先週の週末、お葬式と結婚式に参列をしてきました。
予定は広島である結婚式のみでした。
出かける前日田んぼで遅くまで作業をして・・
また蛍の時間になってしまったな・・・と蛍を楽しんでいましたら
広島の友人より「姉が今日亡くなりました」の訃報。
私と同い年の友人。
先に妹さんとも親しいお付き合いをさせていただいていました。
心を患い、長い苦しみのさなか、熱中症を起こし、
倒れてそのまま2年間の闘病生活でした。
2年間物言わぬお姉さんを看病し続けた妹さんのご苦労は
どれほどのものだったでしょうか。
「最初は神様はなんと言うむごいことをするのか・・」
「そして、何とか奇跡が起きてまた元気な姉に戻らないか・・と思っていました。」
「でも、別の奇跡が起きました。姉は私や私の家族に2年間かかって大切なことを教えてくれ、私を癒してくれました。」
付箋やはさんである栞で分厚くなってしまったお姉さんの聖書が
神様への渇望を表していました。
お姉さん自身が苦しみの中で求めていた姿・・
神様の愛を信じきる、自分をゆだねる・・神様の手の中に安心する・・
そのような姿にお姉さんを看病しながら変えられていく妹さんを私も見ました。
結婚式の前夜、天国への門出をお送りすることが出来たのは
全く不思議な出来事でした。
そして結婚式。
神様に祝福された新しい家庭の門出に参ずることが出来たのも
とても大きな喜びでした。
実は広島へ向かう列車の中、もう一人の大切な友人の訃報。
帰るとまた、お葬式でした。
静かな静かな沈黙の人。
どれほどその静けさに助けられたでしょうか。
見る影も無くやせてしまわれた姿は
「人は何も持たないで、神様のところに帰るんですよ」と
語りかけてくださるかのようでした。
人の本来の姿はこの姿なんだな・・と見舞いながら愛しく思いました。
そして、その姿を私は一生忘れないと思います。
どの門出も神様の手の中でした。