものだからです。
バブル崩壊後、イチロー選手が「変わらなきゃ」と言う、ニッサンのCMがありました。ちょうど規制緩和の始まる時期だったと思います。バブルに浮かれた後の不景気、自分たちが変わらなきゃいけない、ってことで私も真剣にそう思っていました。
つまりバブル崩壊後は、ヒト・モノ・カネの自由な移動に向かって「変わる」ことを目標にしてきた社会でした。
その結果変わったものは(?)、非正規雇用の増加、可処分所得の減少、デフレによる貨幣価値の増大、企業会計原則の変更、バカものやアホどもの増加、等は見える変化です。これらは独立したテーマとして個別に考えなければいけない論点ですが、大きくとらえれば、これらの変化に通底するのはフリー・フェア・グローバルの結果だということに気がつきます。
さて、
最近、日本国や日本人にとっては変わらないことこそが必要だと思うようになりました。人間にとっては変わってもらっては困るものがあります。それが日本の文化であり、伝統です。
よく外国に行くと日本の良さがわかるといいますが、そういう面もあるし、逆に外国の良さもわかります。ただ、私は日本人ですから日本の良さを残して時代に合わなくなったものを少しずつ変えていくという保守の考え方がマッチしています。
たとえば、鉄道やバスの定時運行は日本は諸外国にない正確なシステムがありますが、その他については、「変わらない国」にこそ魅力を感じます。「ヨーロッパ中世の街並み」に日本人が憧れるのは「変わらないこと」に価値を認めているからです。
日本人は自分や自分たちが持っている価値について積極的に評価することが得意ではありません。むしろ否定的に捉える傾向があります。
たとえば、「田舎」。日本では田舎=都会ではない=何もない、というステレオタイプで語られることが多いためか、田舎に住む方自身が「田舎には良いところは何もない」という思い込みをしています。
しかし、田や畑、山や川や海のある田舎の風景、さらに、そこに住んでみれば、新鮮な農作物・魚貝は当たり前であり、冷たい湧水はそのまま飲んでもおいしさを感じる、これらは何ものにも代え難い人間のココロを落ち着かせてくれる環境です。
この人間サイズの豊かな環境こそが田舎の貴重な資源です。
他人の悪いところ、自分の治したいところは、よく見えるのに、他人の良いところ、自分の良いところをあまり自覚していないことも日本人の特徴です。
自分のこれまでの人生のなかで、今の自分を形成したと思える経験について語ってください、と、就職面接で質問すれば、多くの人たちが、言葉に窮するのです。「大学のサークルでイベントを企画して云々・・」などと定番の軽薄・面白味のない回答をする新卒学生さんもいます。
なぜ、言葉に窮するのか、軽薄な回答をするのか、といえば、今の自分を肯定的に捉えていないか、過去の自分の経験を肯定的に捉えていないか、どちらかです。
わたしの場合には、浪人生活をしたことと、イタリアに行ったことが、現在の自分の骨格を作ってくれたと考えています。
浪人生活で目的の結果が得られたわけではないし、イタリアに行き現在につながる語学や文化について知識を身につけたわけではありません。外から見ればむしろ失敗でありカッコ悪いことに見えます。
でも、他人には失敗あるいはカッコ悪く見える経験を、自分では肯定的に捉えていますし、だから今の自分を肯定できます。
また、高齢者は今まで生きてきたように生きること、変わらない暮らしが一番大切なことです。住む場所や生活習慣や人間関係を変えなければ暮らしが成り立たない老人ホームに入れるという高齢者施策が北欧諸国で中止され、今まで通りの自宅に住み、変わらない人間関係のなかに、医療・介護が来てくれる施策に変わった理由がここにあります。高齢者の生活が変わらないように制度が変わるのです。
さて、田舎や劣等生の自分のことや高齢者のことを書き連ねましたが、物事は、ありのままの現状を受け入れること、ありのままの自分を認めることから始まります。つまり、変われないものをムリに変えるのではなく、変われない、ありのままを大切にすることでしか、将来は拓けないのです。
田舎=都会ではない=何もない、だから都会のような環境を作ろうという軽薄な考えでは、都会にもなれないし、田舎の良さを失います。
否定的な体験しかない否定されるべき自分ではなく、失敗の経験・カッコ悪い経験を今に生かしているステキな自分、と自己肯定をしなければ生きるのがつらくなるだけではなく、未来を切り拓くことができません。
また、高齢者に変われといってもムリです。
変えないことにこそ価値がある、変わらないことにこそ価値がある、国の伝統や文化や人々の暮らしは、そうして今に伝わっています。
経済学的にはこれを社会的共通資本というらしいです(宇沢弘文氏)。これは貝が外的から身を守るときにしっかりと貝殻を閉じるように、国家と国民が絶対に守らなければならないことです。私がTPPに反対なのは基本にこの考えがあるからです。
「変わらなきゃ」から、「変わらない国や自分」をありのまま受け入れてくれる社会こそが、これからの時代に必要なのだと思います。2014年の念頭に自戒を込めて書置きます。
最後までお読みいただきありがとうございます。

1