2017年度「森の風の生活」テーマ「いのちと出会う」
7月のテーマ「いのちが弾ける」
7月の聖書の言葉「これは主の御業、私たちの目には驚くべきこと。」
詩編118編23節
おそらさんの日、山の川で小さな落ち込みがあって、石の重なりの高さが1m50cmぐらいの流れ込みですが、子ども達には大きな滝に見えます。水しぶきが上がりブクブク泡が立っています。初めはそのブクブクの中に入ることも冒険。そのうち、その石の重なりの中を上がり始めます。石から飛んでみます。徐々に確かめながら挑戦し、自分の安全な範囲を広げていき、ひとつ出来るたびに「みて!飛ぶよ!」「登れた!」と本当に嬉々としていました。そうやって自分を確かめています。自分と出会いました。
昨日、やすはるさんの帰りの会の直前、木の実の取り合いが始まりました。おとなしい二人(もりさんとおそらさん)が取っ組み合いのけんかをしています。先生も話を聞きましたが、お互いに譲れないのです。「みんなぁ、J君とY君、実の取り合いになっちゃったんだって」。すると周りから何人も集まってきて、二人を引きはがそうとする子、話を聞こうとする子、「そんなことしたら痛いよ」といさめる子、何人もが何とか二人を収めようとしました。ようやく座った二人にいろんな提案をします。「二人が同じ数にしたらいいやん?」「でも実は5個…難しい…」「だったら、どちらかが全部もらって、もう一回、ようちえんで取っていったら?(ようちえんにあった実)」「J君は?」「いや」「じゃあ、Y君は?」と仲裁の子ども達も頑張りましたが、二人ともなかなか引き下がらず、時間切れとなってお母さんたちと一緒に考えてもらうことになって帰りの会が始まりました。
二人の顔を覗き込んで、一生懸命気持ちを聞き、こうしたらいいんじゃない?と一緒に考えている子の顔がなんとも健気で優しくって、少し離れてみていた私にも温かいものが流れてきました。子ども達の世界は〇と×ではできていないとも感じました。いいことと悪いことがあるのではなくて、それぞれの事情があると感じているのです。
さよならの後、今度はその仲裁に入っていたAちゃんが木に登ろうとしている足をK君もそこに立ちたくてAちゃんの足を踏んでいるのです。泣いています。それは痛かろうと少し声をかけました。Aちゃんはどうしたいの?K君はどうしたいの?「僕はここに立ってこうしていたいの」、「私はこっち側に行きたい・・ここに足を置いていると痛いんだもん」、「Aちゃんはこちら側に行きたいんだって」、「どうしたらいいかなぁ・・・」というと「そうしたら、僕がこちらに立つよ」とAちゃんを通してあげて、ことは過ぎていきました。AちゃんもK君もおひさまさん。
おはな、もり、そらと積み重ねてきてこうして自分のことも伝え、人のことも聞き、人が困っていることにも心を寄せることが出来るのです。
今月選んだ聖書の言葉は、紛争の中にあるイスラエル・パレスチナ・シリア・・・と同じ地域の3000年前の人が歌った詩です。他国から侵入され捕虜となった人達が解放されて故郷の国へ帰って来た。驚くべき恵み!と喜んでいるのです。まるで奇跡のような事が起きている。「これは人間業ではなく、神の業、私たちには驚くべきこと!」
その背景にある事柄とは別にこの言葉だけを取り出しても日常に起こるさまざまな出来事に「私たちの目に驚くべきこと」と思うことは毎日のように起きます。
4月から子ども達が出会ってきた様々いのち・・思い返してみると子ども達の毎日はいのちとの出会いだけで積み重なっていると言っていい毎日です。小さないのちとの出会い、友達といういのちとの出会い、自分といういのちとの出会い。いのちと命のつながりの中で出会いの中で日々成長していく子ども達。それは私たちの目には驚くべきことです。子ども達の成長も人間業ではありません。そして、出会いも。
7月は暑くなりそうですね。水と弾けて遊ぶ子ども達の姿が目に浮かびます。
感嘆詞の世界を存分に味わうことでしょう。
みんなで楽しみましょう。