2010年3月1日 月曜日
ここのところ何週間か、ほとんど更新が夜になってしまい申し訳ありません。そんな折に日記でもこれまでほとんどなかった旅の日記にあるように2週続けて旅行をしているために、仕事も消化できず、残ったまま翌週を迎えるという悪循環に至ってしまいました。
我ながら、自分の文章だと思いたくないような雑な文章が多く、削除したい気持ちもありますが、自分では感じたことをそのまま書いたものなので、それもできず、読んでいただいている皆様には申し訳ありません。とにかく論理が飛んでいたり、きちんと調べずに書いたりするので間違いもあります。
今後、改めて、整理する時があるかもしれません、そのときにはあらためてご紹介させていただきます。
ということで、今日も駄文、ご容赦くださいませ。
発酵の話、酒・味噌・しょうゆの話しです。
味噌というのは、「手前味噌」という言葉があるほど各家庭で味が異なる典型的なものです。ただし使う材料は全部同じ米麹と大豆と塩だけです。その分量や時間などによって大きく異なるのです。
日本は国全体が湿気が多いので全国に造り酒屋があります。日本国じゅうが醸造の街を抱えています。灘、京都伏見などが全国的に有名ですが酒造りには水が命ですから酒になったときのおいしさは水に左右されることは納得できます。
まったく異なる用途のまったく異なる食品である「味噌」と「酒」、どちらも同じ米麹を利用して作ります。
というか、米に麹菌をつけたものが米麹、麦に麹菌をつけたものが麦麹、豆に麹菌をつけたものが豆麹です。麹菌は同じものです。
http://www.isesou.co.jp/kouji/
酒造りは蒸した米に麹菌をつけて発酵させ、そこに水を加えることにより米のでんぷん(糖類)がアルコールと二酸化炭素に分解させて作ります。どぶろくは二酸化炭素の発酵が進んでいる途中の未完成の酒です。甘酒は発酵した米麹の甘さで食べる冬の味覚です。多少アルコールがあるのか、お腹のなかで発酵が進むのでしょう、わたしの母方のおじいさんは甘酒で酔っ払っていました。
だから、幼児には飲ませないほうがいいでしょう、急性アルコール中毒になる可能性があります。
味噌づくりは大豆を煮たり(京都の西京味噌のように甘く白く熟成させない味噌)、大豆を蒸したり(愛知県の八丁味噌のようにこげ茶色の塩辛い熟成させた味噌)したものに麹を混ぜて塩と一緒に漬け込み、熟成させるものです。
しょうゆは、味噌樽の上澄み液をすくい取った液体ともいえます。これは愛知県でいう「溜まり(たまり)」です。ドロっとした黒い液体ですが、むしろ味はしょうゆほど塩っぽくないのです。名古屋では刺身しょうゆとして売られています。
わたしはみそ汁が好きですが、もう十年来凝っているのが八丁味噌と西京味噌の合わせ味噌です。半々の量で作ります。塩辛く成熟した色の濃い八丁味噌と、甘く熟成の浅いアイボリー色の西京味噌、そのどちらでもない合わせ味噌のみそ汁は最高においしいと思います。
このように同じ麹菌から酒もできるし、味噌も醤油もできる、優れ物なのです。
今、いろいろな中小企業がいろいろなことを試していますが、その一つの可能性に麹菌を使った食品があると思います。
本来日本人は食に対しては様々な加工をうまくこなして、まったく新しいものを作り上げてきました。酒・味噌・しょうゆ、が原料が異なることで、ここまで変化に富む食品に変わることは想像すらできないでしょう。
日本人はマネることが上手だと言われます。日本人を揶揄して言うことが多いように思いますが、言葉を言いかえれば(リフレーミング)、先にお手本になるものがあれば、お手本以上のものを作り上げる力がある、ということです。
原料は同じでも手前味噌と言われるほどの味の違い、酒の味の違い、当然これは場所、風土、季節、水、塩、米そのもの、大豆そのものの違いが表出するわけです、その微妙を日本人は「手前味噌」という言葉で表した。
キッコーマン醤油は素晴らしいと思いますが、日本がキッコーマン醤油だけになっても困るわけです。国盛はおいしいお酒ですが日本酒は国盛だけではダメなのです。
それぞれの地域にそれぞれの名品があるように、それぞれの酒・味噌・しょうゆがなければいけない、と思います。
世界にはいろいろな発酵食品があります、それらを日本人の食や色や香りという観点からさまざまに加工することで、世界に通用する新しい食が発信できるかもしれません。ただ、日本人ほどいろいろなものに興味を持って食する人種はいないでしょう。その点では世界に浸透するためには時間がかかるかもしれませんが、価値のあることだと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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