2009/12/2

学歴社会はこれで良いのか?  主張

 記憶力、暗記力の知性に対する割合は、10%程度です。どんなに膨大な知識量であっても、それを現実に役立てる事が出来なければ、意味がありません。記憶とは情報ですが、その情報も正しく整理されていなければ、役立てるのが困難になります。情報を役立てるノウハウもまた、情報の一つです。しかし複雑な現実社会では、ただ単に法則に頼って当て嵌めるような発想では対応し切れません。その時々での機転のようなものも要求されます。そして知性を発揮する際に、どんな状況かは解りません。常に平穏である事はなく、何らかの圧力やプレッシャー、その他の精神的な揺さぶりがあります。そんな時に判断を誤るようでは、現実では困ります。

 さて日本は学歴社会です。政治や行政、司法、民間の一流企業などは、多くの人材が高学歴者によって占められています。学歴は何によって得られるのでしょうか? その多くは、記憶力や暗記力です。勿論そこには、継続的な努力というものも含まれます。そこから得られる結論は、高学歴者は、記憶力や暗記力に優れ、継続して努力の出来る人間の集合であるという事です。
 この高学歴の集団に保証されるのは、一定の記憶力と暗記力です。継続して努力が出来るか否かは、モチベーション次第です。これは保証されません。

 日本を動かしていく大きな役割を担わせるシステムとしては、この学歴社会は、何とも頼りないものに思えます。継続的に努力が出来るとはいっても、仮に受験戦争が過酷だとしても、それは所詮は安穏とした安全地帯での話です。現実社会でのプレッシャーは、多くの人の生活、生き死にの問題までもが絡んできます。この事に責任をもって、知性を発揮できるか否かには、何のヒントにもなりません。もしこの人物が、自分の財産や地位といった欲だけで勉強に励んでいたなら、何か転機がなければ、おそらくは社会の中で大した価値は持たないでしょう。

 記憶力や暗記力ではエリートではないけれど、知恵を出す部分では優秀である。こうした人物は、高学歴にはなれません。けれど現実社会の中では、大きな潜在的価値があります。
 社会がより高度に機能するためには、人材を如何に適材適所に置く事が出来るのか。これが肝要です。学歴は人間の能力を適正には評価しません。

 また現状での学歴社会は、悪知恵が回る倫理感に乏しい人間をも、社会の上層部に送り出してしまいます。これは防ぎようがありません。日本の上層部が如何に腐敗しているかは、恐らく氷山の一角に過ぎない報道からも、容易に把握が出来ます。悪意のある人間は、決して社会に大きな影響を与える重要な位置には、就けてはいけません。けれどこれを防ぐ充分に有効な手段が、現段階では見つかりません。不必要な財団法人などの天下りで大量の給金を得る官僚組織の腐敗は、実質的には、税金の組織的な横領です。しかし法律上では違法ではないために、罰せられる事はありません。

 では能力の正しい評価と倫理の判断は、誰がどのように行い、適材適所を誰が判断するのか? この結論はあまりにハードルの高いものです。しかしその最初の段階として、学歴への評価の仕方を考え直す必要性が急務だと思っています。



一義流気功 心と身体、生き方の総合気療
http://www.ichigiryu.com/

一義流気功教室 普通の人が出来る外気功術
http://www.healing-t.com/

一義流筋力補正法 オリンピックから草野球まで、運動能力の強化
http://www.kin-hosei.com/

人気ブログランキングへにほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村ブログランキング【くつろぐ】
3



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ