2010年10月6日 水曜日
検察審査会の起訴相当議決についての違法性
検察審査会が2度目の起訴議決を行ったことに対しては、検察審査会の委員の選任に不透明なところがあり、その補助役弁護士の選任が不透明であると、疑われています。
重要なことはこれらのメンバーで行った、検察審査会議決が、被疑事実以外の被疑事実を持ちだして起訴相当議決を行っていることです。
郷原信郎弁護士によれば、検察の不起訴処分の対象になっていない収入面の虚偽記入の事実が含まれている、ということです。不起訴処分の対象事実を逸脱した被疑事実で起訴相当議決を行うことはできず、今回の起訴相当議決は無効であり、強制起訴手続をとることはできない、というべきです。
これが許されるとすれば、検察が捜査を行って起訴ができない事案について11人の素人が憶測や妄想で捜査指揮をすることと同じことになります。
また、わたしは、検察審査会の制度じたいが、このようなきわめて政治的な問題は扱うべきではなく、検察や警察内部のいわゆる身内の事件に対して「なぁなぁ」の慣れ合いで済ませてきたような事案に対してのみ対象とすべきだと考えています。
検察審査会の議決に意味があるのは、今回目の前で起きている検察内部の証拠改竄事件です。
大阪地検特捜部の主任検事が事実を証明すべき証拠を改竄した罪で逮捕されましたが、本来は起訴すべき証拠もあるのに同じ検察だからと、起訴をしないような事例において検察審査会が起訴しないことが妥当かどうか、の判断を行う、これが典型的な例です。
小沢一郎氏の事件は、検察が事実を証明するだけの証拠を得られなかったために検察は不起訴としました。その検察の判断をくつがえして起訴すべき、というのです。
東京地検特捜部が1年半以上の時間をかけ、強制捜査もやり、秘書を逮捕し、それでも事実を証明するだけの証拠が得られなかった、それを起訴することにムリがあるのは当然でしょう。
法律というのは事実の証明により、そのような事実があるなら法律に照らしてこの罰条を適用する、という演繹的な論理構造になっています。
たとえば、殺人罪
ハナオが友人のナオトを殺した。
↓
刑法第199条には、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。」と規定されている。
↓
だからハナオは死刑だ。
という論理展開です。
ここでは殺した、という事実の証明が必要となります。検察は今回身内の事件でこの事実を改竄したわけです。事実に基づかなければならない法律の罰条の適用にあたって、事実を改竄したこと、が重大な犯罪だとされているわけです。
小沢一郎氏の政治資金規正法違反について、いくら調べても犯罪事実が出てこない、事実がなければ起訴をして法律の罰条を適用することはできません。この状態で検察審査会は起訴議決をしたわけです。
普通に論理的に考えれば、起訴に値する事実がない以上起訴はできません。ところが、他の事実があるではないかとの想像や妄想を持ってきて犯罪があるから起訴すべきだという。
これは、理屈が通りません。検察審査会の議決ば無効である、ここを小沢一郎弁護団は当然突くでしょう。
これから弁護士が検察官役を務めて小沢一郎氏を起訴し、裁判が始まります。検察は弁護士にすべての捜査資料を渡しますから、どのような捜査が行われ、どのように判断され、そのときに大マスコミがどのように「報道」したか、検証できる可能性があります。
検察役の弁護士は、そこまでの可能性を考えて、証拠を包み隠さずに裁判所に出すべき義務があると思います。
まぁ、無罪の確率が非常に高いわけで、その準備期間のほうが長くなるのではないでしょうか。もっとも、大マスコミが一生懸命に扇動すればあるいは有罪の結論が出る可能性もなくはありませんが。
さて、この展開に
1、民主党の反小沢派は絶好調で議員辞職だの、と言ってましたが、悪乗りしすぎです。で、牧野聖修国会対策委員長代理は辞任せざるを得ませんでした、バカ丸出し。
2、小沢派は、この決定に不満を持っており、これから捜査の可視化と検察審査会の在り方について検討することになるでしょう。
3、これらの動きのなかで民主党がガタガタしている、野党も攻勢を強める、ということは否めません。国会運営は厳しくなるでしょう。
しかし、わたしは、このまま決着をつけずに小沢一郎氏が検察審査会から逃れられたとしても、大マスコミは間違いなく、「クロの小沢一郎」との攻撃を止めることはないだろうと考えていますから、裁判という形での決着をつけることが、最善の道だと思います。
ただ、その間は国会の政治倫理審査会などでへの出席を求められることもありますが、法廷闘争のみに集中することです。
また、一部で言われている、今回事件となった土地は、市街化区域内で地目が畑である、との指摘について、事実だとすれば、所有権移転の仮登記だけを済ませ、順位を確定したうえで農地法の転用手続きをして、最終的に売買を行う、というストーリーは、不動産取引の常識でありまったく普通に行われていることです。
登記簿謄本など誰でも取れるのですから、取得してネットで流していただき、国民が見られるようになれば、どんな捜査が行われていたか、その一端が明らかになると思います。捜査資料でもなんでもありません。公知の事実です。
一方で法廷闘争を行い、他方でこれらの起訴と事実証明がいかに杜撰なものかがわかれば、明確な決着がつくのではないでしょうか。
大マスコミの「小沢一郎憎し」の扇動と、検察の暴走と、検察審査会の恣意的な人選等が重なれば、小沢一郎氏ほか政治家の抹殺ができてしまう、現代の合法的弾圧が現に存在する、ということなのでしょう。
これは反面から見れば権力(源泉はアメリカの意向が大きいでしょうし、官僚も最終権力者と利益共同体であり、利益が一致します)が、小沢一郎氏をいかに恐れているかの証明でもあります。権力闘争そのものです。
流言飛語が飛び交う、こういうときにこそ、自らの想像力を働かせて、大マスコミの扇動に乗らないように判断しなければいけない、改めて認識しました。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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