2010/10/7
労働の意味は変わった・「働かざる者食うべからず」?その2 21世紀の人智学
レーニンが引用した「テサロニケ人への第二の手紙」を、何度も読んでみました。福音書の霊的背景を考慮して訳された、エミール・ボック版「新約聖書」でも、確認しましたが、どう訳しても、「働くつもりがないなら、食べるべきではない」という訳になるようです。
ただし、ここで「食べる」と言われていることを、キリスト教で一番大切な典礼のひとつである「聖体拝領」、すなわち儀式の場で、キリストを「パン」と「ワイン」の形でいただくことであると、解釈することは十分に可能であると気づきました。
霊的な「働き」をせずに、「聖体拝領(コムニオン)」にあずかるべきではない、とパウロは言っているのではないでしょうか。この言葉の記されている第三章10節の前後を読んでみると、この解釈は間違いではないことが理解されると思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?
これは、結構特異なことですが、キリスト教の中心的儀式は「食事」なのです。「食べる」ことが、最大級の宗教的行為なのです。この事を念頭にこのパウロ書簡を読むと、また別の次元が開けて参ります。
この大切なパウロの言葉を、レーニンは、経済を支える「労働」とし、食うことを「生存権」に結びつけたのです。すなわち、「経済的労働をしない者は、生きるべきではない」と。まったく別の次元の言葉を、ある意味、無理矢理、地上的「経済活動」に結びつけたのです。だから、ベーシックインカムを批判する人が、このパウロの言葉を引用するのは、誤用であり、「お門違い」であると言わざるをえません。
つづく

現在のギリシャ北部の都市テサロニキ。私は、1986年にここを訪れました。

古代都市の遺跡。
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ただし、ここで「食べる」と言われていることを、キリスト教で一番大切な典礼のひとつである「聖体拝領」、すなわち儀式の場で、キリストを「パン」と「ワイン」の形でいただくことであると、解釈することは十分に可能であると気づきました。
霊的な「働き」をせずに、「聖体拝領(コムニオン)」にあずかるべきではない、とパウロは言っているのではないでしょうか。この言葉の記されている第三章10節の前後を読んでみると、この解釈は間違いではないことが理解されると思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか?
これは、結構特異なことですが、キリスト教の中心的儀式は「食事」なのです。「食べる」ことが、最大級の宗教的行為なのです。この事を念頭にこのパウロ書簡を読むと、また別の次元が開けて参ります。
この大切なパウロの言葉を、レーニンは、経済を支える「労働」とし、食うことを「生存権」に結びつけたのです。すなわち、「経済的労働をしない者は、生きるべきではない」と。まったく別の次元の言葉を、ある意味、無理矢理、地上的「経済活動」に結びつけたのです。だから、ベーシックインカムを批判する人が、このパウロの言葉を引用するのは、誤用であり、「お門違い」であると言わざるをえません。
つづく

現在のギリシャ北部の都市テサロニキ。私は、1986年にここを訪れました。

古代都市の遺跡。


2010/10/19 8:53
投稿者:小林直生
るるん様 久々のコメントをありがとうございます。そうですね。自由に意見を交換する、これには私も大賛成です。
2010/10/13 16:20
投稿者:るるん
小林さん、お久しぶりです。
パソコンの故障やら何やら考えるところもあって、約一年ぶりにブログ訪問しています。
「働くつもりがないなら、食べるべきではない」は、その言葉どおりに受け止めるべきではないかと思います。
働かずにお金を儲ける職業は、現代にも過去にも、たくさんあります。
そしてこの言葉は、「働くつもりがないなら」であって、働きたくても働けない人は含まれていません。
ベーシック・インカムがどんなに素晴らしい制度であったとしても、これは人間が考え出したことだから、必ず良い面と悪い面がある蓮です。
悪い面から目を背けるような論理を押し通して、ベーシック・インカムに一切の批判を許さないような、今の人智学シーンは、どこかがおかしいと思います。
ベーシック・インカムに熱狂するみなさんに、「神智学」第3版まえがきのゲーテの言葉を捧げます。
悪い面にしっかり目を向け、それをどう乗り越えていくか、そんな話し合いができてこそ、実現に向かうのではないでしょうか。
パソコンの故障やら何やら考えるところもあって、約一年ぶりにブログ訪問しています。
「働くつもりがないなら、食べるべきではない」は、その言葉どおりに受け止めるべきではないかと思います。
働かずにお金を儲ける職業は、現代にも過去にも、たくさんあります。
そしてこの言葉は、「働くつもりがないなら」であって、働きたくても働けない人は含まれていません。
ベーシック・インカムがどんなに素晴らしい制度であったとしても、これは人間が考え出したことだから、必ず良い面と悪い面がある蓮です。
悪い面から目を背けるような論理を押し通して、ベーシック・インカムに一切の批判を許さないような、今の人智学シーンは、どこかがおかしいと思います。
ベーシック・インカムに熱狂するみなさんに、「神智学」第3版まえがきのゲーテの言葉を捧げます。
悪い面にしっかり目を向け、それをどう乗り越えていくか、そんな話し合いができてこそ、実現に向かうのではないでしょうか。