2015/10/3

大阪・君が代不起立による戒告処分撤回裁判の第1回法廷から(2)  X日の丸・君が代関連ニュース
 ◎ 原告意見陳述書
キリスト者にとって「慣例上の儀礼的所作」を通り越して70年前と同じ宗教行為
2015年9月30日
原告 奥 野 泰 孝

 私は2012年3月27日、戒告処分を受けました。支援学校の卒業式の「国歌斉唱」時の不起立の為です。起立斉唱の「職務命令」を違反したと言うのです。
 私は、この起立斉唱の「職務命令」と2011年6月に府議会で可決したいわゆる「国旗国歌条例」は、憲法20条信教の自由を侵し、直接的制約になっていると思います。
 天皇制は戦前国家神道として宗教でした。そして、国民は宮城遥拝を強いられました。クリスチャンは「私の神はイエス・キリストだけ」と言っても「国民なら父である天皇を敬うのは当然、教会の礼拝の前に宮城遥拝をしなさい」と強要されました。「君が代」の内容は天皇の讃美歌になっていて、学校において行事や祭日に斉唱させられました。戦争が終わるまではこれらの行為は国家による宗教活動でした。天皇が教祖です。


 宗教活動は内面の問題ではありますが、具体的な行為が重要です。神と自分の関係をどう表わすか。これは形式ではなく本質です。愛と行為についての関係と同じです。本当の愛は相手のために自分を犠牲にするところまで行きます。愛や信仰は行為に現れなければないのと同じです。また礼拝などでいつも同じ形で行為するということは神への服従を意味します。
 以上のような理由で、たとえ起立斉唱が「慣例上の儀礼的所作」と定義されても、その行為は70年前までの宗教行為と同じです。その記憶を迫害を受けたキリスト者から聞いている者にとって、「慣例上の儀礼的所作」を通り越して宗教行為なのです。
 信仰は自発的な神への服従なので、神の前で、信徒たちは同じ所作で讃美歌を歌います。神に服従することを表し、神の愛(イエスの十字架での犠牲)に答えるのです。ただ、キリスト教会では讃美歌を起立しなくても歌わなくても戒告などの処分はありません。その人が座っていても神への服従と愛は変わらないと思っていたら問題ないのです。

 慣例であるなら命令は不要です。命令にするのは「一人もその慣例を行わないものを出さない」という決意からです。これは人を支配しようとするもので全体主義の下の国家宗教と同じです。
 戦後70年経っていても、「君が代」を国歌とし起立斉唱をする、というのは、本来の「宗教」ではないかもしれませんが「国家神道」という「宗教」の「宗教行為」です。これを強制することは直接的制約です。それは特に自分が信仰する別の対象を持っている者にとってです。
 また、大阪府の「国旗国歌条例」の目的を読むと、公務員だけではなく府民の内面にも踏み込んでくる宗教の押し付けになっています。この条例をもとに、これに違反すると懲戒処分を出すとした、教育長の職務命令は無効です。
 よってその不起立の行為のみによって戒告処分にするのは間違いです。
 大阪府教育委員会懲戒処分指針の基本事項に「職務命令違反」というのがありません。また「標準例」として挙げられている事例にも「職務命令違反」なるものがなく、「具体的に何をしたか」が処分決定に際し要点となると読み取れます。ということは、職務命令違反の行為が具体的にどうであったかを検討しないと、懲戒処分指針にひっかかりません。職務命令そのものが妥当であったかどうかを検証しなければ、懲戒処分に当たるかどうかも検討に入れないことになるとおもいます。
 私に対し府教委は処分説明で「非行」なる言葉を使っていますが、私は卒業式で式場を混乱させた事実はなく、管理職がそのような報告をしているとすれば、それは「虚偽の報告」ということで、その報告者が懲戒処分の対象になるかもしれないと思います。

 イエス・キリストは、もっとも重要な掟として二つ上げました。 
  「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい
  「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい
 二つ目は仕事を含めた社会生活において具体的に言葉と行為によって表現して行きたいと思います。
 一つ目は内面の問題で、神と私の間の確認事項です。私はこの二つの掟(命令)を中心に神のことばを思い浮かべながら祈りという行為をしています。卒業式前もそうです。迷っているのです。信仰も愛も行為がないと分らないのですが、人は行為によって救われるのではないとキリスト教の神は言っておられます。
 国歌斉唱時の不起立という行為が、私の救われる方法ではないのですが、「行為が神への愛の表現である」と考える時、強制までしてさせられる他の宗教行為には従えないのです。自分の言動については、自分が神と相談して納得したものでありたいのです。
 神の愛に関する二つの掟(命令)、この二つから私の行為は導かれたいと思っています。
 大阪府のこの戒告処分の問題は、憲法で述べられている人権の問題であり、とりわけ学校で起こっていることですので、教育として次世代への影響も大きいと考え、私は真剣に臨んでいます。また、光がさすことを望んでいます。
以上



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