「森のようちえん」がひとつの岐路に立たされています。
幼児教育無償化が決まったからです。多くの森のようちえんは無償化の対象にはなりません。
私達、森の風は認可外保育施設としての登録をし、証明書をもらい、消費税の免除までこぎつけました。
しかし、無償化の対象にはなりません。(一部の人にはなる可能性があります)
認可外保育施設は公的な補助金は一切ありません。
保育料収入のみで経営しています。
案外皆さんに知られていないところです。
今の状況で無償化になりますと園児数の減少は避けられないと思います。
では、保育料をあげれば良い?
それは出来ません。ある限られた人達だけしか入園できないのは思いに反します。
話しは少し横道にはいりますが、
森の風を立ち上げて12年目になります。
10年経つうちに、社会の認識が変わってきました。
「自己肯定感」「非認知能力」「市民としての意識」などということが「森のようちえん」への期待として言われるようになってきたのです。社会が野外での育ちを認め始めたということです。「森と自然を活用した保育・学びの自治体ネットワーク」も立ち上がりました。
しかし、そもそも、人を育てる基盤となる幼児教育には「森のようちえん」でなくとも、
「あれなんだろう?やってみたい!もっと!という身体に刻み込まれた好奇心が育ち、いっしょにやろう!と自分のことと同じように人のことも大好きで人のことを思いやれる人」として育てる責任があります。
すでに亡くなられた大妻女子大学の学長であった大場幸夫先生は「鏡が欲しいんです」としぼりだされるように言われました。幼児教育の現状にいくつかの懸念を持っておられました。森のようちえんに対して「鏡が欲しいんです」と言われ、そして、「事例研究をして下さい」と仰ったのを良く思い出します。
何故、「森のようちえん」への期待があるのでしょうか。
それは理解できるのです。残念ながら。
「森のようちえん」としてというよりも
ひとつの教育現場として
ひとりの保育者として
ひとつの保育者集団として
一人の大人として
私達には責任があります。
子ども達の未来に対して責任があります。
森のようちえんとして、
森の風ようちえんとしての社会的責任を考えると、何としても
存続していく方向で考えなくてはなりません。
「子ども達を環境によって育てる」の「環境」の意味
「要領」などに言われている「子育て支援」の意味
「小学校との接続」の意味
それらを
総合的な「人の育ち」「人の暮らし」として考えることのできる保育現場が必要です。
「保育」は生き方だと思っています。
汐見先生は「いい保育は現代の宗教といっても良い」などと発言しておられます。
「森の風」は小さなコミュニティーです。
それでも、畑を大切に考えて下さる方々がいて、田んぼでお米を作ろうとする人々がいて、山で炭焼きをするおじさん達がいて、里山を大切にしようとする人達がいて、、、それらの人々が「子どもの未来」で繋がっていく社会がぼんやりと出来つつあります。
それは私の思い描いている理想です。
その中心には子どもの未来と共に祈りがなくてはなりません。
森の風は認可に向けて進み始めます。