2011年2月6日 日曜日
わたしたちの生活習慣そのものが、病気になる種を生みだしている、まさに弁証法的な仮説ですが、社会科学や人文科学は別として弁証法というのは自然科学には不可欠な考えです。
弁証法というのは、命題(テーゼ)に対して反命題(アンチテーゼ)が生まれ、その矛盾が止揚され、やがてそれらは統合された命題(ジンテーゼ)として統合される、という考え方です。
〜〜時事ドットコム2月1日引用〜〜
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%b3%a4%c7%cf&k=201102/2011020100485
週3日の速足運動で効果=高齢者、脳萎縮防止−認知症予防に期待・米大学
高齢者が1日40分間で週3日、普段より速足で歩く有酸素運動を続けると、脳で学習や記憶を担う海馬(かいば)の萎縮を防ぐ効果があったと、米イリノイ大などの研究チームが1日、米科学アカデミー紀要電子版に発表した。高齢者60人に1年間運動してもらった成果で、海馬の体積は約2%増えた。
高齢者の海馬体積は認知症でなくても年1〜2%減少する。このため有酸素運動を習慣付ければ、長期的に萎縮の進行を遅らせ、認知症のリスクを下げる効果が期待される。海馬の体積が増えたのは、脳神経細胞が増殖したか、情報伝達に必要な同細胞の樹状突起が増えたと考えられるという。
〜〜引用終わり〜〜
だんだん生活習慣と高齢に基づく病気の因果関係が解明されてきますね。世界であらゆる病気の研究が行われており、その研究論文や成果はネットワークで瞬時に世界に行きわたります。わたしたちは、今日治療方法が確立していなくても、明日には治療方法が確立することも夢ではない時代に生きています。
PPKという言葉、一般的になりましたが、ピンピンコロリの略ですね。ちょうどバブル崩壊後、日本国政府は株価が下がると年金積立金などを使って株を買って、高値誘導する株価操作をしていました。プライス・キーピング・オペレーション(PKO)という言葉が流行っていました。PPKとPKO、間違って使われていた時代からある言葉です。多分介護保険法の施行(2000年)前だったように記憶しています。
高齢者はみんなピンピンコロリであの世に行きたいと思っているのですが、なかなかそうはいきません。統計的にはどうかわかりませんが、体が弱く病気がちで寝込むことが多い生活の方は高齢になった晩年も長患いして寝込んで亡くなるケースが多く(ぐずぐず寝込んでダラダラと死んでいくという意味でグズグズダラリ)、逆に常日頃から体を使いピンピンの生活をしており昨日まで元気で畑仕事をし、夜もおいしそうに食べているような方は、朝になったらコロリと亡くなっていたというケースが多いように思います。
特に高齢でもなかったのですが、75歳は過ぎていたように思いますが、家族全員で朝早くから牛乳配達をして午前7時ころ帰宅し、その後家族が買い物に出かけている間に布団のなかで亡くなっていたという方が近所にいらっしゃいました。
死を想像していないので、警察の検視やら葬儀の手配やらで、家族は大変ですが、わたしから見れば理想的な一生の終わりです。
つまり臨床的には、「ピンピン」と「コロリ」は因果関係があり、「グズグズ」と「ダラリ」にも因果関係がある、ということです。
高齢者の場合、一般的には「ピンピンコロリ」か「グズグズダラリ」、男と違って「ピンピンダラリ」はあまりありません。女性の方朝からすいません。
昔からピンピンコロリは高齢者の最後の望みでもあります。ぽっくり寺やっぽっくり地蔵さん、ぽっくり神社はあちらこちらにあります。また、ぽっくり逝こうと思えば、あちらこちらの神社・仏閣にお参りをする、三十三観音や八十八カ所を巡り本尊を拝観し、お経を唱え、御朱印をいただく、というように体や頭を使うことがピンピンコロリの秘訣だったのかもしれません。
「ぽっくりとポックリ研究所」というサイトがありました。ぽっくり寺が紹介されています。
http://endingplanner.com/sub23.html
実はこのような「体を動かす生活習慣」が死に方まで規定する、ということについては、日本人は昔からよく洞察していたのだと思います。その文化がなくなり、ピンピンとコロリの因果関係のない生活となり、そして長生きできる医療が発達した、こんなことになっているのが日本の現状です。
なぜか(?)
決まっています、歩かないからです。というより社会全体が歩かなくてもいい仕組みになっているからです。
事務仕事をしていれば多分1日の歩数は2000歩程度です。営業マンでも車の移動であれば、5000歩程度です。そして歩かない生活習慣がつくとスーパーマーケットの買い物に行くにしても店舗の入り口に一番近いパーキングに止めるようになります。これが現代の生活習慣です。
わたしは、時間があれば歩くことにしていますが、多くの方はできるだけ歩かない方法を考えておられますね。歩くことは現代社会では義務ともいえる行為です。
今のうちからせっせと歩き、ぽっくり寺のお参り、生活習慣としてのピンピンコロリで逝きたいと考えています。
自動車も長年のっているとあちらこちらの不具合が見つかります。不具合が見つかったからと乗らなくなれば、不具合は拡大します。
乗りながら、悪いところを直していく、これが人間にも自動車にも共通する課題なのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。

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