2018年度 森の風の生活「愛されているわたし達」
10月の聖書の言葉
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
詩編133編1節
9月~11月テーマ「一緒に暮らそう」
おひさまさんのお泊まり保育、生憎の雨でしたが、
おひさまさん達は雨の中でもどうしたら楽しく過ごすことができるか考え、二日間を過ごして来ました。
「もりさんやおそらさん達では雨の中のお泊まり保育は出来ないんだよ」
「どうしてかわかる?」「大きくなったから?」「おそらさんたちは小さいから?」などと子ども達は言っていましたが、私はそれもこれもそうだけど、何が違うかな・・・と考えていました。森の風の子ども達は雨の日の楽しさを知っています。雨だからと言ってそんなに行動を変えません。レインウェアーを着ればいつもとおんなじって感じですが、もりさんたちとおひさまさん達の何が違うって、なんと言っても重ねてきた経験。年に何回雨の中に出かけたか、おひさまさん達は3年目をやっています。明らかに回数が違います。その中で培った、身体に刻んだ経験知が違います。
前日まで準備してきた (地面をならし、テントを建てる場所を作り、トイレを作り、薪などを集めた) テン場から離れて、イメージしてきたお泊りとは違う状況でお泊まりをする・・・さてどうやって過ごすか、どこで泊まるか・・時間をかけて話し合いをして、子ども達は山荘に泊まり、そこに海を作ることにしました。
このプロセスが本当に大切です。
1回目のお泊まり保育と繋がっていましたよ。海の中で寝たい!海を見ながら寝たい!・・テントの中には海は作れませんでしたが、山荘の軒下から大きなブルーシートを張って、そこに魚やさんご、海の生き物を作っては張っていき、森の中なのに、あたかも、海の中にいるようでした。その下でご飯を炊き、カレーを作り、その海を眺めながらご飯を食べ、そして、雨の音を聞きながらテントの中で寝たのでした。ご飯のあと、ハンカチ落としをして、みんなできゃあきゃあ言いました。そのあと、涙だったRちゃんが傍にいたので、「お泊まり保育って楽しいねえ」と言うと「うん、楽しい!」と弾んだ声でした。一晩経つとスタッフはもう一泊したくなる衝動に駆られてしまいます。なぜでしょうね。確実に関係が深くなります。
卒園したある子が毎日の生活が忙しくなるのだけれど、しぜん学校に来たい、「どうして?」とお母さんが聞くと「う〜ん、みんなと暮らしてきたからかな・・」と言ったそうです。
自分達の暮らしを作る。森の風はこの在所の暮らしに学びたいと始めました。理屈なく、ここで暮らしていた人達の知恵や自分でやってしまう技は素晴らしい。1年目、私の乗っていた車のタイヤがへこんでいるのを「やすはるおじいさん」が見つけました。歩くのもよたよたしておられるのに、自分の家からジャッキを持ってきて、予備のタイヤを出し、付け替えてしまったのです。出来る事は言うまでもなく、人の為にそんな風に体が動いてしまう・・という人としての実力に圧倒されてしまいました。そんな場面に幾度となく出会いました。在所の方々から通りすがりにどれだけ良くして頂いたか・・です。
子ども達は環境さえ整えれば必ず子どもの中の生きる力は動き出すという確信はありましたが、生活する力はそんなに無いという風に思っていました。しかし、子ども達は予想をはるかに超えた力を持っていました。子ども達は「自分で出来る」そして、「人の喜ぶことをしたい」存在であることを見せてもらって来ました。
秋になりました。二学期が始まり、二学期らしいエンジンがかかり始めます。10月は稲刈り、脱穀、芋ほりなど、田んぼや畑の仕事も忙しく、山には実りがいっぱいです。みんなで力をあわせると楽しいことがいっぱいになります。そのようなことを積み重ねて暮らすことで子ども達の中の経験知はずんずん高くなります。
今月も「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」を今月の聖書の言葉に選びました。「兄弟」という言葉を広く読んでいます。親が子どもたちが仲良く座っている姿を思うだけで幸せです。神さまから見ると私達人間が共に座っている、平和な社会を作っている、人間だけではなく造られた全ていのちと共に平和に暮らしている・・そのような世界は神さまの至上の喜びでありましょう。「そうそう、その為に私はあなた達を創造した」と仰ることでしょう。そして、それは私たち自身の幸せであるに違いありません。