2018年度 森の風の生活「愛されているわたし達」
1月2月のテーマ「心を合わせてみると」
2月の聖書の言葉「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
ローマの信徒への手紙12章16節
待ちに待った雪が降って、2日間雪で遊びました。
昨日のことです。
小さなもりさんやおはなさんが雪山から先に帰っていき、おそらさんが残ってお昼を雪の上で食べました。午後からまだ一時間たっぷり遊べる・・・みんなでもっと違うところへ行こうか!と少し歩き始めました。
池に氷が張っています。躊躇なく凍りの上へ!割れたら・・とスタッフの心配をよそに少々割れるのも楽しんで・・「あ〜ぁ」はまった・・・3cmくらいの氷でした。あの体重だったら乗れちゃうんだ・・・と思いながら歩いていくと、雪の上に足跡がいっぱいです。これは鹿かなあ、これはイノシシだね、これは肉球があって爪がある・・・と足跡がいっぱいある方へ登っていくと、そこは長いスロープ。
おそらさんたち、早速滑り始めました。それまで滑っていたところよりも長いしスピードもついてきます。いつも感心するのですが、こうしてその学年だけになった時に、やすはるさんもなかやさんもなくなってしまうのです。そりの二人乗り、三人乗りを楽しんでいるのですが、「まだ一人で滑りたい」と一人を決め込んでいたK君(やすはるさん)が、次上にあがってきたときに、友達と「一緒にすべろ^^」と一緒に乗った子はなかやさんでした。
何回か上がってきては滑っていたのですが、なかやさんのY君、「あ、園長先生久しぶり!」と初めて気がついたかのように挨拶をしてくれました。
はっきりずっしり嬉々としたY君。「いやぁ〜久しぶりって・・朝からずっと一緒だったじゃない」と思ったのですが、朝とは別人でした。ほんとのY君の姿に会ったような気がしました。「ようちえんに行きたくない、お母さんがいい・・」と泣いていました。でも泣き方が違うな、赤ちゃん泣きではないな・・と思いながら、ウッチ先生にしっかり気持は聞いてもらっていたので、(泣いている場合ではないよという感じで)「今日はみんなでお山で雪で遊ぶよ。」とちょっと声をかけました。ふと泣き止んで何かを考えているようでした。自分の周囲がしっかり見えて来ていると感じました。
「自分」という感覚が育つと、しっかり「他者」が見えてきます。「自分のことが自分で出来る」「自分は何が好きで何が嫌いか、自分は何がしたいか」「自分は今何を感じているか」そのような「自分」という感覚をしっかり育てたいと思います。それは赤ちゃんの時から始まります。赤ちゃん達は自分で何でも感じたいと思っています。何でも口に入れて確かめてみたり、触れてみたり・・・。だからトイレのトレーニングや自分で脱ぎ着をすることが大切なのです(横道にそれました)。そうやって「自分という感覚」が育ってくると他者のことも「自分ごと」として捉えられるようになります。
Y君を乗せていたK君もそうです。この二人の組み合わせと遊び方を見ていて本当に嬉しい気持でした。「いいね〜」と百里子先生に声をかけると、「うん、この頃K君すごくいい!」。
お迎えにきてくれている久恵先生に「もう少し待っていて」と連絡した礼子先生は「やっと今、おそらさんらしい遊び方になってるからもう少し遊びたい!」
3学期を向かえて、どの子もちゃんと大きくなって来ましたね。そっと小さな子に手を添えている姿はよく見ます。子ども達の描いている絵にはその子らしさや、安心や自信や想像力があふれています。
この間から山の奥の方へ出かけては雪で遊んでいるおひさまさん達と昨日一緒に行った高校生(農芸高校の2年生、インターシップで4日間来ています)は山岳部のキャプテン。「新入部員より歩き方もバランス感覚も次にどこに足を置くかも、この子達のほうがうまい」と言ってくれました。目の付け所が流石だなとそのことも嬉しかったのですが、そうやっておひさまさん達を認めてくれたことも嬉しかったです。
日頃から、山で歩く子ども達の足元を見ながら同じことを感じていました。次の一歩をどこへ置くか瞬時に判断しなければ、山は歩くことが出来ません。体幹がしっかりしていなければ、他の大切な感覚は育ってきません。人生の全ての事の根幹のように思います。
そうやって、「自分という存在」の輪郭がはっきりしてきて、「森の風の子ども達は優しい」と小学校の先生達が言ってくださるように、「お友達という存在」を良く分かり、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く人として育ってきていること、嬉しいですね。お家の方々の理解や協力の賜物ですね。感謝です。残り少ない3学期、大切に大切に喜びと感謝を持って過ごしましょう。