2019年度「森の風の生活」テーマ「ことばに満たされて〜ひびきあう〜」
年主題聖句「その人は流れのほとりに植えられた木」詩編1編:3節
3月の聖書の言葉「いかに幸いなことでしょう。あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は。嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。」詩編84編6〜7節
3月のテーマ「かけがえのない」
先日の礼拝の時のことです。子ども達が歌います。「主よ~♪今日一日貧しい人や病んでいる人々を助ける為に〜私の手をお望みでしたら、今日私の手をお使い下さい。」マザーテレサの祈りとして歌われています。本当にきれいな声でした。みんなの心が静まり、ひとつになっていると感じました。その声が司会をしていたわかな先生の心に沁みました。思わず涙が出てしまったのです。
私はお話の席に座る直前、しようとしていた話をやめ、別の話をすることに決めました。「富める青年の話」の話にしました。
「先生、天国へ行くにはどんな善い事をすればいいのですか?」と金持ちの青年がイエスのところにやってきます。「昔から伝えられているように、神を愛し自分を愛するように隣人を愛しなさい。10の戒めを守りなさい。」「先生それらのことは小さい頃から守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」「完全になりたいのなら、持ち物を全部売って貧しい人に施しなさい。」すると青年はこの言葉を聞いて悲しみながら立ち去った。沢山の財産を持っていたからである、という話です。その青年の後姿をイエスはどんな気持で見送られたでしょうか。
胸を張って「それらのことは小さい頃からみな守って来ました。」という姿勢。よくスタッフから「自信が無いんです」と言われます。「私で良いんでしょうか」。その時私は大抵「自信満々だと困るよね~」と言います。自信満々とはコップに水が一杯に入っているような状態です。そうしたら、もう水は入りません。空っぽの手だとそこに神様は宝を盛ってくださいます。自分の弱さや至らなさを知っていて、自分に打ちひしがれている、そのような自分を知っているとそこに豊かな水を注いでいただけるのです。
子ども達には「時々意地悪な気持ちになるよね」「怒って、もう許さないって言うよね」「お父さんやお母さんの言うことを聞かないこともあるよね」と話すとある子が「ぼく、よくすねる」と言いました。拗ねてしまうと自分でも出口が分からなくなるんでしょうね。「全て守って来ました」という姿勢とは違います。そのように自分のことを言う子どもを愛おしいと思います。神さまも同じように愛おしいと思ってくださるのでしょうね。
そんな姿をわかな先生に見出しました。時々先生たちは子ども達の讃美歌を歌う声に涙します。沁みてくるのです。まるで子ども達から施しを受けているようです。
先日、県の福祉監査課の方が申請書の不足や手直しなどの話に来て下さって、フィールドも見ていかれました。審査の時に森の風に代わって説明をする為に、この状況や思いを肌で感じて下さろうとしておられました。そして、「先生、誰でもが出来ることではないですね。沢山の人達を繋いでいく仕事ですね。」「福祉を根底から支える仕事」とも言われました。それを聞いて、これは多分、私がお金持ちで、能力もあり、いろんなことが出来る人だったらここまで来れなかったと思ったのです。本当に弱さ、至らなさが人を繋いでいくのだと思います。ただただありがたい気持でいっぱいです。
礼拝の時のわかな先生の話に戻ると「私うまく出来ないんです、という気持で悲しい時もあるんだって、だからみんなのきれいで優しい声が心の中に沁み込んで来て涙が出てしまったんだよ。」と言うと「嬉しかったんだ」と言われました。
子ども達の目がきらきらして、みんな嬉しそうで、みんながまたひとつになった瞬間でした。嬉しい空気をみんなで感じました。
百の言葉より一つの出来事ですね。
こんなふうに、分かち合える仲間になってきたみんなです。お互いに静かに自分のことを思い、人のことを思うことの出来る場をみんなで作って来ました。お互いにかけがえのない仲間となりました。そして、そのような私たちのたどたどしい歩みを一緒に喜んだり楽しんで下さったお家の皆様も仲間です。
3月一人ひとり「かけがえのない」時間を「かけがえのない」仲間と過ごしてまいりましょう。