2017年度森の風の生活「いのちと出会う」3月のテーマ「春を待ついのち」
今月の聖書の言葉「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。」ヨハネによる福音書15章12節
「私たちはどんな世界を見たいと思っているのだろうか?」「何を求めてこの保育の道を進んでいるのだろうか」そのようなことをおひさまさんのお泊り保育の前に深く考えさせられていました。どこの幼稚園も保育園もやらないようなことに挑戦し続けている。4回もお泊り保育をするところなんてない。最初は一回だったのに、冬もできたら楽しいね、と2回に増やし、「山でお泊りしたい!」という子どもの声に引っ張られて、山でキャンプをするようになり、子ども達(の心)が動き出したから、間髪を入れずもう一回したらいいね、ともう一回増やし・・・。ついに2泊にしてみたらもっと子ども達の腹が括れる、と昨年から二泊の冬のお泊りを始めました。正直なところスタッフは大変です。なのに・・・。
お泊り保育の前にたどり着いた私の一つの結論は「原初の子ども達の姿に会いたい」ということでした。頭の中に出てきた絵は「もののけ姫」の最後のシーンです。でいたらぼっち(ししがみ)が死んでいくと風景が変わります。大きな命が全体を包んでいて畏敬、畏怖の念を抱かざるを得ない風景が、今、私たちが見ているような美しい自然の風景になっていく。美しいけれども何か大切なものを失ってしまった寂しさが画面に流れていました。
おそらく、「いい子」や「正解を求める姿」や「求められた姿」ではなく、本当のこの子の持っている本来の姿・・本来の喜び優しさや強さや怒りや慟哭・・腹の底から湧き上がってくる思い・・魂の衝動と出会いたいと思っていると思ったのです。
お泊りの二日目はブナ清水まで登りました。950メートルくらいあります。800mより上はまだ冬でした。残雪の中ではいい加減な気持ちでは歩けません。一歩一歩確かめながら、自分の力で歩かなくてはいけません。登りはしんどいですが、下りの方が力も注意深さも要ります。iちゃんは「行けない」と言いました。「園長先生とカレーを作って待っとく」と言いました。「自分で歩いていくのが不安だ」と言いました。「iちゃんはそんな気持ちなんだって。どうしたらみんなでブナ清水まで行けるかな。先生はおひさまさんみんなで行きたい。」「iちゃんはどうしたらブナ清水まで歩けるかな?」「tちゃんと手が繋ぎたい」「他には?」名前が上がります。その子達は「いいよ」と言う訳で「i隊」が結成されました。「みんなが一緒に行ってくれるって!!」と弾みながら私にも伝えに来てくれました。iちゃんを囲んで歩きます。手をつないで歩きます。助け合いました。その夜はみんなで達成した嬉しさで、そして、待っていたお母さんたちのおでんやカレーの美味しさで心が満たされました。寝る前のお祈りは「神さま、本当に楽しい一日をありがとうございました。新しい楽しい一日を用意して下さってありがとうございました。(aちゃん)」「お休み」「おやすみ」「おやすみ」が優しい声で飛び交っていました。帰りの会、「何が楽しかった?」にiちゃんは「一人で歩いてブナ清水まで行った」でした。そうなのです。一人で出来るようにみんなが助けたのです。すべてを見届けることはできなかったと思いますが、一人一人にドラマがありました。初めてのぶつかり合いもありました。
事前の説明会の時に、お母さんたちの「不安」「子ども達はこんな様子です」などなどを聞かせてもらいました。確かに説明不足でしたね。日数が足りない・・などスタッフの間で深く話し合いをしました。次の日、子ども達は仕留め、見届けた鹿のお肉をきれいにして料理のできる状態にしました。鹿の命をいただくということを子ども達ともう一度思いめぐらしました。お母さんたちの気持ちを聞かせてもらったからこそ、私達もスタッフ間の思いを共有し、深めることが出来ました。「鹿の命をいただく」「二泊三日のお泊り保育」「ブナ清水に登る」を通して子ども達、私たち、関わる全ての人達が、揺さぶられ、自分と向き合いました。iちゃんの「私はできない。私は不安。」と率直に自分を表現するということは友達を知り、自分と向き合うチャンスとなりました。美しい見慣れた自然ではなく、原初の子ども達の姿に出会えたように思います。 確かなその子自身の姿、それがどんなであれ、うその無い姿に出会えた時に私たちは安心します。そこから始めることが出来ます。
神様がして下さったこと、それは無条件に愛してくださったということです。過ちや弱さも含めて。「私が愛したように愛し合いなさい」心に刻んで生涯の宝としたいですね。子ども達がこれから生きていく世界に響く言葉となりますように。穏やかな春を待ちながら祈ります。