2019/10/22

101回目の新たな舟出に  Liviang Music Live!!

10月20日(日曜日)、ギタリスト伊藤賢一さんのソロ・ライブが、りびあんでありました。この日は昨日の悪天候から打って変わって、朝から晴天。ライブにとって良好の日となりました。しかも今回は完全なるアコースティックの生音ライブです。伊藤賢一さん曰く「秋の乾燥した空気が、ギターの響きを最高の状態にしてくれた」のだそうです。でも、いえいえ全ての準備に細心の注意を払い、そして一曲一曲にテンションを高め演奏する伊藤賢一さんの凄味がりびあんの(決して響きに優れた空間ではない)空間に魔法をかけ澄み渡るように音を響かせたと言えるのでした。りびあんを訪れてから、演奏が終わるまでの集中力の凄さには、はなはだ魅了されたのでした。

そこで伊藤賢一さんの凄さに少し触れてみたいと思います。それは、当然ですが演奏家として優れていること。またギター曲の編曲家として優れていること。そして作曲家としても優れていること。ギターの響きの美しさを最大限に感じさせる技術があり、また設計図を描くことの出来る優れた人だと思うのでした。

それからもう一つです。今回さらに理解したのが、作詞家?もしくは詩人としてのセンスに優れているところです。「えー!歌を歌わないし、詩のついた楽曲は一つもないでしょ!」その通りですね。ご本人も「私はギターを持ってるからと言って、歌は歌いません」と(笑いをとる)定番の挨拶を行い演奏に入るわけなのですが、そうしたMCで、演奏楽曲毎の前には、必ず前振りというか解説する語りが付けられるのです。ただしそれはリズムを持った序説であり、そこから既に楽曲の內面へと舟を出す水先案內が始まるのです。その序説は曲のタイトル(標題)に対する散文詩で語られる詩とも取り得ることができます。例えば伊藤賢一さんの作る楽曲の標題には、ノスタルジーを感じさせるタイトル「ハックルベリーの舟出」「秘密基地の黃昏」「思い出の自転車」などがあり、また意志を強く感じるさせる「海流」などがあります。これらは、その額面通りのイメーよりもレトリックとしての標題表現を持っています。序説では、そのタイトルに込められた思いや考えの、その內面や奧底にあるものへの視点へと導く言説がユーモアを交えて加えられるのです。それはまたレトリックに対するレトリックの二重構造であり、その意味で詩的な美しさを持っていると言えるのでした。それがつまりは演奏表現への深い視点を与えてくれる。伊藤賢一さんのスタイルは突き詰めた完成された(もしくは完成に向かう)音楽を聴かせてくれるものです。ですが、すべては一期一會。いかにその時々の音楽を聴衆とともに作り上げるか。そこに大きな視点を感じるのです。聴衆に向き合い演奏する伊藤賢一さんのマスターピースへの探究。その姿には、穏やかな小さな曲であったとしても、そこからは、ふつふつと感動の心が湧きあがってくるのでした。

101回目、新たな舟出を意味したりびあんライブは、まさに名演の生まれた回となったのでした。

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