いつあっても初対面のおばあさんがいる。
「あんた、どこのひと?」
「どこにすんどるん?」
「ちくさよ」
「そうなん、千草!」
そんな話を何回しただろうか。
桑名からお嫁に来て百姓のことは何も知らなかった・・
全部お父さんに教えてもらった・・
嫁いでくる前は中島飛行機に勤めていた・・
そんなことも何度か聞いた。
そういえば私も父から中島飛行機の名前を聞いたことがある・・
戦争当時四日市にあったのだ。
「中島飛行機のことしっとるん?!嬉しいわ〜」と
目を輝かせて言われたが、
そんなに喜んでもらうほど知っているわけではなく
申し訳ない思いがしたが
その日はなぜかまだまだ話を続けてくださった。
「お父さんがいい人やったん。ちっとも怒らずに教えてくれたん」
「お父さんが勤めに出ているときは、私が3反の田んぼをひとり稲を刈って
束ねてな・・。おばあさんがいい人やったで、
子どもをみといたるって言ってくれて預けて仕事ができたん。」
「私は幸せや・・有難い」
「あんな、私はお父さんの言うとおりにしてきたん、口答えせずに。
私が勝ってしもたらお父さんの価値がのうなるやろ。」
そのお父さんといわれるご主人にも息子さんにもお世話になっている。
しかし、言葉が無い。
3反の田んぼを一人で稲刈りをして束ねるとはどれほど大変なことか
今少し真似事をさせてもらって多少は解るつもりである。
苦労がひとつも無かったとは考えられない。
きれいなかわいい顔をされたおばあちゃん。
最初に会ったときに
「あれ、あんた、べっぴんさんやな。めがねかけてござるのに」
といわれて思わず
「おばあちゃんもかわいい方ねぇ」と言ったのだが
「幼子のような」とはこういうことか・・と思った。
しかし、「私が勝ったらお父さんの価値が無くなる」は
幼子を通り越して神様の域。
80歳を超えると聖年期というとか。
幼子に戻り神様に近づけるのか
貧しく生きたい・・無所有で生きたいと願うが
私も、後30年したらそんな風になれるだろうか。