2022/5/27
山登り
関西の実家にいた頃
近くの山までランニングして、
登頂してまたランニングで家に帰って
が決まったトレーニングだったので、
懐かしくて最近は毎週山登り。
気持ちいいね。
24時間頑張ろう。
そういえばGTで起きた事故について、
よく最近コメントを聞かれるので、
私あまり特定の事象について喋るのは好きではないが、
トップの選手は、現在のルールの中で死守するために必死でレースをしていた。
2番手の選手は避け切る技術はある。
3台が接近戦の中でスローカーに遭遇した中に複雑な駆け引きが交差した悲劇だったと思う。
(2番手の選手は後ろに車がいるため
アウトいきたくない心理でインに行きたかった)
わかりやすく言えば、
電車で自分のリュックサックを知らずに誰かにぶつけている人多いですよね?
(あれもうやめて欲しい。雨の日に知らずに人に傘ぶつけるのも、もうやめてほしい)
彼らは、自分のリュックサックをぶつけることもなければ相手のリュックサックにぶつけられることもなくギリギリで駆け引き出来る中で
第三者が入って複雑におきた悲劇だった。
ルール改正は今後GTAがされるでしょう。
話変わって先日は松本恵二さんの命日だった。恵二さんとは五次元にで契約していた時に、
少しだけ一緒にいました。
当時は自分も若くて、チームルマンにシーズン中に移籍してしまったんですよね。
(先日木下社長には改めて話す機会がありました)
僕らの時代のドライバーは、あのかっこよさに憧れていたわけですが、誰もかなわなかった。
(酔っ払った時以外)本当にすごいかたでした。
恵二さんありがとうございました。
さて、再来週は24時間レース。
合同テストではトップタイムを記録して調子が良いので、
トップとはまだ差があるとは思うけど、チームワークでベストを尽くして表彰台を狙いたいと思います。
応援よろしくお願いします!

近くの山までランニングして、
登頂してまたランニングで家に帰って
が決まったトレーニングだったので、
懐かしくて最近は毎週山登り。
気持ちいいね。
24時間頑張ろう。
そういえばGTで起きた事故について、
よく最近コメントを聞かれるので、
私あまり特定の事象について喋るのは好きではないが、
トップの選手は、現在のルールの中で死守するために必死でレースをしていた。
2番手の選手は避け切る技術はある。
3台が接近戦の中でスローカーに遭遇した中に複雑な駆け引きが交差した悲劇だったと思う。
(2番手の選手は後ろに車がいるため
アウトいきたくない心理でインに行きたかった)
わかりやすく言えば、
電車で自分のリュックサックを知らずに誰かにぶつけている人多いですよね?
(あれもうやめて欲しい。雨の日に知らずに人に傘ぶつけるのも、もうやめてほしい)
彼らは、自分のリュックサックをぶつけることもなければ相手のリュックサックにぶつけられることもなくギリギリで駆け引き出来る中で
第三者が入って複雑におきた悲劇だった。
ルール改正は今後GTAがされるでしょう。
話変わって先日は松本恵二さんの命日だった。恵二さんとは五次元にで契約していた時に、
少しだけ一緒にいました。
当時は自分も若くて、チームルマンにシーズン中に移籍してしまったんですよね。
(先日木下社長には改めて話す機会がありました)
僕らの時代のドライバーは、あのかっこよさに憧れていたわけですが、誰もかなわなかった。
(酔っ払った時以外)本当にすごいかたでした。
恵二さんありがとうございました。
さて、再来週は24時間レース。
合同テストではトップタイムを記録して調子が良いので、
トップとはまだ差があるとは思うけど、チームワークでベストを尽くして表彰台を狙いたいと思います。
応援よろしくお願いします!


2022/5/7
ディーテクニック走行会
ディーテクニック様、参加者の皆様、
『ディーテクニック筑波2DAYS 2022』
ありがとうございました
https://www.d-technique.co.jp/magazine/2022/05/53542days.php
(写真 d-technique)
『ディーテクニック筑波2DAYS 2022』
ありがとうございました
https://www.d-technique.co.jp/magazine/2022/05/53542days.php
(写真 d-technique)

2022/4/28
ドライビングデイズ in 筑波サーキット
出来選手主催のドライビングレッスンに
かなり久しぶりに参加させていただきます。
本当に楽しみです!
______以下ディーテクニック様より伐採______
5月3日(祝)、4日(祝) ディーテクニック筑波2デイズ 2022 in 筑波サーキットを開催いたします。
同乗走行と走行アドバイスを行うゲスト講師にレーシングドライバーの山西康司選手、川福健太選手をお迎えし、ディーテクニックの出来利弘と3名の講師で1日目は筑波サーキットジムカーナ場で基礎練習、2日目は筑波サーキットコース1000でサーキット走行と2日間しっかりと走り込み、ドラテク向上を目指します。
「今の自分から進化したい!」「愛車を自在に操りたい!」「タイムアップしたい!」そんなみなさんの参加お申し込みをお待ちしております。
https://www.d-technique.co.jp/magazine/2022/04/2-2022-in.php
かなり久しぶりに参加させていただきます。
本当に楽しみです!
______以下ディーテクニック様より伐採______
5月3日(祝)、4日(祝) ディーテクニック筑波2デイズ 2022 in 筑波サーキットを開催いたします。
同乗走行と走行アドバイスを行うゲスト講師にレーシングドライバーの山西康司選手、川福健太選手をお迎えし、ディーテクニックの出来利弘と3名の講師で1日目は筑波サーキットジムカーナ場で基礎練習、2日目は筑波サーキットコース1000でサーキット走行と2日間しっかりと走り込み、ドラテク向上を目指します。
「今の自分から進化したい!」「愛車を自在に操りたい!」「タイムアップしたい!」そんなみなさんの参加お申し込みをお待ちしております。
https://www.d-technique.co.jp/magazine/2022/04/2-2022-in.php

2022/3/28
開幕戦
2022Super耐久 開幕戦(鈴鹿)
写真提供: 森山俊一
予選:3位
決勝:リタイヤ
山西、関口、松村、篠田で素晴らしい体制で開幕戦を迎えられました。
予選で速さを出せたが結果はうまく噛み合わずリタイヤとなりました。
次戦からは優勝目指して、気持ちを新たに頑張ります。












カートスクールFB facebook
ネットショップONLINE STORE
写真提供: 森山俊一
予選:3位
決勝:リタイヤ
山西、関口、松村、篠田で素晴らしい体制で開幕戦を迎えられました。
予選で速さを出せたが結果はうまく噛み合わずリタイヤとなりました。
次戦からは優勝目指して、気持ちを新たに頑張ります。












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2022/3/16
高橋国光さん
訃報が届きました。
僕が20歳でJGTC(スーパーGT)にGT500デビューした頃、
58歳の国光さんと同じホンダNSXで、
ホンダワークスで走らさせていただきました。
当時大きな事故があった時
ドライバーを全員集めて、
今我々を観にくださっている観客のために、
どれだけドライバーは辛くても、
走っている姿を見せなきゃいけないんだと、
僕らに向けミーティングしてくださった姿が、
非常に重く、いつまでも、心に残っています。
(1998年、JGTC第2戦)
僕の世代の憧れと言えば中嶋さんや星野さんになると思いますが、そのまた先輩ですからね。
力強さはもちろんですが、その中に、壮絶な死闘を何度も何度も繰り広げてくぐり抜けて生き残ってきたあとだからこその深い優しさを感じました。
選手は常に新しい発見があるから頑張ってと言ってくださったり
僕には優しい言葉で接してくださいました。
同じチームで走ってきた土屋圭市さんや、飯田選手と比べると一緒にいた時間は長くはなかったかもしれませんがニュースを聞いて、驚きとともに涙が出ました。
本当にありがとうございました。
合掌
僕が20歳でJGTC(スーパーGT)にGT500デビューした頃、
58歳の国光さんと同じホンダNSXで、
ホンダワークスで走らさせていただきました。
当時大きな事故があった時
ドライバーを全員集めて、
今我々を観にくださっている観客のために、
どれだけドライバーは辛くても、
走っている姿を見せなきゃいけないんだと、
僕らに向けミーティングしてくださった姿が、
非常に重く、いつまでも、心に残っています。
(1998年、JGTC第2戦)
僕の世代の憧れと言えば中嶋さんや星野さんになると思いますが、そのまた先輩ですからね。
力強さはもちろんですが、その中に、壮絶な死闘を何度も何度も繰り広げてくぐり抜けて生き残ってきたあとだからこその深い優しさを感じました。
選手は常に新しい発見があるから頑張ってと言ってくださったり
僕には優しい言葉で接してくださいました。
同じチームで走ってきた土屋圭市さんや、飯田選手と比べると一緒にいた時間は長くはなかったかもしれませんがニュースを聞いて、驚きとともに涙が出ました。
本当にありがとうございました。
合掌
2022/3/6
開幕戦(鈴鹿)
開幕戦(鈴鹿)のエントリーリストが発表されました。
今年もAドライバー兼アドバイザーとして参加します。
女性ドライバーの藤井順子が監督。
開幕戦は昨年のGT500チャンピオン関口雄飛をBドライバーに迎え入れ、
明嵐正彦氏がGEとなりました。
カラーリングは赤に変わり、
新しい気持ちで50号車でチャンピオンを目指します。
レースウィークが
ほんとうに楽しみです。
皆様応援よろしくお願いします!

今年もAドライバー兼アドバイザーとして参加します。
女性ドライバーの藤井順子が監督。
開幕戦は昨年のGT500チャンピオン関口雄飛をBドライバーに迎え入れ、
明嵐正彦氏がGEとなりました。
カラーリングは赤に変わり、
新しい気持ちで50号車でチャンピオンを目指します。
レースウィークが
ほんとうに楽しみです。
皆様応援よろしくお願いします!


2022/3/4
PEACE
いがみあうのではなく平和になることを望む。
ただただそう思う。
Peace NO WAR
ただただそう思う。
Peace NO WAR
2022/2/26
スーパー耐久参戦
今年もラブドライブレーシングより
50号車で参戦することになりました。
昨年は井原慶子代表に優勝をプレゼントできましたが、
今年はチャンピオンをプレゼントできるように
チーム全員で力を合わせがんばりたいと思います。
マネージャーには18年前僕をJLOCに導いてくれた明嵐さん。
レギュラードライバーは継続で、松村選手と、篠田さんです。
また10年前にランボルギーニでポールポジションや表彰台に乗せてくれた相性の良い佐久間エンジニアにも参加していただき、23日の合同テストでは
早速夜間テストでトップタイムをマークするなど、幸先の良いスタートを切ることができました。
スポンサーの皆様には、
継続していただけることで
僕らが走ることができ本当に感謝しております。
引き続きご支援のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。
またファンの皆様には今年は毎戦表彰台の姿を見せられるようがんばります!
応援、よろしくお願いします!



50号車で参戦することになりました。
昨年は井原慶子代表に優勝をプレゼントできましたが、
今年はチャンピオンをプレゼントできるように
チーム全員で力を合わせがんばりたいと思います。
マネージャーには18年前僕をJLOCに導いてくれた明嵐さん。
レギュラードライバーは継続で、松村選手と、篠田さんです。
また10年前にランボルギーニでポールポジションや表彰台に乗せてくれた相性の良い佐久間エンジニアにも参加していただき、23日の合同テストでは
早速夜間テストでトップタイムをマークするなど、幸先の良いスタートを切ることができました。
スポンサーの皆様には、
継続していただけることで
僕らが走ることができ本当に感謝しております。
引き続きご支援のほどどうぞよろしくお願い申し上げます。
またファンの皆様には今年は毎戦表彰台の姿を見せられるようがんばります!
応援、よろしくお願いします!




2022/2/21
週2でカート
僕はいわゆるカート出身なので
(ハコ出身では無い)
トレーニングでカートに乗るのはいわば当たり前の筈ですが、
久しぶりに中野信治選手に誘っていただき3年ぶりに新東京サーキットに行ってきました。
2日後は大井松田カートランドで佐藤健一選手のコースサポート。
週2でカートに乗るのも何年ぶりなのか?
来週もレースサポートで毎週カート場です。
コロナのこの時期ですが、
オープンエアーでトレーニングできるのはありがたいことですね。
皆さんもご自愛いただければと思います。
そういえば写真は1枚も撮ってないです。汗
2022/2/1
御殿場
お正月は岸田さんに送っていただいた
岸田酒で乾杯!
今月は慌ただしく荷物を運んだり、
富士に何度も行ったりバタバタと準備中です。
合わせると1週間ぐらい御殿場に居るかも?!
19歳の時に1年間御殿場に住んでいたのが、
今になってちょっと懐かしいです。


岸田酒で乾杯!
今月は慌ただしく荷物を運んだり、
富士に何度も行ったりバタバタと準備中です。
合わせると1週間ぐらい御殿場に居るかも?!
19歳の時に1年間御殿場に住んでいたのが、
今になってちょっと懐かしいです。



2022/1/1
御挨拶
昨年はラブドライブで
チーム発足以来初優勝を記録することができました。
優秀なスタッフとメカニック、そして
素晴らしいチームメイトに助けられました。
井原総監督のもとで、運営をお手伝いさせていただきながら
アドバイザーとして結果を出さなければいけないプレッシャーで、長い時間願って過ごした努力が、叶えられた事が本当に嬉しかったです。
本当に勉強になった1年でした。
昨年は東京オリンピックが開催され
本当に感動しました。
一方で、日本人にとってはまだF1しかわからないかもしれないけど、日本人のトップドライバー達はそれ以上にすごいアスリート達だと思う。
実は可夢偉が走らなくなってから
F1は観なくなってしまっていたが
SRS-F(鈴鹿レーシングスクールフォーミュラ)
の1期生としては、後輩であり生徒でもあった
角田祐毅が出場し
今年は毎戦観るようになっている。
彼の年には笹原右京と大湯がいて、
僕も混じってセット走行
(レース形式)をしていたが、決まって争ってくるのはいつもその2人だった。
角田は年齢が若くまだ発展途上であったが、
中嶋さんの目にとまり、スカラシップを獲得しすることになったようだ。
FIA-F4に上がってからは特に中速コーナー(富士の100R)で際立つ走りをしていたことを覚えている。
僕も19歳でフォーミュラニッポンには乗ったが、年齢的には早すぎて、
当時特にテストが制限されほとんど(というか全く)走らないまま、
毎戦土日のレースだけが行われると言う
1997年はほんとに走る時間の少ない残念な1年(自分の中では無駄に過ごした)だった。
それだったらヨーロッパF3に行って死ぬほど走るか、国内F3でチャンピオンをとってからにして上がったほうがどれだけもよかったはずだ。
角田が今20歳でF1で活躍出来る状況があるのにはホンダのサポートや、若い年齢で活躍できる練習環境が素晴らしく整えられているからだ。
自分の努力次第で成功がつかめるいい時代になって羨ましくもあります。
最終戦はライブで見ていたが、
これぞレースと言うような結末でした。
最後のセフティーカーはオーガナイザーのジャッジが結果を左右しいろんな意見があると思う。
1999年のフォーミュラニッポン最終戦、
僕は予選ポールポジションだったが、
黄旗中のベストラップと言うことで取り消しになった。
黄旗中でもそのままタイムが有効になったりこの年はレースによってバラバラでした。
僕がレースを始める前に
中嶋さんがまだ30代で、
F1と言うのは特別に政治的な世界で、
活き馬の目を刳り抜くような世界なのだと知った。と雑誌の記事で読んだことがあった。
子供ながらに強い印象を感じたので
良く覚えてる。
政治の力関係で、オーガナイザーや自分のチームが敵になってはいけない。
僕が国内のトップチームで1番ファミリーだったと感じたのは、
F1解説者の森脇基恭監督がいらっしゃったチームNOVAかもしれない。
森脇さんは、自分がグリーン車やビジネスクラスに乗るお金があればミッションのスペアパーツを買いたいと言って、メカニックと同じ車で往復し、ドライバーとしてメカニック全員の努力に答えなければならない、というプレッシャーを感じたのを覚えている。
本当にプロフェッショナルで、そしてファミリーな素晴らしいチームだった。
(F1だけがレースではないということもその時実感した)
アルファタウリはそれに似ているから若い角田がやりやすい雰囲気が伝わってくる。
角田は、既に多くのドライバー(の最高位)を超えてしまっているとは思うけども、
環境が良くなったら古い選手よりも結果が出るのは"ある意味当たり前"なのだから、
もっともっと結果が出ても驚かない。
政治がどうであれ
結果が全てであるレースの世界においても、
最終戦で今年チャンピオンになったMAXフェルスタッペンには感動しましたね。
お母さんはソフィー・マリー・
クンペンで、CRGワークスの有名な女性カートドライバーだった。
僕がヨーロッパ選手権に出ていたとき
一緒に走ったこともあったから時代を感じる。
国内トップも、F1も、地上波でやらなくなってしまったけど、レベルの高い争い(面白さ)は、今昔変わらずに凄いですね。
僕が20歳でGTデビューしたとき、
現役で同じレースに出ていらっしゃった
星野一義さんや長谷見昌弘さんや鈴木利男さん
を見れば、
(亜久里さんや右京さんや関谷さんは勿論だが) 何年後に僕がGTに出場してもおかしくないね。偉大な先輩方との特別な経験を糧に続けたい。
昨年は他にもいろんなことがありました。
カート界、日本一のエンジンチューナー
岡田さんが亡くなってしまった。
僕が世界選手権に出ていた頃は世界的に(日本でも)ロータックスが支流で
空冷のフィンの形状などからチューニングがしやすいエンジンとされていました。
僕が使用していたイタルシステムは対等に戦うのが難しくていたのだが、ただ岡田さんのエンジンだけは例外で充分通用していた。
岡田さんは
当時岡田モーターエンジニアリング(OME)
の代表であり、
後にサントレードと合併しサントムと言う名前になったことでも記憶にある人もいるかもしれません。
そしてさらにモンディアルと言う社名に変更したようでした。
モンディアルはイタルシステムのモデルの1つで、僕が世界選手権で使用したエンジンで、
ヨーロッパの名だたるエンジンチューナーたちが満を持して持ってきたエンジンに岡田さんのエンジンで表彰台に上がった。
(MERLIN/ITALSISTEM/VEGA)
実は僕もそれを会社名にしているのですが
一生忘れられない思い出を残したかったから。
1995年、師匠の野田さん(GEMINIカート)に勧められて入った芦屋の高校が、(10年後カムイの母校でもある)
震災の影響で建物が壊れてしまい1ヶ月休校したことがあった。
その時野田さんの導きで岡田さん宅に1ヶ月住んでいたことがあります。
その1ヵ月は朝から晩までただただエンジンのスラッジや油を洗う作業だけをしていました。
1ヶ月の1番最後の日にお寿司を頼んでくれて、
僕の名前を下の名前で呼んでくれたのが恥ずかしくて息子のように話してくださったのが嬉しくて。
本当にお世話になりました。
岡田さん本当にありがとうございました。
長くなってしまいましたが、
皆様2021年はありがとうございました。
感謝を御挨拶と代えさせていただきます。
2022からもどうぞよろしくお願い申し上げます。
元旦 山西康司
チーム発足以来初優勝を記録することができました。
優秀なスタッフとメカニック、そして
素晴らしいチームメイトに助けられました。
井原総監督のもとで、運営をお手伝いさせていただきながら
アドバイザーとして結果を出さなければいけないプレッシャーで、長い時間願って過ごした努力が、叶えられた事が本当に嬉しかったです。
本当に勉強になった1年でした。
昨年は東京オリンピックが開催され
本当に感動しました。
一方で、日本人にとってはまだF1しかわからないかもしれないけど、日本人のトップドライバー達はそれ以上にすごいアスリート達だと思う。
実は可夢偉が走らなくなってから
F1は観なくなってしまっていたが
SRS-F(鈴鹿レーシングスクールフォーミュラ)
の1期生としては、後輩であり生徒でもあった
角田祐毅が出場し
今年は毎戦観るようになっている。
彼の年には笹原右京と大湯がいて、
僕も混じってセット走行
(レース形式)をしていたが、決まって争ってくるのはいつもその2人だった。
角田は年齢が若くまだ発展途上であったが、
中嶋さんの目にとまり、スカラシップを獲得しすることになったようだ。
FIA-F4に上がってからは特に中速コーナー(富士の100R)で際立つ走りをしていたことを覚えている。
僕も19歳でフォーミュラニッポンには乗ったが、年齢的には早すぎて、
当時特にテストが制限されほとんど(というか全く)走らないまま、
毎戦土日のレースだけが行われると言う
1997年はほんとに走る時間の少ない残念な1年(自分の中では無駄に過ごした)だった。
それだったらヨーロッパF3に行って死ぬほど走るか、国内F3でチャンピオンをとってからにして上がったほうがどれだけもよかったはずだ。
角田が今20歳でF1で活躍出来る状況があるのにはホンダのサポートや、若い年齢で活躍できる練習環境が素晴らしく整えられているからだ。
自分の努力次第で成功がつかめるいい時代になって羨ましくもあります。
最終戦はライブで見ていたが、
これぞレースと言うような結末でした。
最後のセフティーカーはオーガナイザーのジャッジが結果を左右しいろんな意見があると思う。
1999年のフォーミュラニッポン最終戦、
僕は予選ポールポジションだったが、
黄旗中のベストラップと言うことで取り消しになった。
黄旗中でもそのままタイムが有効になったりこの年はレースによってバラバラでした。
僕がレースを始める前に
中嶋さんがまだ30代で、
F1と言うのは特別に政治的な世界で、
活き馬の目を刳り抜くような世界なのだと知った。と雑誌の記事で読んだことがあった。
子供ながらに強い印象を感じたので
良く覚えてる。
政治の力関係で、オーガナイザーや自分のチームが敵になってはいけない。
僕が国内のトップチームで1番ファミリーだったと感じたのは、
F1解説者の森脇基恭監督がいらっしゃったチームNOVAかもしれない。
森脇さんは、自分がグリーン車やビジネスクラスに乗るお金があればミッションのスペアパーツを買いたいと言って、メカニックと同じ車で往復し、ドライバーとしてメカニック全員の努力に答えなければならない、というプレッシャーを感じたのを覚えている。
本当にプロフェッショナルで、そしてファミリーな素晴らしいチームだった。
(F1だけがレースではないということもその時実感した)
アルファタウリはそれに似ているから若い角田がやりやすい雰囲気が伝わってくる。
角田は、既に多くのドライバー(の最高位)を超えてしまっているとは思うけども、
環境が良くなったら古い選手よりも結果が出るのは"ある意味当たり前"なのだから、
もっともっと結果が出ても驚かない。
政治がどうであれ
結果が全てであるレースの世界においても、
最終戦で今年チャンピオンになったMAXフェルスタッペンには感動しましたね。
お母さんはソフィー・マリー・
クンペンで、CRGワークスの有名な女性カートドライバーだった。
僕がヨーロッパ選手権に出ていたとき
一緒に走ったこともあったから時代を感じる。
国内トップも、F1も、地上波でやらなくなってしまったけど、レベルの高い争い(面白さ)は、今昔変わらずに凄いですね。
僕が20歳でGTデビューしたとき、
現役で同じレースに出ていらっしゃった
星野一義さんや長谷見昌弘さんや鈴木利男さん
を見れば、
(亜久里さんや右京さんや関谷さんは勿論だが) 何年後に僕がGTに出場してもおかしくないね。偉大な先輩方との特別な経験を糧に続けたい。
昨年は他にもいろんなことがありました。
カート界、日本一のエンジンチューナー
岡田さんが亡くなってしまった。
僕が世界選手権に出ていた頃は世界的に(日本でも)ロータックスが支流で
空冷のフィンの形状などからチューニングがしやすいエンジンとされていました。
僕が使用していたイタルシステムは対等に戦うのが難しくていたのだが、ただ岡田さんのエンジンだけは例外で充分通用していた。
岡田さんは
当時岡田モーターエンジニアリング(OME)
の代表であり、
後にサントレードと合併しサントムと言う名前になったことでも記憶にある人もいるかもしれません。
そしてさらにモンディアルと言う社名に変更したようでした。
モンディアルはイタルシステムのモデルの1つで、僕が世界選手権で使用したエンジンで、
ヨーロッパの名だたるエンジンチューナーたちが満を持して持ってきたエンジンに岡田さんのエンジンで表彰台に上がった。
(MERLIN/ITALSISTEM/VEGA)
実は僕もそれを会社名にしているのですが
一生忘れられない思い出を残したかったから。
1995年、師匠の野田さん(GEMINIカート)に勧められて入った芦屋の高校が、(10年後カムイの母校でもある)
震災の影響で建物が壊れてしまい1ヶ月休校したことがあった。
その時野田さんの導きで岡田さん宅に1ヶ月住んでいたことがあります。
その1ヵ月は朝から晩までただただエンジンのスラッジや油を洗う作業だけをしていました。
1ヶ月の1番最後の日にお寿司を頼んでくれて、
僕の名前を下の名前で呼んでくれたのが恥ずかしくて息子のように話してくださったのが嬉しくて。
本当にお世話になりました。
岡田さん本当にありがとうございました。
長くなってしまいましたが、
皆様2021年はありがとうございました。
感謝を御挨拶と代えさせていただきます。
2022からもどうぞよろしくお願い申し上げます。
元旦 山西康司
2022/1/1
あけましておめでとうございます!
2022年
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願い申し上げます
あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願い申し上げます

2021/12/31
走り納め(白糸)
今年も白糸スピードランドで
走り納めに行ってきました。
青山学院大学自動車部のOBと
現役在学生の皆さんと一緒の時間を過ごさせてもらえ、大変嬉しい。
すっきりした気持ちで
来年を迎えられそうです。
2020年
どうもありがとうございました
よいお年ををお迎えください!




走り納めに行ってきました。
青山学院大学自動車部のOBと
現役在学生の皆さんと一緒の時間を過ごさせてもらえ、大変嬉しい。
すっきりした気持ちで
来年を迎えられそうです。
2020年
どうもありがとうございました
よいお年ををお迎えください!





2021/12/25
オーディション開催(S耐)
メリークリスマス!
昨年優勝したLOVEDRIVE RACING。
1月10日(月・祝)富士スピードウェイにて、スーパー耐オーディションを開催。
皆様のご応募、お待ちしております!

昨年優勝したLOVEDRIVE RACING。
1月10日(月・祝)富士スピードウェイにて、スーパー耐オーディションを開催。
皆様のご応募、お待ちしております!


2021/12/19
関西&浅草
1年ぶりに母に会いに大阪に戻ってきました。
和歌山県では
1995年にレーシングカートスクールの生徒だった南出君が開業している、
(今年はラブドライブのトレーナー)
ウィル接骨院にお邪魔してきました。
トレーニング器具もしっかり新設されてました!
僕が中学生の頃よく通っていた堺カートランドが近くて、
中学生ぶりに足を運んでみました。
子供の頃ぶりだったので特にパルクフェルメや駐車場が5分の1位の大きさに感じて驚きました。
たくさんの思いが詰まったあの頃を思い出して特別な経験ができました。
その後はある場所でコーヒーを飲んでから
東京に急いで戻り、
浅草の神谷バーの忘年会に顔出してきました。
皆様にはご挨拶できてとてもほっとしました。
ありがとうございました!




和歌山県では
1995年にレーシングカートスクールの生徒だった南出君が開業している、
(今年はラブドライブのトレーナー)
ウィル接骨院にお邪魔してきました。
トレーニング器具もしっかり新設されてました!
僕が中学生の頃よく通っていた堺カートランドが近くて、
中学生ぶりに足を運んでみました。
子供の頃ぶりだったので特にパルクフェルメや駐車場が5分の1位の大きさに感じて驚きました。
たくさんの思いが詰まったあの頃を思い出して特別な経験ができました。
その後はある場所でコーヒーを飲んでから
東京に急いで戻り、
浅草の神谷バーの忘年会に顔出してきました。
皆様にはご挨拶できてとてもほっとしました。
ありがとうございました!




