2018/9/13
東京都では副教材を通して生徒に誤った知識、歪んだ五輪精神が押しつけられている Y暴走する都教委
《『週刊金曜日』オリ・パラ ワイドその3》
◆ 「選手団の旗・歌」を「国旗・国歌」と教える都教委
このままで、2020年の東京オリンピック・パラリンピック(五輪)を日本は開催できるのだろうか。表面上は「アスリート・ファースト」を掲げながら指導者・コーチ、統括部門と選手との軋轢や不当な指導、暴力、パワハラなどが次々と表面化し、選手の不祥事も多発している。
これらの事件の共通点は、まさかと思われることを不問にする事態が長い間じわじわと形成されてきた結果だという点だ。多くの場合、選手たちを取材していた記者たちは、この種の問題点、ストレスが蓄積していることに気付いていたという。
そうした記者たちの怠慢。それは安倍政権による「不正直」「不公正」を追及しきれない政治・社会状況と無関係ではない。
森友学園問題では、誠実な実務官僚を自死に追いやった責任がうやむやにされたままだ。そのことを問う自民党総裁選挙公約に対して、自民党内では「個人攻撃」との批判が強い。
事実上の首相選挙がこれでは、故翁長雄志沖縄県知事の「本土社会は根腐れをしている」との指摘通りと思わざるを得ない。これで日本は、五輪を主催できるのか。
その疑問をさらに強める違憲・違法行為を東京都教育委員会が、五輪教育の場で進めている。
それは、同委員会が作成した副教材『オリンピック・パラリンピック学習読本』で、国際五輪委員会が定めた五輪憲章(OC)等のルールに反する学習を、強制しているのだ。
OCでは、五輪を自由で平等な個人またはチームによる技の競い合いの場と規定している。国威発揚の場とするのは否定され、政治的軋櫟を避けるために選手団を派遣する地理的広がりを表す用語として「カントリー」(国・地域)を用いている。
その結果、国連加盟国193力国に対し、16年のリオ五輪では参加カントリー数が206となった。香港、グアムなど非国家は合計12もある。
◆ 「国旗・国歌」だというウソ
五輪では選手団が国単位かどうかでの区別・差別は禁じている。
したがって五輪の開会式や表彰式で用いるのは、あくまでも組織委員会に登録した選手団の旗・曲であって、「国旗・国歌」とはしていない。
ただ実際には、国単位で参加の選手団の多くが「国旗・国歌」とほぼ同じものを登録している。他方で、台湾(中華民国)が別のものを登録することで、中国(北京)との政治的摩擦が回避されている。
こうして五輪は「平和の祭典」として、「アスリート・ファースト」の基本精神を守ってきた。
ところが都教委は、この『学習読本』において、開会式や表彰式では「国旗・国歌」が用いられるとのみ説明し、それらへ敬意表明が「世界のマナー」であるとしている。
都教委は、公立学校の入学式・卒業式で「国旗・国歌(日の丸・君が代)」を強制し、起立や斉唱を拒否した教職員への懲罰をエスカレートさせてきた。それが最近では、裁判で歯止めを掛けられ始めた。
焦る都教委が作成したのが、『学習読本』だ。小(4年生以上)・中・高校別にA4判フルカラー80〜124頁で編集され、都内の国公私立学校での学習を強制されている。
同書は市販されていない。学校現場以外では都民の目に触れ難い副教材を通じ、児童・生徒に誤った知識、歪んだ五輪精神が押し付けられている。
最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日)は「誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制する」ことは、憲法26条(教育を受ける権利)、13条(個人の尊重と公共の福祉)に違反するとしている。
都教委は人権侵害教育を今も強行しているのだ。
五輪の商業主義化による利益に浴している日本のマスコミ大半の「根腐れ」も深刻だ。OCの仮訳である「国・地域」を、本来の「カントリー」と言い換える報道の改定を、この機会に求めたい。
『週刊金曜日 1199号』(2018年9月7日)
◆ 「選手団の旗・歌」を「国旗・国歌」と教える都教委
高嶋伸欣(たかしまのぶよし・琉球大学名誉教授)
このままで、2020年の東京オリンピック・パラリンピック(五輪)を日本は開催できるのだろうか。表面上は「アスリート・ファースト」を掲げながら指導者・コーチ、統括部門と選手との軋轢や不当な指導、暴力、パワハラなどが次々と表面化し、選手の不祥事も多発している。
これらの事件の共通点は、まさかと思われることを不問にする事態が長い間じわじわと形成されてきた結果だという点だ。多くの場合、選手たちを取材していた記者たちは、この種の問題点、ストレスが蓄積していることに気付いていたという。
そうした記者たちの怠慢。それは安倍政権による「不正直」「不公正」を追及しきれない政治・社会状況と無関係ではない。
森友学園問題では、誠実な実務官僚を自死に追いやった責任がうやむやにされたままだ。そのことを問う自民党総裁選挙公約に対して、自民党内では「個人攻撃」との批判が強い。
事実上の首相選挙がこれでは、故翁長雄志沖縄県知事の「本土社会は根腐れをしている」との指摘通りと思わざるを得ない。これで日本は、五輪を主催できるのか。
その疑問をさらに強める違憲・違法行為を東京都教育委員会が、五輪教育の場で進めている。
それは、同委員会が作成した副教材『オリンピック・パラリンピック学習読本』で、国際五輪委員会が定めた五輪憲章(OC)等のルールに反する学習を、強制しているのだ。
OCでは、五輪を自由で平等な個人またはチームによる技の競い合いの場と規定している。国威発揚の場とするのは否定され、政治的軋櫟を避けるために選手団を派遣する地理的広がりを表す用語として「カントリー」(国・地域)を用いている。
その結果、国連加盟国193力国に対し、16年のリオ五輪では参加カントリー数が206となった。香港、グアムなど非国家は合計12もある。
◆ 「国旗・国歌」だというウソ
五輪では選手団が国単位かどうかでの区別・差別は禁じている。
したがって五輪の開会式や表彰式で用いるのは、あくまでも組織委員会に登録した選手団の旗・曲であって、「国旗・国歌」とはしていない。
ただ実際には、国単位で参加の選手団の多くが「国旗・国歌」とほぼ同じものを登録している。他方で、台湾(中華民国)が別のものを登録することで、中国(北京)との政治的摩擦が回避されている。
こうして五輪は「平和の祭典」として、「アスリート・ファースト」の基本精神を守ってきた。
ところが都教委は、この『学習読本』において、開会式や表彰式では「国旗・国歌」が用いられるとのみ説明し、それらへ敬意表明が「世界のマナー」であるとしている。
都教委は、公立学校の入学式・卒業式で「国旗・国歌(日の丸・君が代)」を強制し、起立や斉唱を拒否した教職員への懲罰をエスカレートさせてきた。それが最近では、裁判で歯止めを掛けられ始めた。
焦る都教委が作成したのが、『学習読本』だ。小(4年生以上)・中・高校別にA4判フルカラー80〜124頁で編集され、都内の国公私立学校での学習を強制されている。
同書は市販されていない。学校現場以外では都民の目に触れ難い副教材を通じ、児童・生徒に誤った知識、歪んだ五輪精神が押し付けられている。
最高裁判所大法廷判決(1976年5月21日)は「誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制する」ことは、憲法26条(教育を受ける権利)、13条(個人の尊重と公共の福祉)に違反するとしている。
都教委は人権侵害教育を今も強行しているのだ。
五輪の商業主義化による利益に浴している日本のマスコミ大半の「根腐れ」も深刻だ。OCの仮訳である「国・地域」を、本来の「カントリー」と言い換える報道の改定を、この機会に求めたい。
『週刊金曜日 1199号』(2018年9月7日)






