2006年6月26日(月)
コゲがうちに居を移して5年。
自由な外で暮らして7年(+α)。
傘で何度も叩かれるコゲを見た日。
あの日の光景は今でも忘れられない。
悔しくて、悔しくて、
頭の中の血が沸騰する様で、
一睡も出来なかった日。
その事件があった日から3日経った、
2006年6月29日(木)
それは、私がコゲから自由を奪った日。
小さいながらもテリトリーではボスだったコゲ。
前日迄外に出たい時は自由に出れてたのに、
その出入りしてた窓は閉めきられ、
鳴いて懇願しては私に叱られ、
2階の和室の押入れの中で拗ねて寝ていました。
コゲを傘で殴打した方と、
その旦那さんと話はしました。
でも、そのお二方は若輩者の話など、
一切耳に入らない様で、
私の話など聞き入れてくれませんでした。
その家のお子さんが捨て猫を拾ってきた。
片方は雄で片方は雌の茶虎。
これは間接的に私が聞いたのです。
まだ子猫だったその兄妹猫。
私なら完全室内飼いするのになぁ。
時々その兄妹猫を外で見掛けては、
そう思っていました。
子猫だった頃はコゲもその兄妹猫には無関心。
兄猫が男に目覚めた時からバトルが始まりました。
コゲは当時、居場所が直ぐ解る様にと、
首輪に鈴を余分に付け、
私と前飼い主さんの連絡先を書いた迷子札も付けてました。
当然動く度に『チリンチリン』と鈴の音は響きます。
その音を聞き身を潜め背後からの不意打ちをする。
茶虎兄猫はそうやってコゲへの攻撃を始めたのです。
何度も不意打ちされたていたそうです。
目撃者も数名ですが居ました。
その話を聞いて翌日からコゲを尾行してた私も目撃しました。
現場は主にコスモス畑。
不意打ちされたコゲは我慢ならなかったのか、
茶虎の拠点を突き止めると、
その家の前でじっと待つようになりました。
「正面からなら負けへん」
そんな思いもあったのかも知れません。
コゲがその家の前で陣取ってると、
正面から勝てないと悟った茶虎兄猫は、
コゲが見張ってる間は家から出てきませんでした。
しかし、敵もさるもの。
コゲがうちの傍で寛いで居ると、
近く迄きてコゲを挑発し、
コゲが追尾すると自分の家迄逃げるのです。
そして自分の家の側で喧嘩を始めます。
当然喧嘩の声を聞き飼い主さんは出てきます。
その手に傘を持って…。
コゲが叩かれる現場を見たのは1度ですが、
それ以前に出血はないのに、
びっこ引いてたり、
えずいてご飯食べれない日が度々ありました。
目撃した日に原因が判明したのです。
我が子が1番可愛いのは皆同じです。
でもね、猫の雄って、
たとえ去勢されてても縄張りの主張はします。
勝敗が喫する迄バトルは続きます。
コゲは7年間そうやってテリトリーで野良猫と戦ってました。
去勢された身で、玉ありのコゲより大きな野良猫相手でも…。
でも怪我するから止めに行きます。
組ついてたら離れた瞬間に抱き上げ、
組ついて離れないなら、
傍で「コラッ!」と声をあげたり、
柔らかい物をぶつけたり、
持参したペットボトルの水をかけたりします。
何人も無闇に傷つけてはならない。
そう動物愛護法にもうたわれています。
如何に我が子が1番可愛くても、
自身の生命の危機を感じなければ、
相手を傷つけてはならないのです。
それが、たとえ野良猫であっても。
そんな話をしても聞き入れてくれなかった。
またコゲが殴打されてるのを見たら、
きっと私は新聞沙汰な事をしていたと思います。
それよりも先にコゲが叩かれた場所が悪くて、
最悪な結果になっていたかも知れません。
いくら加減してるとは云え、
人の力で相手は猫です。
ウェイト差で考えても約10倍の相手です。
私が600sのデブと闘うのではないのです。
600sのキレキレの巨漢と闘うって事です。
軽く払った手に当たっただけで、
脳震盪をおこし地面に倒れるでしょう。
憎しみが加減なんて出来なくもするでしょう。
皆さんも決して手をあげない様願います。
11年前の今日
コゲがリード散歩を始めた日。
コゲ、頑張ったね。

2