2017年度テーマ「いのちと出会う」11月の森の風の生活「いのちが実る」
今月の聖書の言葉「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」ガラテヤの信徒への手紙5章22節
衆議院解散によって選挙がありました。その動きを注視していました。皆さん若い方々が生きていかれる時代が本当に平和で、特に今、目の前にいるこの子達が希望を持って生きていける社会をわたしたちは残していかなくてはいけないと思うと、無関心ではいられません。政治の話で恐縮ですが、「立憲民主党」という党が立ち上がりました。ふと考えてみると、「民主党」がつく党は三つあります。「自由民主党」「社会民主党」「立憲民主党」です。どこも民主主義を標榜しています。自由民主党はどうして「自由」とつけたのでしょうか。今の自民党の考える「自由」ってどのようなものなのかしら?と思います。
「自由」と言うのは「勝手」とは違います。本物の「自由」にはぴったりと「責任」がついています。そして、普遍的な「ルール」の中でこそ、自由が生きます。
立憲民主党がわざわざ「立憲」とつけた所以はどうやらそこにあるようです。
自由な世界ではみんなが自分の正義を持つことが許されます。でも、私が正しいと思うこと、あなたが正しいと思うことは違います。10人いれば10人の正義が存在します。なので、それを超えた愛が必要です。
「あなたがたは自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉(自我)に罪を得させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法(法律)全体は『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」と言われます。永遠のテーマのように感じていますが、そのように導かれたいと願います。
少し前になりますが、ひとりのスタッフからこんな話を聞きました。ある子からスイカをもらったんです。そのスイカはようちえんで食べたスイカの種からできたスイカ。「これでスイカが出来たら、先生にあげるね。」と持って帰っておうちで出来たスイカでした。お手紙付きで丁寧に包装されていました。でも、先生は種を持って帰った時に「あげるね」と言われたことをすっかり忘れていたのです。そのことに落ち込んでしまいました。持ち帰った種から芽が出て実がなるまで、一生懸命、忘れないで世話をして・・大概そのような種からは実がならないのですが、二つ実がなって一つはダメになったのですが、一つは実りました。嬉しくて慌てたのでしょうか、家に入るときに落として割れちゃったんだそうです。そのかけらを「約束したから」と持ってきたのです。先生は一晩落ち込んでしまいました。「だめだなぁ・・」と。でも、朝起きた時に「違う!自分がどうかってことではなく、子どもが素晴らしいんだ!」そう思ったときにとても楽になったんです。「先生、自分に死ぬってこういうことなんですね」。その話を聞いて私はとても感動しました。保育者は本当に幸いな職業です。自分に囚われていると子どもが見えないんです。毎日祈ります。「今日も子ども達の内にある神様の働きを見出すことが出来ますように、空っぽの手や心を与えて下さい」この子のしたことに心が洗われます。
さて、子ども達が充実してきましたね。成長してきました。昨日、「今日ね、A君が、『ねえ、何かお仕事ない?』って聞いてきたの。『うんちもトイレで出来た!』って。」とスタッフが嬉しそうに話してくれました。3歳で遅生まれのA君は自分の背負子を作れてとっても嬉しかったんですね。自分がしたいと思ったことが達成できて、お仕事につながったのでしょうか。うんちもちゃんとできました。秋だなぁと思います。必ず、子ども達は成長するし、実りの秋はそんな子ども達の姿を嬉しく見つけることのできる季節です。
おひさまさんはちゃんと歩けるようになりました。山道は石だらけです。「ちゃんとどこに足を置いたらいいか考えて歩いてるもん。大きな石とか、石の無いとことか。」瞬時に判断しているのです。自分の感覚に集中していないとそうはいきません。山に登りに行きますが、そのことを通して、自分に集中することや仲間のことを思う気持ち、自分の意識に責任を持つということが養われていきます。充実してきたおひさまさん達は、クラスの中で自分なりの役割をもって暮らすことが出来るようになります。
これから「わいわい市」に向かいますが、おひさまさんの存在は、大きいです。子ども達みんながそれぞれの場面で、やらされてではなく、自分の思いで役割を果たしながらクラスを作り上げていく姿を見ることが出来ますよ。お母さんたちも毎日本当にご苦労様です。みんなでよい一日になるように励み、それぞれが実を刈り取ることが出来ますように!