2010年8月22日 日曜日
昨日は、名古屋市北区での会合、帰りには歩いて、久しぶりにかって住んでいた街に行ってみました。明和高校から北へ上がった柳原商店街、大きく変わっていました。駐車場に変わった空き地、そしてマンションが増えていました。
15年前まで住んでいた街、ところが、国家公務員の職員住宅はなくなり、近く愛知学院大学ができる、ということらしい。名古屋城を西に見て、徒歩10分で愛知県庁・名古屋市役所に行くことのできるロケーションです。
小森重治さんの和食の店、重兵衛さんが閉店していたことです。本当に残念です。柳原商店街の「みとも」の奥様に聞けば、今年ご主人こと小森重治さんがなくなったとのこと、でした。でもウソではないことはネットで見つけた近藤マリコさんのブログで確認してしまいました。
LARMS
http://www.larmes.jp/main.php?ID=149
後継ぎがいないことはわかっていましたが、このように急になくなると、寂しさが先に立ちます。これまでの重兵衛さんの料理の技、話題、人柄、すべてが一瞬にして消えるということ、これが死ということだということを実感します。
かっては、柳原商店街の近い北区清水三丁目ではなく、もっと堀川に近い国道41号線の東側清水五丁目だったと記憶しています。この言い方おかしいですね。味のない町の呼び名です。かっては大杉町だったか杉村町だったか・・・、記憶がありません。
重兵衛さんは、わたしにとっては、思い出の深いお店でした。いろいろなことを教えていただいた店でもあります。なによりも天才的な料理人でした。数多くの「料理研究家」が訪れては重兵衛さんの技を「盗用」しました。自分の発明のように。
重兵衛さんは「いくら一生懸命に考えても、料理は真似されればすぐにひろがっちゃうもんね」と言っていました。
とにかく多い時には1か月に1度は訪れ料理に舌鼓を打ったものです。メニューが変わるのに合わせて。そして、とにかく斬新な創作懐石料理を出してくれる店でした。
某役所の公務員試験に合格しながら公務員の道には進まず、名古屋市北区の志ら玉に丁稚奉公し、そこでは大事な客をまかされる料理人になります。そして、一流の腕を磨きあげ、自分で開店されたのが、名古屋市北区役所から堀川沿いに進んだところの旧店でした。
外見は居酒屋さん風の店でしたが本物を出す店。居酒屋さんと間違えて隣のパチンコ屋さんから客が来ると、暇でも店に入れない、一刻な方でその当時は小さい子ども連れの客もいる気さくな店でした。
でも、なかには子どもがうるさいときもある、イヤな顔をする客には「こどもはうるさいもの、うるさかったらアンタ出ていきゃぁ」と気にかけなかった豪傑でもありました。
ネタがなくなれば終わり、「ネタがないのに座ってもらうのは気の毒、店閉めようか」と。そうそう、その頃は料理に使う薄板に墨書きでメニューを書いていました。
美人で愛想のいいお女将さんです。
そして、現在の店に移転するときには、「一番流行らない店」を作った、という変わり者です。しかし落ち着く素敵な店なのですがわかりにくい、入りにくい。それからは居酒屋からおまかせのみの懐石料理の店に。
客筋もわたしたちを除き立派な方がお見えでした。でも、敷居の高さはまったく感じない店、でした。
俳優さんも相撲関係者も経済界の方も、いろいろな有名人が訪れた店でした。評判を聞きつけて某組関係者が訪れたこともある、と言ってました。子分があちこちに座って親分を守るのだとか、最後に「オヤジ、名詞をくれ」と言われたそうですが、「すいません、うちには名刺がありません」とこたえると「そうか」と言って出て行ったことがある、といっていました。アノ世界では「2回目お断り」の表現なのだそうです。
取材写真を撮っていたこともありましたが、マスコミ・雑誌の取材はお断り、と言っていました。記事を見てくる客が一杯になって、いつも来てくれる客に迷惑をかけたくないから、と。
料理作りが暇になるとタバコを吸うのですが、料理人がタバコを吸うと味がわからなくなるから、と著名人に言われながらも止めませんでしたね。「じゃぁ、タバコを吸わない店は全部旨いものを出すのか」と。
いつも旬を先取りした料理の数々、なかでも「あわびの水貝」は忘れられません。
セリの白和え、トロの塩コンブ和え、鱈白子のしんじょのお椀、魚介の梅ドレッシング、カタクリのクルミ和え、思い出せば悲しくなります。
バルサミコとしょうゆのステーキソース、梅ドレッシングには少しのカルピスを入れる、教えていただいたソースです。生タコをさっと湯がきぶつ切りにし抹茶塩をつけて食べるという初めての食べ方には感動したものです。25年前。漁期の始まったばかりの長良川の鮎の塩焼きは絶品でした。大きくはないので骨ごと食べられる。
食べたかったけれど食べられなかったものもあります。セリと鴨の鍋です。小さい七輪に真鍮の鍋、そこにセリと鴨を入れて炊くのです。なぜか、その機会がなく食べることができませんでした。
まだまだ思い出は尽きないのですが、思い出したらここに書くようにしたいと思っています。
重兵衛さん、ありがとうございました。
合掌

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