2006/2/3

ひらめきと手仕事  舞台裏のひとりごと
意外に思われるかもしれませんが、現代のクラシック界では
普通、演奏家と作曲家の関係というのはかなり疎遠なものです。

他の音楽のジャンルなら、シンガーソングライター、という存在は当然でも、
クラシック界では演奏家と作曲家の分業のほうがあたりまえのこと、
自作自演の演奏家はむしろ稀な存在です。

優れた演奏家でもあったバッハやモーツァルトやベートーヴェンその他の
作曲家たちが残した作品を現代の演奏家たちは時間とエネルギーを費やして
練習し、演奏をする。その一方で、作曲家と呼ばれる人たちは孤独な
デスクワークに励み作品を作り上げている。

いつのころからこういう分業がすすみはじめたのか、この傾向はこのまま
ずっと続くものなのか・・・。


私自身はまったく、音楽をゼロから生み出す、という欲求にも才能にも欠けていますが
レパートリーの全く無い、ヴァイオリン・ギター・コントラバス、ヴァイオリン・
アコーディオン・コントラバスのトリオや尺八・筝や琵琶とのアンサンブルに
夢中だったお陰で、作曲家との密なやりとりは演奏活動に欠かせないものでした。

何しろ、新しく曲をどんどん注文しなければ、タネがすぐつきてしまうのですから・・。

それまで、楽譜屋へ行けば棚には一生かかっても弾き切れないほど楽譜が
並んでいるのが当たり前だと思っていたのに、パート譜は自分でそれぞれ手書き、
作曲家の生みの苦しみを間近に見、作品が出来上がった後でも、長いことかけて
ああでもないこうでもない、作曲家と共同で手直しをしたり、気に入った作品を
どんどん別な編成に編曲しなおしてもらったり。

音楽が生まれる現場に居合わせる、という随分幸せな経験をしてきたのだと
思います。作品あっての演奏家、ひらめきを形にする、作品に命をふきこむ、
聴衆あってこその現場に居合わせる、という実感を得るための欠かせない
体験でした。

千葉市美術館で開催されているスイス現代絵画展関連で行なわれる
2月12日のコンサートに備えて、ものすごく久しぶり、
ひょっとして前回演奏してから10年以上ぶりくらいになる曲もある
スイス人作曲家たちの作品をとりだして練習しています。

サミュエル・ラングマイヤー、故エルマノ・マッジーニ、
ルドルフ・ケルターボルン、それに我らがワルター・ギーガー、
この4人のスイス人作曲家の作品によるプログラム、大半が、
こういった室内楽活動を始めた20年も昔に作品を書いてもらった
懐かしい顔ぶれ、そしてどれも繰り返し演奏されるに足る、
個性豊かで力のある作品たちです。

久しぶりに楽譜をとりだし音にしてみると、ああ、この作品は
あの作曲家から生まれたんだった、作品を通して生身の個人である
作者とのふれあいの実感があらためて思い出される、そして、
初めて生まれたての湯気がたっている譜面と悪戦苦闘していた
若い自分を思い浮かべる、ちょっと不思議な感覚です。



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