2018/7/15

国や企業のための人材づくりではなく、自分自身の価値観を確立し誇りを取り戻していく教育を  X日の丸・君が代関連ニュース
  2018.7.13D-TaC集会
 ◆ 「えらいこっちゃで 大阪の教育」
   ・トーク骨子より
(一部)


 8.大阪市の教育の現状について
 現在の大阪市の教育は、競争に負けることへの恐怖心をあおることによって、指示に従順に従うこと、点数競争を強いられることをしかたないことと受け入れる児童・生徒の育成を目的にしていると感じます。
 また、育鵬社の中学校歴史・公民教科書を採択し、戦争を美化し、改憲をあおっています。露骨な国や大企業のための人材づくりの教育であると思います。
 私たちは、そのための歯車とされているのです。大阪市は、維新支配の下、安倍政権のやろうとしている教育改悪・教育支配を全国の最先端で具体化する実験場のような存在になっていると感じています。

 9.教育はどうあるべきか?
 改悪前の教育基本法第1条・教育の目的は、


 「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」でした。
 第10条・教育行政の項には「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とありました。
 戦前の教育の反省に立って、教育における大事な原則が規定されていたと思います。

 教育は児童・生徒自身のためのものであって、国や大企業のためのものではない、教育は国・行政の支配から独立していなければならないということです。
 国民全体に直接に責任を負って教育を行うのは教員です。
 私たち教職員は、国・行政の支配に無批判に従うことは許されず、自分の権利を主張するとともに、児童・生徒の権利を擁護し、現在の国と社会の状況の中で、児童・生徒がどんな状況におかれているのか、児童・生徒自身のための教育とはどうあるべきか、現実から学び、常に考えていく必要があるのだと思っています。

10.松田が努力してきたこと
 就職当初から、私たちは、国や企業のための人材づくり、そのための振り分けという役割を担わされていたことは否定できません。高校の内申書は、10段階の相対評価で、その振り分けをやらざるを得ませんでした。
 教育基本法の美しい条文の下で、実際は、いい学校に進まなければ未来がないかのような価値観のもとでの教育が行われているという現実が確かにありました。
 しかし、それに抗う教育は模索できたし、それを学校の教育目標に位置づける余地もありました。

 たとえば、2010年の都島区人権教育実践交流会に、私が人権教育主担者をしていたT●中学校から「『一番大切なことは、喜び・悲しみを分かち合える仲間がいること』卒業を前にした中学校3年生での野宿者問題学習」と題する実践報告を出しました。
 3年間の人権学習(「戦争と平和の問題に対する学習」「在日外国人問題にかかわる学習」「障害者問題にかかわる学習」等)について紹介するとともに、特に、「野宿者問題学習」を中心に報告しました。

 この学習は、「ホームレスと出会う子どもたち」というDVDを観て、自身も野宿経験があり、当時、夜回り活動や若者就労支援事業にかかわっていた人の経験を聞くというものでした。感想をいくつか紹介します。…
 『Nさんお話を聞いて、生きていく中で一番幸せなものは、お金でも、自分の思い通りにいくことでもなく、悲しいことや辛いことや嬉しいことがあったとき、いっしょにその悲しみや喜びを分かち合える仲間がいることなのだと思いました。だから、今いるT●の仲間やこれから出会う人たちを大切にしようと思いました。』という感想は、経済的な問題で私立中学校から公立のT●中学校に転入してきた生徒の感想です。
 今までの価値観を揺さぶるものであり、今後の彼女の人生にきっといい方向で影響する学習だったのではないかと嬉しく思いました。

 この実践報告では、職員会議に提案し、承認された「T●中学校の『人権・道徳』にかかわる学習について」という文書についても紹介しました。
 「『どの生徒も、かけがえのない自分の価値を自覚してほしい』そして、『一方で、すべての人たちが幸せに生きていくことのできる社会の実現を願いながら、自分の行動を考えられるようになってほしい』との思いをもって、『人権・道徳』にかかわる学習を進めていきたい。」とした文書です。当時は、まだ、人権教育について論議する場があり、このような文書を学校の立場として確認することもできていたわけです。

 11.教員生活の中で大切にしてきたこと
 生徒たちは、今の社会の中で、多くの場合、使い捨てられ、人間としての誇りが持てない状況に置かれることになります。
 私は、そんな生徒たちと同じ側で生きる教員でありたい、一人一人の生徒が社会の真実に目を開き、自分自身の価値観を確立し、誇りを取り戻していく過程、自分の願いを実現するための手段としての知識・学力を手にしていく過程に助力できる教員でありたいと思ってきました。
 そして、その思いにつながる同和教育・人権教育の実践の中から、自分が差別される人の側に立とうとすると、差別を「常識」とする社会からの攻撃・不利益を受けるために、それを避けようとして自分も差別する側に回ってしまうという「差別を温存する構造」があることに気づきました。
 そして、「自分の保身のために、他の誰かに犠牲を強いることはしない」ということを行動原理にしたいと思うようになりました。

 12.「日の丸・君が代」強制の経過と取組み
 「日の丸」「君が代」は、侵略戦争時、大日本帝国が押し立てた旗・歌であり、戦争動員の国内体制をつくる上で大きな役割を果たしたものです。
 それを卒業式・入学式をはじめとした学校行事に持ち込もうとする動きには、教育は生徒一人一人のためのものでなく、国のためのものだということをはっきりさせたい国・文科省(文部省)の意図を感じて、そういう動きがあるたびに反対してきまた。私にとっては教員生活の中でずっと大きなテーマでした。

 「日の丸・君が代」強制の大きな節となったのは、
  1985年8月文部省初等中等教育局長「国旗国歌徹底」通知、
  1989年3月告示の学習指導要領改訂、
  1999年8月の国旗国歌法制定、
  2012年2月の大阪市国旗国歌条例と同年5月の大阪市職員基本条例制定
  (大阪府は2011年6月と2012年3月)
 でした。

 1989年告示の学習指導要領改訂で、それまで、「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、…国旗を掲揚し,国歌を斉唱させることが望ましい」から「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」と変更し、卒業式・入学式を指定して、「国旗掲揚・国歌斉唱」を義務付ける規定としました。
 そして、それを契機に、大阪でも、卒業式・入学式の国旗掲揚・国歌斉唱実施の圧力が強まりました。
 一方、私の方も、1989年1月の昭和天皇死去・代替わりの過程での弔意強要の現実に直面し、「君が代」起立斉唱強要に屈することは生徒たちに「ともに生きよう」と呼びかける言葉を失うことと感じて、絶対譲れない問題との思いを強くしていました。

 生徒に伝えていく重要性を認識したのはD●中学校のときです。1994年4月に転勤したD●中学校は、転勤時点で「日の丸・君が代」が一切ない学校で、その後、管理職による「日の丸・君が代」を持ち込もうとする動きに対して抵抗することになりました。
 国旗国歌法制定後、式の中に持ち込まれることが避けられない状況になる中で、自分の譲れない一線を、判断するのは生徒自身という立場で、「日の丸・君が代」についての歴史的事実を伝えることに置き、実践してきました。
 国旗国歌条例制定と職務命令による起立斉唱強制で「日の丸・君が代」強制の本質・目的がさらにはっきりしたと感じています。

 参列者全員が、「日の丸」に敬礼、「君が代」を起立斉唱する式を強制によって演出することで、児童・生徒に、国旗・国歌が象徴する国を、絶対のもの、神聖なもの、従うべきものと感得させることを目的としているということです。
 そして、教職員に敬礼、起立斉唱させることを通じて、戦前の侵略戦争やその戦争に子どもたちを動員した戦前の教育への反省を学校教育から消し去ることです。

 歌詞がある「君が代」の意味も教えずに歌わせているのは、「君が代」の歌詞について「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも続いてお栄になりますように」という意味だと教えた事実、「君が代」が、天皇のために命を捨てることを最高の美徳と教えた教育の重要な柱だったという事実を、児童・生徒(国民)に知らせないことが国策なのであり、その事実を伝えること自身が闘いであると思っています。

 2014年4月、58歳で転勤したN●中学校で3年生の担任となり、「日の丸・君が代」にかかわる事実を生徒に伝えることが必要なことを主張し、「君が代」不起立で戒告処分を受けました。
 処分取り消しを大阪市人事委員会に請求し、「日の丸・君が代」強制と国旗国歌条例・職員基本条例の是非を問うています。(詳しくは、大阪市人事委員会に提出した陳情書【「大阪市 君が代 陳述書 松田」で検索】を見てください。)
 また、私の処分撤回と学校に民主主義を実現することを目的とした市民組織「D−TaC」として、「日の丸・君が代」にかかわる事実と「君が代」起立・斉唱が強制されないことを生徒に伝えることを求める学校要請や中学生に「君が代」の意味を伝えるビラ配布活動に取り組んでいます。

 ビラを受け取った生徒たちの反応は、「君が代」の歌詞の意味は教えてもらったことがなく、初めて知ったというものがほとんどで、大阪市の「君が代」「指導」が「調教」になっている実態を実感しています。
 同僚・保護者にも、訴えを知ってもらえれば、私の言い分に道理があると思ってもらえる自信はあるのですが、まだまだ知られていないことが課題です。
 そして、運動の前進と展望があることを知らせ、あきらめを打ち破り、乗り越えるような働きかけをしていきたいと思っています。

 13.今後の取組みについて
 処分を撤回させること、「日の丸・君が代」にかかわる歴史の事実を生徒に伝え、嫌だと思う生徒が起立斉唱を強制されない状況をつくることは、国と大企業のためだけの教育、維新の教育支配を打ち破る大きな一歩になるものと思っています。

 昨日7月12日、大阪市人事委員会で2回目の準備手続きがありました。
 処分担当課長と校長、そして請求者である私の3人が証人に決まり、2回に分けて証人尋問が行われる予定です。
 8月30日の第3回準備手続きで公開審理の日程が決まります。
 ぜひ、傍聴に来てほしいと思っています。また、中学生ビラまきや学校要請活動への参加も募っています。学校に民主主義をとりもどす活動に、是非、力を貸してください。


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