ゲーテアヌム建設現場で講義するルドルフ・シュタイナー(唯一の写真)        「ラディカル」とは「ラディッシュ」と同じ語源で、「根源的」という意味。表面のみならず、その「根」を見ようとすること。このブログはそういった意味でラディカルでありたい。

2016/9/23

修正人智学・その二 東アジア人の人智学  21世紀の人智学

 1920年代後半に仏教学者の渡辺照宏が人智学に遭遇したのはベルリンだった。その後、玉川学園創始者、小原國芳がルドルフ・シュタイナーの「全人教育」に着目し、フィヒテ研究で有名な哲学者、務台理作が人智学を研究した。

 もう100年近くも日本には人智学研究の歴史が存する。

 1970年代には美学者で歴史学者の高橋巖が、ルドルフ・シュタイナーの主著「神智学」を翻訳。その後も数多くの訳書や、人智学に関する著作が出版された。

 はっきり言って、ドイツ語や英語が出来なくても充分に人智学研究が出来る環境が、日本にはある。

 私は、長年ドイツで働いていたから知っているが、日本に来て人智学について講演をするドイツ人の中には、昔の「宣教師」気取りの者も少なからずいた。

 そう、「未開」の日本人に、東アジア人に宣教するつもりで。

 そういった人の多くは、日本語が出来ない、日本語に関心が無い、笑いながら「コンニッチワッ」という程度だ。

 ベネッシュ博士も今月他界したシュレーダー氏も、日本語は出来なかったが、講演会の前に必ず、自分が日本語が出来ないことを「謝って」いた。

 そして両者とも、全身全霊で「日本文化」を理解しようとしていた。神道や仏教に関するベネッシュ博士のインスピレーションから私は非常に多くを学んだ。

 シュレーダー氏も同様だが、彼は、出される和食をすべて平らげていた。魚介類が苦手だと後で知ったが、彼は、刺身やサザエの壺焼きの緑色の肝まで食べていた。

 尊敬に値する人物だ。

 ヨーロッパの文化には、やはり拭いがたい「支配欲」がある。自分より劣った者を有無を言わさず支配する傾向だ。

 そして、私はヨーロッパは、大きな「田舎」だと思っている。だから「外」のことを知らない、あまり関心が無い。自分が一番だと思っている。そこからある意味独特の文化が生まれた。

 人智学徒にも同じ事が言える。

 今こそ、東アジアに、そして日本にふさわしい人智学を構築するときだと思う。

 手始めに、飲食に関する絶対的な「自由」から始めてみてはいかがなものだろう。

 昨日、私は生まれて初めて「ケンタッキーフライドチキン」を食べてみたが、はっきり言ってそんなに旨いものではなかった。

 しかし、これで判断が出来る。推測ではない判断が出来る。

 そして、神道や仏教と真剣に向き合うことだ。そこには、既製のあらゆるキリスト教よりも真に霊的な「キリスト」が名前を変えて輝いている。

 おおらかで懐の深い人智学は、日本ではまったく可能だろう。

 1978年にドイツ留学をして、人智学を学んだが、最初に驚いたのは、そのタブーの多さだった。戒律と言ってもいい、不文律の。

 アルコールを飲んではいけない。一滴のアルコールで今までの霊的修行の成果が一瞬で消えてしまう。

 白いパンを食べてはいけない。

 肉も食べるべきではない。食べるならチキンか七面鳥だ。

 化繊は着るな。

 ガムを噛んではいけない。アメリカ人のようになる。

 だからコーラなどもってのほかだ。

 朝、シャワーを浴びてはいけない。エーテル体が弱まる。

 キノコは自我を弱める。

 テレビを観てはいけない。

 音楽はクラシックのみ。ジョン・レノンが殺されたとき、彼のことを知っている人智学徒は皆無だった。今考えてみると恐ろしい。

 他にも多数の「戒律」がある。こうしてみるとイスラム教の方が自由があるように思える。

 「自由」を謳う人智学、いつどこでどう間違ったのか?


 日本の人智学はおおらかでありたい。霊界は人間が思うよりも素晴らしく「寛容」なのだから。

       
       クリックすると元のサイズで表示します

 「こんな風になる筈ではなかったのになあ!」と言っているかいないかは分かりませんが。
26



2016/10/11  5:53

投稿者:ダイスケ

僕もそう思います。
以前カッセルで全然ドグマ的でない今風の若者の発言を聞いてびっくりした事があります。
本当に場所によって違いますね。

2016/10/8  15:23

投稿者:naoskoba

ダイスケ様

 そうですか、少しドグマ的なのは緩和されているのですね。一番ドグマチックなのは南ドイツだと思います。

 ライン地方やルール地方はかなりゆるかったと思います。

2016/10/8  4:59

投稿者:ダイスケ

直生さん、今はそこまでドグマ的では無いのではないかと僕は感じますが、でも「宣教師」の件、「大きな田舎」の件、同感です。アジア人に対してだけではありません。学び始めの人に対する上からの正しい雷のような喋り方、もはや話し方とも云えません、今でもちょくちょく目にします。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ