2019年度「森の風の生活」テーマ「ことばに満たされて〜ひびきあう〜」
年主題聖句「その人は流れのほとりに植えられた木」詩編1編:3節
12月の聖書の言葉「光は闇の中で輝いている」ヨハネによる福音書1章5節
12月のテーマ「喜ぶ」
「光は闇がないと光にはならないな〜」とぼんやり考えていました。
世の中にはどうしてこのような事をするのだろうか・・・と
思える事件が起きたりします。テレビをつけると
コメンテーターがあれやこれや言っています。
そして、私たちも皆、評論家のように自分を正しいと思えるところにおいて、誰かを「×」にしています。そして満足した気分になったりします。
けれどある時、闇役を引き受ける人は大変だな〜と思ったのです。そして、我に返って、私に対して時々、闇役を引き受けてくれている夫に申し訳ないな〜と思ったりしたのです。
自分から遠いことに関してはそんなに感情に影響なく居られますが、身近な人や自分に向けていたりしますと、つまり、○や×をつけていると、とても苦しくなります。自分の中にも闇と光があることを認めざるを得ません。他の人に闇を見つけるとき、同じように自分の中にも闇のあることが分かります。
スタッフ間で話をしていた時のことです。
この仕事をしているとやはり保護者の皆さんから
自分がどのように見られているか気になる・・・と。
どう評価されているかが気になる・・・と。
「そうだろうね〜・・分かりますよ〜」と思いつつ、
その話を他のスタッフとしていたら、ある人が
「う〜ん、評価してもらうより私は赦しが欲しいな」と言いました。
とても心に残りました。
クリスマスは光と闇の物語です。
暗闇に天使が現れ、空一杯に天使が歌います。
「恐れることはありません。救い主の誕生です。天には栄光、地に平和」。
それは暗闇の中に生きていた羊飼い達に伝えられた希望の光でした。
異教の星占いに現れたのは夜空に輝く星の光でした。
その星の光に導かれて星占いの博士達は産まれたイエスに出会います。
聖書の中にこんな一節があります。
「実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろそれを明るみに出しなさい。・・・全てのものは光にさらされて、明らかになります。明らかにされたものはみな光となるのです。」闇の部分が光になると書いてあります。
この言葉に救われました。自分が闇だと思っている部分は、
自分の一部だとは思いたくないのですから、切って捨てたいのです。
でも、それが光となるとあるのです。
闇が光に変えられるには「赦し」が「和解」が必要です。
この為にイエスキリストは生れて下さった、私の闇に赦しを与えて下さり、私の中で和解が起きるのです。
それがクリスマスのメッセージです。
子ども達が演じる「ページェント」は行進とか野外劇の意味だそうですが、文字通り野外で行うようになりました。もう部屋の中へは戻れませんね。
これまで心に蓄えてきた人にもらった優しさや、人に手渡した優しさや、悲しさや赦しや・・それらが子ども達のうちで静かに整えられてクリスマスを迎えることができますように。保育の中に静まる時、静かに神さまとお話しするときを大切にしたいと思います。おうちでも、そんな時をもたれることをお勧めします。賑やかなクリスマスではなく、静寂のうちにあるクリスマスを少し意識してみて下さい。
クリスマスを迎えるアドベント(クリスマスを待つ4週間)の間に悲しみにくれている人、希望をなくしている人、闇に閉ざされているかのように思っている人達に希望の光が与えられますようにと祈りの心をふとした瞬間に大切にしてみてはいかがでしょう。
賑やかに心の中が何かで一杯になっているときではなく、静まって心に空間があるときに雲間から光が差すように心に光が差してきます。良いクリスマスをみんなで迎えましょう。
11月も終わります。子ども達がどの学年もその年令に相応しく充実してきていることをとても嬉しく思っています。自分達で考えた、自分達で決めた、自分達がしたことはたくさんの喜びをもたらします。そんなことを毎日毎日重ねている子ども達です。わいわい市での子ども達は本当に輝いていました。外から来られた方々から感嘆の言葉を頂きました。
それは、子ども達だけではなく、お家の皆さんが心を合わせてくださっていたからですね。本当にありがとうございました。簡単に心を合わせると言ってもそこに至るプロセスがあります。そのなかには小さな「和解」や「赦し」のあったことでしょう。それを超えて喜びが溢れます。
クリスマスの喜びが皆さんのうちに私たちのうちに溢れますように。