ゲーテアヌム建設現場で講義するルドルフ・シュタイナー(唯一の写真)        「ラディカル」とは「ラディッシュ」と同じ語源で、「根源的」という意味。表面のみならず、その「根」を見ようとすること。このブログはそういった意味でラディカルでありたい。

2010/12/22

キリスト者共同体友の会入会へのお薦め  21世紀の人智学

 ドイツとスイスにキリスト者共同体が創立されたのは1922年、大正11年でした。来年生誕150周年を迎えるルドルフ・シュタイナー(1861-1925)は、彼が創立した「一般人智学協会」とは別に、このキリスト者共同体の創立に深く関わり、多くの助言を与えてくれました。ドグマや教義といった、「外からの権威」に頼らずにキリスト教は、現代人の自立した自我と自由を前提に、どのように発展することが出来るのか?この問いへの、あくまでも、ひとつの答えがキリスト者共同体です。

 日本には、2000年の聖霊降臨祭に創設され、まず、東京集会が出来ましたが、今、新たに関西にも集会が出来ようとしています。その為にも、皆さんのご支援が必要です。

 もしよろしければ、「友の会」へご入会されませんか?月一口1000円の会費で、毎月会報「エマオス」、そして、年に4回発行される季刊誌「礎」を読むことが出来ます。私は、「礎」の編集部にも加わっており、今号のクリスマス号「特集 音楽−霊性と宗教性」には、「マイケル・ジャクソンとマニ教的なるもの」という文章も書いております。

 さらに、「エマオス」巻頭文には、ヨハネ福音書の部分訳と「クリスマスのメディテーション」という文章を書きました。

 見本として、その原稿を以下に紹介いたします。皆さん、どうぞよろしくお願いします。

 友の会へ入会を希望される方は、どうぞ、私の方へメールして下さい。

     naos2009@live.jp または、naos@aol.jp へどうぞ。


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ヨハネ福音書第21章、15-25節

 たがいに食事を終えると、イエスはシモン・ペトロに言われた、「シモン、ヨハネの子よ、お前は、ここにいる者達以上に、私を、神が人間を愛するように愛するか(アガペー)?」。 ペトロは答えて言った、「そうです、主よ、私があなたを、人間が人間を愛するように愛していること(フィリア)は、ご存じの通りです」。
イエスは彼に言われた、「私の仔羊たちの番をしなさい」。

 そして、イエスはもう一度彼に問うた、「シモン、ヨハネの子よ、神が人間を愛するように、お前は私を愛するか(アガペー)?」。 ペトロは答えて言った、「そうですとも、主よ、私があなたを、人間が人間を愛するように愛していること(フィリア)は、ご存じの通りです」。 イエスは彼に言った、「私の羊たちを守りなさい」。

 その後、イエスは3度目に言われた、「シモン、ヨハネの子よ、お前は私を、人間が人間を愛するように愛するか(フィリア)?」。 ペトロは、イエスが三度も「私を愛するか(フィリア)?」と問うたことに心を痛めて答えた、「主よ、すべてがあなたの前では明らかなのです。 だから、私が、あなたを愛していること(フィリア)はご存じの筈です」。 イエスは彼に言った、「私の羊たちの番をしなさい」。

 「アーメン、アーメン、私はお前に告げよう。 お前が若かった頃には、自分で帯を締めて、自分の行きたいところへ行くことが出来た。 しかし、年をとって老いたなら、お前は両の手をひろげて助けを求めるようになる。すると、他の者が一人来て、お前に帯を締め、お前の行きたくないところへ連れて行くだろう」。 イエスがこれを言ったのは、どのような死に方で、ペトロが神なるものを明らかにするのかを、暗示するためであった。 こう言うと、イエスは彼に言った、「我に従え!」。

 ペテロは振り返り、イエスが愛しておられた(アガペー)弟子を見た。この弟子は、彼らの後から、皆と同じ道を歩んでいた。彼は、あの晩餐の時、イエスの胸元に寄りかかり、「主よ、あなたを裏切ろうとしているのは誰なのでしょうか?」と問うた者である。 ペテロは、この弟子を見ながら問うた、「主よ、この者はどうなるのですか?」 イエスはペテロに言った、「私の来るまで、この者が留まっていることを、私が欲していようとも、それは、お前のゆく道々にかかわることではない。お前は私に従いなさい」。

 ここから弟子達の間でこんな思いが広まった: この弟子は死なない。 イエスはしかしペトロに、「この者は死なない」と言ったのではなく、「私の来るまで、この者が留まっていることを、私が欲していようとも、それは、お前のゆく道々にかかわることではない」と、言われたのである。

 ここでこれらのことを明らかにし、そしてそれをすべてしたためたのは、この弟子である。そして、私たちは、その弟子の証言が真実であることを知っている。イエスが成し遂げたことは、他にもまだまだ多くある。もしそれらをひとつひとつすべてしたためようと思うなら、全世界をもってしても、書くべきことをすべてしたためた書物のすべてを収める場所を提供することは出来ないと、私は思う。

       ( 第三クリスマス聖化式から朗読されるペリコーペの全訳 )

 
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            クリスマスのメディテーション

                              小林直生

 たとえ人間(ペトロ)が、それにまったく気づかなくとも、神の愛(アガペー)は、人間のか細い愛(フィリア)の中に下り降りて、新たに生まれる。そこには、心を痛める人間がいる。神がお前の中に、生まれたのに、お前は心を痛める。その痛みが、本当は、大変な、とてつもなく大きな愛が生まれたことへの喜びだと言うことを、どうして、すぐに分からないのか。しかし、それを、じっと見つめ、喜びを超えて、未来を見据えることの出来る高次の自我(ラザロ・ヨハネ)が、心の痛みのすぐそばに立っている。

 そうだ、キリストによって秘儀にあずかった二人目の弟子(一人目は、後にマニに転生した、あのナインの青年だ)、ラザロは、死から立ち帰って、「主に愛された弟子」、ヨハネになったのだ。

 12という数は、完全なる13という数への憧れだ。12弟子は、ラザロを迎えて13弟子となった。しかし、イスカリオのユダが消え、また、弟子の数は12人となり、憧れは強まった。今度は、キリストが、人間の愛の中へ舞い降りてきて、また、憧れの12は、成就の13となる。

 爾来、どんなささやかな、一見つまらなさそうな、人間のか細い愛の力の中に、キリストの愛の力が宿っている。宇宙を創造した時の、あのキリストの愛の力が。そう、あの創(はじめ)の時のように、熱に満ちて、力強く。

 2011年を、生き甲斐のある一年とする聖誕祭が始まろうとしている。良き光と熱に満たされた、クリスマスが、皆のひとりひとりに訪れる。

 ペトロよ、もう心を痛めることはない。
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