5月の聖書の言葉「神は愛です」ヨハネ第一の手紙 4章16節
この聖書の言葉を一度はお聞きになったことがあるのではないでしょうか。しかし、この度の大地震などで目の前で大切な人や住む家を失ったり、生活の糧であった農地を失ったり・・ということが起きると人は誰でも神も仏もあるものかと、ふと思ってしまうのではないでしょうか。それでなくとも、大変苦しいことに見舞われたり、出口がないような困難に出会ったりすると、希望を失い、自分が愛されている存在であることを忘れてしまいます。
昨日、聖書の会をしました。4月の聖書の言葉の箇所をみんなで読みました。「恐怖のあまり声を上げた」という箇所で、「私も何かをしようとするときに必ず恐怖心が起きる」という方、ペテロが見て恐れた「強い風」を起こしているのは自分自身だったと気がついたという方、、、それぞれ自分に照らして自然に湧いて来る気づきにお互いに心の中に心地よい風を起こされながら、自分の中に与えられた言葉が着地して行きます。私は「二人(イエスとペテロ)が舟に乗ると風は静まった」というところに新たに心が留まりました。環境が起こす風にしろ、自分自身が妄想の中で巻き起こしてしまう風にしろ、イエスと二人で舟に乗ったときに風がやんだということにとても意味を感じました。イエスは恐れる弟子達にすぐに声をかけ「安心しなさい」と言われ、沈みかけるペテロをすぐに手を伸ばして引き上げ・・・風に翻弄される私達のすぐ傍にいてくださり、共に舟に乗って下さるのです。
「神は愛です。」このことを信じないのか、疑うのか、信じたいと思っているのか、あるいは全幅の信頼を持つのか。それによって人生態度は変わってきます。子ども達はといえば、お父さん、お母さんに「自分は愛されている」と信じきっていますね。そのような子ども達を前において「子ども達のように神の国を受け入れる者」と私達が学ぶように諭されました。
今月のテーマ「気づき」
キリスト教保育の今月のテーマです。
月の願いとして
「*神様に愛され、守られていることを知る。*興味のあることを見つけて、自分から関わろうとする。*友達とのふれあいやかかわりが生まれる*じぶんの気持ちや気づいたことを身近な人に伝えようとする。」とあります。
自分の居場所に安心できたら、子ども達は動き出します。
とても穏やかに始まった今年度でした。
しかし、今週あたりから動き出しましたよ。
少し緊張していた子ども達もほぐれて自分の思いを出し始めました。
そんな時、やはり自然の中は本当に有難いです。
なかやさんもやすはるさんも一日田んぼや畑や秘密基地で過ごしました。
(4月にこんな動きが出来るのは本当に有難いことです。)
高い木の上から2センチほどの虫がブラ〜んとぶら下がって、
何匹も風に揺れています。どうして木の上から降りて来てしまったんでしょうね。秘密基地の入り口にぶら下がっているものですから、みんなの目に入ります。ブランコのように揺すって楽しみました。鹿の角を拾ったお友達もいました。秘密基地の近くでですよ。
鶏さん達もよく卵を産みますから、手に手に卵を抱いてみます。もちろんお母さんもおなかの下に抱いているので、そっと見せてもらいます。
田んぼでは、もう夏?と思うくらい田んぼに入って泥んこになり、川に入り、水場でとめどなく遊びました。この間、籾蒔きをしていただきましたが、もち米はもう芽が出ていましたよ。うるち米はイセヒカリという品種で、中手ですから少しゆっくり芽が出てきます。
水を張ったので、かえるが大喜びであちらにもこちらにも卵を産んでいます。卵の中でもう生まれてきそうなおたまじゃくしがいて田んぼに(やすはる)おひさまさんの男の子達が永慈先生と入っていて、ちょうど小さな卵のゼリーから出てくるところを発見したそうです。「なんでお母さんが温めていないのにちゃんと産まれてくるんやろ?」というと「太陽の力や!」とてるま君、「そうか、たい(大森太陽君)やるなあ」「違う、上!」と空を指し・・しかし、しばらくして「永慈先生見て!」というので見ると、卵の上にまるで鶏のお母さんのように温める格好をしていたそうで^^
溢れるばかりのいのちに囲まれて、私達は幸せです。毎日どれほどのいのちと出会うでしょうか。私達には計り知れないほどの宝を子ども達は体中で感じ、友達と分かち合い、また深く自分の中に刻み込んでいることと思います。心地よい5月、お家の方もご一緒に落ち葉の森で少し汗をかいて過ごしましょう。お楽しみに!