2015/11/9

「安倍談話」が落第点の理由  ]平和
 ◆ 安倍首相の「戦後70年談詰」を採点してみる
田中 宏(一橋大学名誉教授)

 2015年8月14日、ついに「安倍談話」が発表された。事前に識者による懇談会が設けられ、別に研究者による「総理談話について」が発表され、また、マスコミは、4つの単語「植民地支配・侵略・反省・お詫び」を掲げ、それが入るかどうか予測合戦を繰り広げた。
 従って、まさに「ついに…」となるのである。一連の騒動は、安倍晋三首相自身が蒔いた種でもある。
 「侵略という言葉にしても、いつの間にか政府見解として定着してしまいましたが、実は村山談話以前、政府は侵略という言葉を使っていないんですね」
 「平成5年(1993)に自民党が野党に転落するまでは、どの首相も侵略という言葉を使っていない。竹下さんも踏みとどまっていた。ところが村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになる。まさに踏み絵です。だから私は村山談話に代わる安倍談話を出そうとしたのだが…」


 「村山さんの個人的な歴史観に、日本が何時までも縛られることはない。その時々の首相が、必要に応じて独自の談話を出すようにすればいいと考えたのです。むろん、村山談話があまりに一面的なので、もう少しバランスのとれたものにしたいという思いもありました」
 これは『正論』2009年2月号所収の「〈緊急対談〉保守はこの試練に耐えられるか」における安倍氏の発言の一部。
 元内閣総理大臣安倍晋三と元内閣総理大臣補佐官山谷えり子両氏の対談で、「政権時代にはなかなか言えなかったことも含め、改革の真意と方向性について話題にしたい」(山谷)、「今日はお互い、本音レベルで話しましょう」(安倍〉で始まっている。安倍談話への布石を知る上で興味深い。
 これらを前提に考える以前に、安倍談話は、あまりに長すぎて、談話の域を大きく逸脱している。村山談話(1995年)、小泉談話(2005年)はいずれもその半分以下の分量である。談話に求められる簡明さに欠けており、その点でまず落第点を付けざるを得ない。

 ◆ 「植民地支配」を巡って
 落第点をつけるのは、もちろん長さだけではない。マスコミが掲げた4単語から始めることにする。
 「植民地支配」は次のように使われている。
@「植民地支配の波は、19世紀、アジァにも押し寄せました」、
A「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」、
B「植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」の3文。
 しかし、@、Aは、日本による朝鮮や台湾に対する植民地支配をまったく念頭に置いておらず、本来求められる意味からは除かれることになる。
 日本が台湾を植民地にしたのは1895年のことであり、朝鮮を植民地にしたのは1910年である。台湾の領有は、「植民地支配の波」が「アジアに押し寄せた」時であり、また、日露戦争の結果、日本の「韓国併合」が断行されたのである。「安倍談話」では、それがまったく捨象されており、歴史修正(正しくは歴史改竄)主義者の面目躍如といえよう。
 Bで、「植民地支配から永遠に訣別し…民族の自決の権利…」というのであれば、日本政府による高校無償化からの朝鮮高校除外は、民族教育の権利、すなわち民族自決の権利の侵害であり、まったくの言行不一致というほかない。

 ◆ 「侵略」を巡って
 2つ目の「侵略」は、次のように使われている。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」と。
 ここでは、「もう二度と用いてはならない」と自分に言い聞かせているので、「侵略」を「日本の行為」としてとらえているようだ。
 別の個所で、「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は次第に、…『新しい国際秩序』への『挑戦者』となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んで行きました」と述べ、十五年戦争期を侵略戦争と認識している。
 村山談話の「我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで…」に該当しており、一見その踏襲のように見える。
 日本が「ポツダム宣言」を受諾したことによって長い戦争が終わった。そのポツダム宣言第8項には「カイロ宣言の条項は履行せらるべく…」とあり、カイロ宣言には「満州、台湾…一切の地域を中華民国に返還すること」「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由かつ独立のものたらしむる」とある。二つの宣言は一体となっており、それによって50年に及ぶ台湾占拠も、36年に及ぶ朝鮮占拠も、その幕を閉じざるをえなかったのである。
 満州事変からの15年ではなく、台湾領有からの50年間の歴史の清算をもとめられ、それを日本が受け入れてようやく戦争は終わったのである。安倍談話は、「満州事変」を区切りとして持ち出すことによって、この重要な歴史的事実を否定したことになる。この点は、もっと厳しく批判されるべきである。

 ◆ 「痛切な反省と心からのお詫び」
 3つ目の「痛切な反省」「心からのお詫び」はセットとして使われている。
 「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。」
 素朴な疑問は、東アジアについて「台湾、韓国、中国」とあるのに「北朝鮮」はなく、「など」の中にはいるのだろう。しかし、安倍氏は、ほかでもない、2002年9月、小泉総理とともに平壌を訪問し、そこで「日朝平壌宣言」が調印されたのである。
 同宣言は、それ自体がもつ本来の意義が脇に押しやられ、もっぱら拉致問題に収斂してしまった感がある。安倍総理もそれに身を任せているとすれば、なんとも哀しい。
 安倍談話には、ほかにも米国、英国、オランダ、豪州など、いろいろ国名が登場するが(村山、小泉両談話には国名なし)、同じように「苦難の歴史」を歩んだのに、戦後70年、いまだに国交のない北朝鮮がまったく登場しないのは不自然というほかない。
 安倍談話では、すこし後に「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とある(安倍首相自身、1954年生まれなので「戦後生まれの世代」に属す)。
 続けて「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」とある。
 一部には、「謝罪を続ける宿命を負わせてはなりません」に注目し、謝罪に終止符を打ったと持ち上げる向きがあるが、その続きの文章を読めば、そうでないことは自明である。安倍談話には、こうした両義的ととれる箇所があり、論点を曖昧にしている点も問題である。

 ◆ 「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」について
 安倍談話には、2か所に「深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち」という表現が登場し、そして「我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」とある。それが「軍隊慰安婦」を指すことは言うまでもない。
 にもかかわらず、日本はその「心に、常に寄り添う国であ」るために、どうするのかについては、なぜか語らない。世界は、このメッセージの意味を図りかねているのではないか。

 安倍談話は、最後に、「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」という。
 日本は、ベトナム難民の上陸、サミット(主要国首脳会議)の発足(いずれも1975年)を機に、ようやく多くの国際人権条約を批准した。
 しかし、人種差別撤廃条約を批准してすでに20年になるが、いまだにそれを実効あらしむる国内法は何一つなく、「朝鮮人殺せ」などのヘイトスピーチが吹き荒れている。
 国連には9つの重要な人権条約があり、それぞれに、人権救済が国内的に実現できない場合、それを国連の関連委員会に通報し、その審査を受ける個人通報制度が備わっている。しかし、日本は、8つの条約は批准しているものの、肝心の個人通報制度はまったく批准していない
 因みに、自由権規約、人種差別撤廃条約、女子差別撤廃条約の個人通報の受諾国は、いずれも100か国を超えている。
 したがって、「価値を共有する国々と手を携えて…」と聞かされても、世界はにわかには信じがたいのではなかろうか。
 このように見てくると、やはり落第点をつけざるを得ない。読者の皆さんは、どう採点されるのだろうか。
(たなかひろし)

「子どもと教科書全国ネット21ニュース」104号(2015・10)


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