2017/1/23
もんじゅ事故の後、動燃の総務部次長が謎の死、妻が真相を求めて訴訟 ]Xフクシマ原発震災
《田中龍作ジャーナルから》
◆ 怪死の動燃・総務部次長
妻「もんじゅ維持のために1人が死んだ」

弁護士と最終準備書面の内容をチェックするトシ子さん。=16日、都内 撮影:筆者=
「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(1995年末)の対応をめぐり怪死を遂げた動燃総務部次長の妻が警察に夫の遺品の返還を求めている裁判 ―
きょう午後、東京地裁で最終準備書面が提出され、結審した。
陳述書を読み上げる妻の手は小刻みに震えていた。
動燃の西村成生(しげお)・総務部次長は事故発生から約40日後の1996年1月、東京都中央区のビジネスホテルの非常階段下で遺体となって発見された。
警察は飛び降り自殺と発表した。だが30mの高さからタイル張りの地面に激突したにしては、遺体に壊滅的な損傷はない(最終準備書面)。
トシ子さんが対面した遺体は一回り大きく膨れあがっており、アザがあちこちにあった。殴りまくって遺書を書かせたのだろうか。
西村総務部次長の妻トシ子さん(原告)が警察に返還を求めているのは、死体発見当時、夫が身に着けていた衣服と動燃からのFAXだ。
死体は何より雄弁である。衣服を戻せば死体の状況が推測される。警察は飛び降り自殺説が覆されることを避けたがっているようだ。
会社側からの指示が書かれていたものとみられるFAXも自殺説の否定につながるのだろうか。警察は返還を拒否している。
もんじゅの廃炉決定後、初めての口頭弁論に臨んだトシ子さんは次のようにコメントした。
「もんじゅを維持するために1人が亡くなった。(国家権力は)メディアを押さえつけて、もんじゅを延命した。
飛び降り自殺したというが、一切ホテルに泊まった証拠は出てこない。時間が経ったんじゃなくて、時間が経つ前からぜんぜん捜査していなかった。
何でこんなことが成り立つのか? 日本の原子力政策では」。
動燃は事故のもようを記録していたビデオを隠していた。これが発覚し西村さんはマスコミ対応に追われていた。そして怪死・・・
もんじゅがなければ西村さんは死ぬ(殺される)ことはなかったのである。
26年間、トラブル続きでほとんど発電することのないまま廃炉が決まった「夢の高速増殖炉」。
事件はでたらめな国策の果てに起きた。判決は3月13日に言い渡される。西村さんが再び(※)暗闇に葬り去られることのないよう祈るのみだ。
〜終わり〜
(※)
もんじゅ訴訟のもうひとつの本丸はトシ子さんが「雇用者である動燃が安全配慮義務を怠ったために夫が死亡した」として、動燃を相手に起こした損害賠償請求だった。最高裁は2012年1月、上告を棄却。敗訴が確定した。
『田中龍作ジャーナル』(2017年1月16日)
http://tanakaryusaku.jp/2017/01/00015186
※遺品請求裁判とは
動燃は1995年12月に高逮増殖炉もんじゅのナトリウム潮れ事故を起こしたうえ、現場を撮影したビデオの改竄と隠蔽が明らとなり、強い社食的批判にさらされました。
当時、総務部次長だった西村成生さんが隠蔽問題の内部調査を担当し、96年1月に記者会見を行った直後に謎の死を遂げました。
宿泊先ホテルの8階から飛び降り自殺したとされていますが、死体の損傷が軽微で、残されていた「遺書」の筆跡が異なるなど不審な点が多く、トシ子さんはどうしても自殺とは思えず、死の真相を明らかにするためこの20年間奔走してきたのです。
ところが、中央警察署は真相究明に不可欠な遺品(身に着けていた、ジャケットやズボン、ワイシャツなどの衣類、靴など)を事件から20年経ったいまも、遺族であるトシ子さんに返還していないのです。
「私がこの裁判を起こした趣旨目的、それは1996年に突然な死を遂げた私の夫・西村成生の『死の真実』を明らかにしたいという一心に尽きます。返還を請求している成生の遺品が、私にとってかけがえの無いものであることは改めて言うま
でもありませんが、この遣品が未だ返還されていないという一事の中に、死の真実をめぐる不審が凝縮されているのです」《西村トシ子さん陳述書)
※裁判の争点
裁判は、2015年2月13日提訴以降、3回の審理を重ね、2016年1月25日には第4回口頭弁論が開かれます。裁判では重大な争点が浮かび上がってきています。
(1)被告、警視庁中央警察署長は、本件事案に関与した刑事課員から、「(損傷が著しかった)亡成生の衣類については、本件事案の当日、同人の妻(原告)から廃棄の依頼を受け、既に廃棄していることを聴取したので、その旨を原告に説明したところ(当時)、原告はその説明内容に対し、特段異議を述べなかったとのことであった」と主張しています。
これはまったくの嘘です。真相を究明するために20年間奔走してきたトシ子さんが遺品の「廃棄の依頼」など絶対にするはずがないのです。
(2)被告は「中央署員が本件事案当日、亡成生が宿泊していたホ予ルに残された物品につき、一時預かり保管した」と主張する一方で、西村宛の「FAX受信紙」などについて「あったか否か明らかではない」とごまかしています。
しかし、警視庁公安委員会の作成文書は、平成8年1月13日の午前2時30分頃「亡成生はファックス送信された文書5枚を受けとった」と記しているのです。
(3)医学部法医学教室の教授であった医師の鑑定によれば、「故成生の死亡推定時刻は、平成8年1月13日午前2時を中心にプラス・マイナス1時間程度」との判断がなされています。すなわちこれは午前1時から3時の間。つまり、成生さんがファックス5枚を受け取ったとされる2時30分ころ、すでに成生さんは死亡していたことになり、重大な矛盾が生まれるのです。
こうした点から成生さんの死には、さまざまな疑念・謎が存在します。その真相を明らかにする必要性が出てきているのです。
『もんじゅ 西村怪死事件の真相を究明する会 ニュース 第2号』から
◆ 怪死の動燃・総務部次長
妻「もんじゅ維持のために1人が死んだ」

弁護士と最終準備書面の内容をチェックするトシ子さん。=16日、都内 撮影:筆者=
「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(1995年末)の対応をめぐり怪死を遂げた動燃総務部次長の妻が警察に夫の遺品の返還を求めている裁判 ―
きょう午後、東京地裁で最終準備書面が提出され、結審した。
陳述書を読み上げる妻の手は小刻みに震えていた。
動燃の西村成生(しげお)・総務部次長は事故発生から約40日後の1996年1月、東京都中央区のビジネスホテルの非常階段下で遺体となって発見された。
警察は飛び降り自殺と発表した。だが30mの高さからタイル張りの地面に激突したにしては、遺体に壊滅的な損傷はない(最終準備書面)。
トシ子さんが対面した遺体は一回り大きく膨れあがっており、アザがあちこちにあった。殴りまくって遺書を書かせたのだろうか。
西村総務部次長の妻トシ子さん(原告)が警察に返還を求めているのは、死体発見当時、夫が身に着けていた衣服と動燃からのFAXだ。
死体は何より雄弁である。衣服を戻せば死体の状況が推測される。警察は飛び降り自殺説が覆されることを避けたがっているようだ。
会社側からの指示が書かれていたものとみられるFAXも自殺説の否定につながるのだろうか。警察は返還を拒否している。
もんじゅの廃炉決定後、初めての口頭弁論に臨んだトシ子さんは次のようにコメントした。
「もんじゅを維持するために1人が亡くなった。(国家権力は)メディアを押さえつけて、もんじゅを延命した。
飛び降り自殺したというが、一切ホテルに泊まった証拠は出てこない。時間が経ったんじゃなくて、時間が経つ前からぜんぜん捜査していなかった。
何でこんなことが成り立つのか? 日本の原子力政策では」。
動燃は事故のもようを記録していたビデオを隠していた。これが発覚し西村さんはマスコミ対応に追われていた。そして怪死・・・
もんじゅがなければ西村さんは死ぬ(殺される)ことはなかったのである。
26年間、トラブル続きでほとんど発電することのないまま廃炉が決まった「夢の高速増殖炉」。
事件はでたらめな国策の果てに起きた。判決は3月13日に言い渡される。西村さんが再び(※)暗闇に葬り去られることのないよう祈るのみだ。
〜終わり〜
(※)
もんじゅ訴訟のもうひとつの本丸はトシ子さんが「雇用者である動燃が安全配慮義務を怠ったために夫が死亡した」として、動燃を相手に起こした損害賠償請求だった。最高裁は2012年1月、上告を棄却。敗訴が確定した。
『田中龍作ジャーナル』(2017年1月16日)
http://tanakaryusaku.jp/2017/01/00015186
※遺品請求裁判とは
動燃は1995年12月に高逮増殖炉もんじゅのナトリウム潮れ事故を起こしたうえ、現場を撮影したビデオの改竄と隠蔽が明らとなり、強い社食的批判にさらされました。
当時、総務部次長だった西村成生さんが隠蔽問題の内部調査を担当し、96年1月に記者会見を行った直後に謎の死を遂げました。
宿泊先ホテルの8階から飛び降り自殺したとされていますが、死体の損傷が軽微で、残されていた「遺書」の筆跡が異なるなど不審な点が多く、トシ子さんはどうしても自殺とは思えず、死の真相を明らかにするためこの20年間奔走してきたのです。
ところが、中央警察署は真相究明に不可欠な遺品(身に着けていた、ジャケットやズボン、ワイシャツなどの衣類、靴など)を事件から20年経ったいまも、遺族であるトシ子さんに返還していないのです。
「私がこの裁判を起こした趣旨目的、それは1996年に突然な死を遂げた私の夫・西村成生の『死の真実』を明らかにしたいという一心に尽きます。返還を請求している成生の遺品が、私にとってかけがえの無いものであることは改めて言うま
でもありませんが、この遣品が未だ返還されていないという一事の中に、死の真実をめぐる不審が凝縮されているのです」《西村トシ子さん陳述書)
※裁判の争点
裁判は、2015年2月13日提訴以降、3回の審理を重ね、2016年1月25日には第4回口頭弁論が開かれます。裁判では重大な争点が浮かび上がってきています。
(1)被告、警視庁中央警察署長は、本件事案に関与した刑事課員から、「(損傷が著しかった)亡成生の衣類については、本件事案の当日、同人の妻(原告)から廃棄の依頼を受け、既に廃棄していることを聴取したので、その旨を原告に説明したところ(当時)、原告はその説明内容に対し、特段異議を述べなかったとのことであった」と主張しています。
これはまったくの嘘です。真相を究明するために20年間奔走してきたトシ子さんが遺品の「廃棄の依頼」など絶対にするはずがないのです。
(2)被告は「中央署員が本件事案当日、亡成生が宿泊していたホ予ルに残された物品につき、一時預かり保管した」と主張する一方で、西村宛の「FAX受信紙」などについて「あったか否か明らかではない」とごまかしています。
しかし、警視庁公安委員会の作成文書は、平成8年1月13日の午前2時30分頃「亡成生はファックス送信された文書5枚を受けとった」と記しているのです。
(3)医学部法医学教室の教授であった医師の鑑定によれば、「故成生の死亡推定時刻は、平成8年1月13日午前2時を中心にプラス・マイナス1時間程度」との判断がなされています。すなわちこれは午前1時から3時の間。つまり、成生さんがファックス5枚を受け取ったとされる2時30分ころ、すでに成生さんは死亡していたことになり、重大な矛盾が生まれるのです。
こうした点から成生さんの死には、さまざまな疑念・謎が存在します。その真相を明らかにする必要性が出てきているのです。
『もんじゅ 西村怪死事件の真相を究明する会 ニュース 第2号』から






