2018/8/1

第8回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料から(9)  X日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 2017〜2018年 闘いつつ考えたこと
奥野泰孝

 ◆ 最高裁のこと
 昨年7月の私の主な報告は、減給処分取消の最高裁上告が却下されたこと。その時、第一小法廷の4人の裁判官の一人木澤克之が2016年7月に安倍内閣によって任命された弁護士出身の判事で、2016年6月まで学校法人加計学園の監事をし2015年度の会計監査報告で問題なしとしていた人物であるとも報告した。
 今年7月19日に君が代不起立で再任用拒否の都教委の裁量権を認める、不当判決を出した第一小法廷山口厚裁判長は、2017年1月に任命され起前任の弁護士出身判事の後任として日弁連は7名の候補者を2016年11月に最高裁へ提出(推薦)。最高裁が一度提出したリストを内閣は突き返し、実際は弁護士枠というより学者枠に入る山口氏をねじ込んで閣議決定した。

 司法の在り方がおかしいと思い調べていて、泉徳治元最高裁判事の著書「一歩前へ出る司法」(日本評論社、2017年)を見つけた。


 泉さんは「歴代内閣は、最高裁長官の意見を尊重してきたと思います。内閣の任命権と司法の独立を調和させるという考えから、こういう慣行ができてきたのだと思います」と述べている。
 それを安倍内閣はそれを無視して山口氏を最高裁判事に任命したのである。
 またその著書で改革の提言をされている。そのひとつが「各裁判官に専属の調査官(ロークラーク)を置く」というもの。
 泉さんの意見を引用する。
 「裁判官でも企業の方でも、誰かと議論をしながら自分の考えをまとめていくというところがあります。そういう議論の相手ですから、弁護士になったばかりの若手でいいのです。・・・事件の報告書は今の調査官室で作成してもらうとしても、日常的に裁判官の側にいて、法律の議論の相手をする、図書館で本を借りてくる、資料を集めてくるという存在が必要です。そういう人が側にいるといないとでは随分違います。・・・今の体制だと、調査官室は長官に直結しているから、長官は困らないでしょうけれど、14人の判事は個室に入れられているわけですよ。そこに調査官報告書のコピーが配られてくる。
 米連邦最高裁の場合、主要な事件については、意見が五対四に分かれることが多いですね。このように意見が分かれる一番の理由は、その任命制度によるものと思いますが、米連邦最高裁には共同調査官室というのはなくて、ロー・クラークが各裁判官に専属し、各裁判官とロー・クラークがそれぞれに一つのチームを作っているということも寄与していると思います。
 片や日本の揚合、共同調査官室から一通の報告書が回ってきて、それに基づいて議論するのです。だから反対意見が少ないのです。小法廷の五人が審議室に集まって、一人が調査官報告書と異なる意見を述べても、『あなた一人の単なる思い付きではないか、独自の説ではないか』ということになるのですね。少なくとも、そのような感じを受けるわけです。
 ところが、『そばにいる専属調査官と議論し、自分の頭を整理し、十分に練ってきたものだ』と言えば、他の人の受け止め方も違ってくる。だから私は、一番大事なことは専属調査官の導入だと思いますね。」(以上引用終わり)
 君が代強制反対の運動の意味を理解し、議論できる相手を増やすことが大事だが、この運動がリトマス紙となり様々な社会の問題が見えてくる。裁判の制度の矛盾も見えてくる。

 ◆ 再任用のこと

 私は2018年3月に定年退職を迎えた。2017年秋に再任用希望を出し、2018年1月5日に府教委の特異な質問を受けた。勤務校准校長を通し「あなたは今後上司の職務命令に従わないということですね。ハイかイイエで答えてください」と再任用審査のための意向確認だ。府教委から指示されたとおりに質問していると准校長は説明した。
 私はなぜそんな質問に答えなければならないのかと反論し返事を保留したが4目後『従います』と答えた。
 私はすでに2016年1月20日に「自己の良心と日本国憲法に従って、地方公務員法に基づく職務命令に従います。」という文書を府教委職員に渡している。
 宛名も意向確認書などというタイトルもないが府教委が「意向確認書」と呼んでいる文書。出せと言われた文書の「国歌斉唱時の起立斉唱を含む上司の職務命令」という部分を私は削って作り直した
 私より一年早く、府立高校教員として定年を迎えた梅原さんは校長を通し府教委から「卒業式等での国歌斉唱の職務命令を含む上司の職務命令に従うか」と意向確認され、(採用面接における)思想・信条に関わる質問なので、答えることができないと伝えた。そして、再任用不合格とされた。
 梅原さんが相談した府の商工労働部は、「不適切な質問なので、改善するように、」と府教委に要請した。それでも府教委は自分たちの非を認めなかったが、その後出す意向確認書から「国歌斉唱時の起立斉唱を含む」の文言を削除した
 そして、奥野への意向確認はわけのわからん聞き方になっていた。私が「おかしな聞き方やないか!再任用希望者全員にそんな質問しているのか!」と怒って答えなかったら、「意向確認できなかった」ということで不合格にしようとしたのだろうか。
 再任用された私は、意向確認せよと准校長に命じたのは誰で、その報告を受けて、奥野を再任用審査会の議題に上げずに合格決めた会議などの経緯の記録を探して、府に情報公開を求めたが、「作成していないため保存していない。」という返事。
 意向確認で特異な質問をしておきながら、その記録がなく、再任用が決まったということになる。
 私たちは特異な行為をしているのではない。人として、当然のこととして隷属化を拒んでいる。
 権力は「天皇制」を使って隷属化を進めている。それはいじめにつながる。国が「君が代」「元号」等を使い「天皇教」という一つの宗教を押しつけるのをやめさせ、無力化、思考停止にストップをかけなければならない。キリスト者としての立場からもできるだけ発信して行きたい。

 ◆ 現在の闘い

 2012年の戒告処分取消は7人で合同、7月25日に大阪高裁で意見陳述。
 2013年の減給処分取消は最高裁で棄却されたが、現在人事委員会で審査手続き進行中(昨年再開)、そろそろ論点整理。
 2015年の免職警告付き戒告処分取消人事委員会で論点整理終了の上、準備手続きに入っている。9月27日三回目の準備手続きをし、証人を決定し、口頭審査の日程を調整する予定。
 2015年の不起立で、奥野の「君が代強制は間違っている」という考えは変わらないが、不起立のもう一つの教育的必然的理由である「卒業生徒が発作を起さないようにして元気で卒業式を終えようとして生徒の横での着席を『国歌斉唱』時も続けた。」という奥野の訴えを府教委は無視。合理的配慮をする義務がある立場として、車いすに座っている生徒が発作を起さないように、目線を合わせて寄り添う必要があったのである。私の不起立は府教委と管理職の現場への無理解による強制への訴えでもあったのだ、この訴えは障がいをもった生徒との共同のものであったと思う。

 ◆ KYのふりと忖度の強要について

 「KY」は2007年頃、第一次安倍内閣が「空気を読めない」という意味で生まれた流行語。このKYまたはKYのフリをする安倍が今は「忖度」を強要し、それに「面従腹背」する連中が「面従腹服従」になっていく。
 2015年4月以後、私は卒入学式の会場に入れていない。1年生、3年生の担任から外され、駐車場係をやらされている。
 2015年5月の戒告処分で「あと1回で免職」という警告書を付けられ、あえて式場に入り不起立ということはしていない。学校現場で新転任者に私がなぜ闘っているのか、伝えたいが、充分に出来ないでいる。
 府教委のこれまでの処分を認めないということで裁判、人事委員会で闘っていることが、私の教員としての歩んできた人生を支えている。折れることは自己否定であり、府教委、文科省、国家の言い分を認めたことになる。この闘いを多くの人に知らせ、共に考える必要をずっと考えている。この問題を通り過ぎてしまうことは人権を無視することで、私たちが思い描く社会は実現しないことになる。

 ルカによる福音書19章40節
 (イエスは)答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。


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