昨日1月17日は阪神淡路大震災から24年
今日1月18日はこむぎが他界して12年
こむぎの十三回忌です
コゲがこむぎを連れ帰った日が何時だったのか
もうポンコツになってきた私の脳では思い出せません
命日は阪神淡路大震災の1.17の翌日なので忘れません
ブログを始めたのが2006年
それ以前はデジカメも持っていませんでしたし
こむぎが猫エイズと判ってからはこむぎは隔離でしたから
コゲと比べてこむぎの写真はかなり少ないのです
ブログを始めた頃はこむぎの中で眠っていたエイズも目を覚ましてしまっていたので
そんなこむぎを撮る事に躊躇していたんだと思います
構ってやる時間もコゲと比べると全然少なかった
コゲの一番のお気に入りだった部屋をこむぎの部屋にして
大人しくしてくれていましたが寂しかったんだと思います
部屋の扉を開けようとしたのか扉にはこむぎの爪痕が残っています
こむぎはコゲの事が大好きだったと思うので
自身の身体の変化に気付いてコゲの傍に寄りたかったのでしょう
ですがコゲへの感染は避けたかったので
私は多分そんなこむぎの気持ちに気付いていたんだろうけど
極力コゲと接触させたくなかったので隔離を続けました
今思うと
もう少し自由にさせてやれば良かったと後悔しています
コゲと一緒に居るのに気付いた時
即コゲに「連れて帰って来ていいよ」と言ってれば
猫エイズ感染は防げなかったにせよ
虐待には遭っていなかったと思うと
自分の不甲斐なさを痛感します

キジトラと云うよりベンガルちっくな毛柄だったと今更気付く

虐待に遭ったのに直ぐに懐いてくれたこむぎ

コゲが逝ってしまう数日前から現れた
猫の気配 猫の形をした影
(影と言っても地面に出来る影ではなく影のない黒い猫型の存在)
あの影の正体はこむぎだと何の疑いもなく今も信じています

こむぎは焼きささみが好きだったのでお供え
今は売ってない楕円形の缶に入った(多分)シーバも好物でした
こむぎは
どんなに想っても何時か別れはくるんだよ
だから当たり前に過ぎる日々を当たり前と思わず大事に過ごしてね
それを私達に伝える為に我が家にきたのかな
そんな事を考えたりします
未だに
あの時こうしてやれば良かった
もっと出来る事があったんじゃないか
思い出しては涙する事もある
でも 出逢ってくれてありがとう
そんな思いも日々強くなるのです

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