立山道(三十三観音)巡りをしているのだが詳細な地図資料が無いものか?
立山博物館の受付で問い合わせてみた。
暫しのちょっと困ったような表情の後、しばらくお待ちくださいと。
最後の一部の保存版との事で
「差し上げる訳にはいきませんが、横のテーブルで心行くまで見て、必ず返してください。」
と念を押されパンフレットを渡された。
パンフレットを拡げて裏返すと立山参道の道標やら三十三観音やらの石仏群の詳細な地図になっていた。
「心行くまで見て行ってください。」と言ってはいただいたけれども、博物館の受付横の何となく薄暗いスペース。
何より細かいモノを見る想定をせずに出動して来たのでメガネの度が甘く
細かいトコロが見えない。
仕方が無いのでカシャカシャといっぱいパンフレットの写真を撮って、感謝を述べて立山博物館を出た。
あのパンフレット。欲しいなぁ・・・。
見えないものは仕方が無いので、
判る所から攻める作戦に変更した。
アルペンルート以降の観音像はいずれ行った時にしか訪ねられないので、桂台にあるという
十五番観音迄を第一次観音巡りとしたい。
桂台まで行って、アルペンルート入口ゲート周辺を右往左往しても観音像は見当たらず。
ゲートのおじさんに「この辺りに十五番観音があるはずなのですが知りませんか?」と尋ねると、「橋の辺りに在ると聞いた事がある。」との事。
特別に許可をもらって、徒歩でアルペンルートに入れていただいた。
料金所から100m程入ったところにある称名川の「桂大橋」を渡りきった右手に十五番観音はあった。
資料にあった(桂台の有料道路側)ってのはこうゆう事だったのだな。と納得。
コンクリートの祠の中にもう一体の石仏と並んでいる。
右側が
十五番観音。
「十一面観音・立像」山城国・観音寺の分霊です。
よく見ると左の石仏はちょうど首のところに亀裂があり、割れているようです。
実は首折れ石仏は珍しく無いのですが、廃仏毀釈の名残りなのかなと思っています。
称名道路(富山立山公園線)を下り、立山大橋の入口の分岐から立山博物館・まんだら遊苑の方へ入ってみた。
坂道を下ってすぐにあった祠の横には見慣れた看板が設置されていた。
見ると、探し求めていた三十三観音の
十番観音との案内が書かれていた。
資料によると、十番観音は(風土記の丘)にあるとの事だったが、「風土記の丘」ってググっても出ないんだよねぇ。
此処がそうだったんですね。
「千手観音・立像」山城国・三室戸寺の分霊です。
この観音像も胸の下で割れています。
十番観音の一帯は立山博物館関連のいくつもの施設が整備されていて、見応えがある展示が多数あります。
観音像のすぐ横にある建物は「有馬家」
江戸時代の農家の建物を移築展示しています。
玄関土間を左に上がれば居住スペース。土間の右が馬屋。 一つ屋根の下で馬と一緒に暮らしていたみたいです。 馬は大切にされていたのですね。
近くに「嶋家」商家住宅。 「善道坊」旧宿坊もあります。 それぞれを比べて見てまわるのも面白そうです。
「風土記の丘」を出て、再び称名道路を下ります。
十五番観音までのうちで、一・十一・十二・十四番観音は行方不明になっているので、残るは六・七・十三番観音。
ボクの資料では
・六番観音は三途の川手前。
・七番観音は芦峅寺庚申塚の傍。
・十三番観音は千寿ケ原。 との事。
どうやら
七番観音を見付けたようです。
確かに
七番観音(庚申塚の傍)ではありますが、隣が駐在所なんだから(立山公園口駐在所横)って表記して頂ければもっと見付け易かったんだけどなぁ・・・。
「如意輪観音・坐像」大和国・龍蓋寺の分霊です。
こちらは庚申塚。
厄除けも期待できるようなのでしっかりお参りさせていただきました。
今回の三十三観音巡りはここで時間切れ。
残るは
・六番観音は三途の川手前。
・十三番観音は千寿ケ原。
じっくり例のパンフレットの写真を分析して改めて訪ねてみます。
「旧立山道・三十三観音巡り:6・13番」に続く。
関連HP
【創楽】旧立山参道「西国三十三所分霊観音」巡りの旅!
当ブログと合わせてお楽しみください。