2011/3/26

思い出や記念の”物”を失くすこと  主張

 被災された方のお話を聞いていると、「思い出の物も全て失ってしまった……」と悔やまれているのを耳にします。
 最近、物と思い入れ、思い出との関係について、気付いた点があります。今回はそれをお話します。

 子どもの頃に気に入っていた人形、故人の形見、大会のトロフィー、旅行に行った写真、何に思い入れがあって、何に思い出がつまっているのかは、それぞれです。
 人の思いは精神です。物が何かを考えたりはしませんから、思いは物にはなく、人の心にあるものです。

 ではその時、物とは何でしょうか? 実用としては何にも使っておらず、ただ思い入れがある、記念だという理由で持っている物には、どんな意味があるのでしょうか。
 一つには、楽しかった、嬉しかった、幸福だったといった当時の思いを、呼び起こしてくれるものでしょう。
 またもう一つには、それを多く所有することで、多くの幸福が手元にあるような感覚があるかもしれません。

 ただここで知って頂きたいのは、物は物であって、喜びや幸福そのものではありません。思い出の物が失われても、思い出までが同時に失われる訳ではありません。
 その意味では、物が無くなっても、その人は何も失ってはいないのです。
 けれど実際にそんな被害を受ければ、まるで思い出自体を失ってしまったかのような喪失感があります。
 これは何故なのでしょうか?

 ここからは少し難しい話になっていきます。
 人は、「この物は自分にとって価値がある」「この物は思い出そのものだ」という風に決めると、物は人にとって、本当に思い出と同等の価値を持ちます。
 その物が、その人の精神を構成する一部となり、その人を支えるようになります。自分の心の一部が、物に支えられるという状況になります。
 思い入れが強い物は、その人の精神エネルギーを激しく引き寄せます。
 本来は自分が「価値がある」と決めた物ですが、やがては物に影響を受けるようになってしまうのです。
 思い出は何も失っていなくても、物が失われることで、自分の大切なものが喪失されたと解釈するようになります。

 実は気功治療の技術で、物への思いをクリアにするものがあります。これは現実に持っているものでも、失われたものでも出来ます。
 物への思いがクリアにされると、自分が物に支配されていたと実感できる人もいます。実はそれは、心が不自由である一つの姿なのです。

 もちろん、思い出の物を大切にしても良いのです。これに意味がない、馬鹿馬鹿しいとは言いません。僕にもそれはあります。
 ただ自由な心で思い出の物を大切にするのと、自分のコントールを離れて物から影響を受けるのとでは、まったく中身が異なります。
 僕には小さい頃、とても気に入っていたクマのぬいぐるみがありました。けれどボロボロになり、気付いたら、何時か捨てられていました。そのクマは僕の心を、大人になっても絶えず、引っ張り続けていました。
 けれど物への思いをクリアにすると、「今の」僕の心は引きつけられません。僕の意志に無関係に、僕の心が動かされなくなっています。ただ当時、とても大切に思っていた温かい気持ちを思い出すのです。

 心は自由であればある程、良い状態です。
 物との関係でも、物に支配されるのは良くない状態です。物の価値は自分で決められるものです。
 そして本当の価値は心そのものであると、多くの人に知ってもらいたいです。



一義流気功 心と身体、生き方の総合気療
http://www.ichigiryu.com/

一義流気功教室 普通の人が出来る外気功術
http://www.healing-t.com/

一義流筋力補正法 オリンピックから草野球まで、運動能力の強化
http://www.kin-hosei.com/

人気ブログランキングへにほんブログ村 健康ブログへ
にほんブログ村ブログランキング【くつろぐ】
2



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ