2019/8/3

第9回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料から(14)大阪E  X日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 第9回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料
志水(辻谷)博子

 私たち大阪「君が代」不起立戒告処分取り消し共同訴訟上告人一同は、さる7月10日、大阪で報告集会を開催しました。
 「君が代」条例から8年経った今、あちらこちらから「大阪の学校、どうなってんのん?!」という声が聞こえてきます。そのことを受け止め、第2部は「子どもも教師も型にはめ規格化していく学校の今」をテーマに、生徒・保護者・教員によるパネルディスカッションを行いました。会場からのご意見も含めたディスカッションを通して、会場満席の参加者は私たち主催者も含めて、今の学校の自由にものを言えない空気が充満している有様を改めて実感することになりました。
 下記は、パネラーであった大阪市立小学校教員Kさんが、集会後、改めて自分を見つめ直し、今の学校に必要なのはどのような視点であるかについて書かれた文章です。
 ぜひお読みくださいますようお願いします。そして、現在の学校・公教育に対し私たちに何ができるか考えていきたいと思います。


〜教師としての罪の意識から、
ちがいを認め合うことの大切さを思う今〜
大阪市立小学校教員K

 ◎ 教師としての罪の意識

 自分がなぜ人権教育(ちがいを認め合う力を子どもたちにつけること)を大切に思うのか、そして学級担任として教師を続けることにこんなにも苦しみを感じるのか、その想いの根底にあるものは何なのか、悩んだ末にたどり着いたのは、自分自身の教師としてのあやまちと教師としての罪の意識でした。
 「目の前の子どもたちを差別者にしているのは、子どもたちに差別の意識を植え付けているのは、ぼくなんじゃないか」
 これが、ぼくの言う教師としての罪の意識です。

 ◎ 教師になった経緯

 話はずいぶんと遡るのですが、ぼくははじめから教師を目指していたわけではありません。もともとは、「不登校やいじめで苦しんでいる子どもたちを救いたい」という想いから、スクールカウンセラーを目指していていました。
 しかし、紆余曲折ありまして、子どもたちの心の傷が浅いうちに苦しみから救った方が良いのではないかと考えるようになり、大学在学中に教師を目指すことになりました。
 「子どもたちを苦しみから救いたい」、そういう想いで、教師になったのですが・・・。

 ◎教師になりたての自分

 新任の頃、まだまだ若手と呼ばれていた頃の自分は、ひたすら真面目に、これまで自分が過ごして来た小学校やその時に指導してくださった先生方のことをイメージし、少しでも良い先生になろうとがんばっていました。
 この時の自分の想いは、勉強が苦手な子どもにもわかりやすく授業しようということはもちろんですが、学力を少しでも向上させようとか、学校や学級のルールをしっかりと守れる子にしよう、友だちの輪に入ることが苦手な子も少しでも「みんなと」・「みんなで」一緒に活動できるようにしようといった想いで働いていました。
 しかし、今思えば、その中には肝心なものが抜けていて、ただただ「みんなで同じことをみんなで一緒に」といった同調性や均質性を子どもたちに求めるような教育に陥っていたように思えます。
 後に、この時の自分の目指していた先生像や、自分の信じていた学校での当たり前が間違ったものであったことに気付くのですが、この頃は当時の自分の想いを疑ったり考え直したりすることもなく、ひたすらにがんばっていました。
 初任校で出逢った先生の言葉と、二校目で出逢った子どもの言葉、その2つの点が繋がったときに、「みんなで同じことをみんなで一緒に」といった同調性や均質性を子どもたちに求めることに違和感を感じ始めるのですが、それはしばらく働いてからの事でした。

 ◎ 1つ目の点、一風変わった先生との出逢い

 初任校である先生と出逢いました。出逢いましたといっても、ぼくとは入れ替わりで、一緒に働いたことはありません。公務の引継ぎや歓送迎会で何度かお話をさせていただいただけです。今でも年賀状のやり取りはさせていただいていますが。
 その先生が話をしてくれたことの中で、今でも心に残っている言葉があがります。
「K君、休み時間にみんな遊びはしたらあかんで。休み時間はそれぞれが好きに過ごせる唯一の時間。みんながみんなその遊びに参加したいわけじゃないんやで。」
 当時のぼくは、自分が小学生の時に先生も混ざって休み時間にクラス全員で遊んでいた経験や周りの先生の助言や自分の読んだ書籍の話から、クラスみんなが仲良くなるために「みんな遊び」は大切な取り組みだと考えていました。
 そのため、「そうなんですか。」と話は聞いたものの、「変わったこと言う人もいるんやな。」ぐらいで、この言葉について深く考えることはありませんでした。
 けれどこの言葉とその言葉の意味は、どことなく頭の片隅には置いていました。

 ◎2つ目の点、みんな遊びへの参加を拒否する子ども

 そんなこんなで、初任校の4年間、そして二校目での3年目までは、休み時間の「みんな遊び」の実践をつづけていました。
 しかし、ここで2つ目の点、みんな遊びに参加することを頑なに拒否する子どもに出逢いました。
 その子の言い分はこうです。
「おれは、別にみんなで遊びたいわけちゃうねん。ドッジボールにだって投票せんかったし、別の事したいねん。なのに、なんでみんな遊びさせられなあかんねん。」
 それに対する遊び係や周りの子たちの反応は、こうでした。
「みんなで話し合って決めたんやから、参加せなあかんやろ。そんなん一人だけ参加せえへんとかあかんで。」
 係りの子たちを中心にクラスの真面目な子たちと、頑なに拒否する子どもとの意見が真っ向から対立したんです。
 「みんな遊び」をこれまで行ってきて、初めて見る光景でした。

 ◎点と点がつながった瞬間 1つ目のターニングポイント

 少し様子を見ていましたが、みんな遊びを頑なに拒否する子、それに対する周りの子、そのやり取りは平行線で一向に交わる様子も見せませんでした。
 この時に、新任の時に出逢ったあの先生のあの言葉を思い出しました。
 「K君、休み時間にみんな遊びはしたらあかんで。休み時間はそれぞれが好きに過ごせる唯一の時間。みんながみんなその遊びに参加したいわけじゃないんやで。」
 この言葉と目の前の光景が繋がった時、ぼくはものすごくショックを受けました。何がショックだったのかというと、その子の苦しむ姿ももちろんショックではありましたが、「子どもを苦しみから救いたい」と思っていた自分が、自分が善しと思って行っていた取り組みで、1人の子どもを苦しめていたということにショックを受けました。
 そして、この数年間、声には出さずにいたけど、陰で同じように苦しむ子もいたんじゃないかということも考えました。
 目の前で言い争う子どもたちを止めて、まずはぼくが子どもたちに謝りました。
「ごめん。みんなで仲良くなるためにみんな遊びをしてたけど、嫌な想いをしながら参加してた子もいたんやね。これからはみんなで楽しいじゃなくて、みんなが楽しいクラスにしよう。だから、みんな遊びも希望制にしようと思うけど、それでどうかな。」
 謝って、自分の想いを伝え、みんな遊び係りを続けたいという子どもたちの想いも考えながら代案を提案しました。その代案には、頑なに拒否した子どもも、周りの子も納得してくれたので、その日からぼくの学級では、「みんなで楽しいではなく、みんなが楽しいクラス」というのを約束に、全員が強制的に参加させられるみんな遊びはなくなりました。
 みんな遊びのことに関しては、協調性や協力する心を養うためにも、みんな遊びは大切ではないかというお声をいただくこともしばしばあります。
 けれど、共通の目的や想いに向かって自発的に行動を共にすることが健全な協調や協力であり、多数派(単純に数の力ではなく)の力に従わせられて行動を共にさせられるのは協調や協力ではなく強制である。というのが、今のぼくの考えです。

 ◎ 人権教育を学んだ二校目

 初任校は、学力の向上や集団生活における規律などを大切に取り組んでいた学校でした。それとは違って、二校目では人権教育に重きをおいて、学力は向上というよりも保障するといった視点で、集団生活においては一律にというよりは様々な子どもがいることを配慮してということを大切に取り組む学校でした。
 二校目では、部落・在日韓国朝鮮・障がい児(者)・日の丸君が代・自尊感情など、それぞれにまつわる偏見や差別の問題または課題を知り、学ぶことができました。先述したみんな遊びを拒否した子どもとの出逢いもこの学校で、その子にも身を持って教えてもらいました。
 しかし、人権教育の大切さは理解しつつも、学べば学ぶほど考えれば考えるほどに、自分の中に芽生えた違和感は日に日に大きくなっていきました。

◎ 初めての特別支援担当

 二校目の学校で4年目になる頃、初めて特別支援の担当をすることになりました。難聴と知的障害(精神遅延)の重複した障害のある子でした。
 二校目は完全な現学級保障の学校でした。そのためぼくが担当した子どもも、常に教室の中で過ごしていました。学習内容によっては同じ課題のものに取り組むことが難しいので、時にその子にあった課題に取り組むようにしていました。
 この時のぼくは「決められた課題はさせないといけない。がんばらせないといけない。」という考えでいたので、時にはきつい口調で、時にはその子の弱みにつけ込むような形で、半ば強引に課題をさせていました。
 今にして思えば、本当にその課題がその子に必要なものだったのか、もっとその子のタイミングや気持ちを優先するべきではなかったのか。できないことを叱られすぎて自尊感情を傷つけてしまったのではないかと、深く反省しています。
 課題をこなすことやあきらめずにがんばることも大切ですが、1人1人その子のペースやその子にあった取り組みの仕方はちがいます。
 支援学級に在籍しているしていないではなく、障害のあるなしでもなく、その子自身のペースを認めつつ、その子にあった取り組みの仕方で学ばせてあげられたらなと、今では強く思います。

 ◎ 多動の子、不登校の子、難聴の子、場面緘黙の子との出逢い

 1年間の特別支援担当を終えた後、また学級担任という立場で子どもたちと接する日々がやってきました。
 その日々の中で、授業中に席に座っていることができない子、なかなか学校に来る子ができない子、補聴器を付けて生活をする難聴の子、家以外ではいっさい言葉を発することがない場面緘黙の子。
 そんな子たちとの出逢いや、たくさんの子どもたちやお家の方々との出逢いの中で、様々な事を気付かせてもらいました。
 座れている子を褒めて、座っていることが難しいその子を注意すれば、周りの子どもたちも同じようにその子を注意する。
 子どもたちは先生の言動をモデリングして、「座っていられることが善で、座っていられないことが悪」みたいな価値観を身につけていっているのではないか、自分の言動が子どもたちの価値観や常識の形成に多大な影響を与えているのではないかということを、この時に考えさせられました。
 不登校の子、その子は自分の気持ちを言葉にする事が苦手で、休みがちであったということもあって、学校ではなかなか友だちを作ることができずにいた。きっと学校が楽しくないと感じていたのだと思う。
 けれど、とにかく「学校に通うことが、正しい」と信じて、その子のことを考えたつもりになって、お家の方に向かって「親として、がんばって子どもを学校に通わせてください。」などというようなことを言ってしまっていた。
 もちろん、その子の担任として、その子のことを考え行動することは間違ってはいなかったと思います。ただ、「学校に通うことが、正しい」という考えが間違っていたのだと今では思います。
 「学校に通う」ことはあくまで手段であり、「学ぶ」ことが目的です。その子にとって大切なのは、どんな手段でどう学ぶかということではないでしょうか。その子がたまたま通うことになったその地域の公立の学校だけが学びの場ではない。みんながみんな地域にある公立の学校に合うわけではないと、今では確信を持って言えます。
 学校法人に指定されている公立や私立の学校だけが学びの場で、そういう学校に通うのが当たり前であるという教育制度や世間の常識が変われば、学校に通うことができなかったその子もその子の親も、そしてその子と同じ心境にある人たちも息苦しさを感じずに自分にあった学びの場を選択できるのではないでしょうか。
 NPO法人として運営されるオルタナティブスクールと呼ばれる学校や、フリースクールやインターナショナルスクール、個人塾や不登校支援のための家庭教師、ぼくの知る限りでも学校法人でなくても素敵な学びの場はたくさんあります。
難聴の子には、今で言うユニバーサルデザインや合理的配慮の大切さを教えてもらいました。
 ぼくはその子と出逢うまで、計算ドリルのやプリントの丸付けなど、口頭で答えを言っていました。でも、難聴のその子には難しい話だったんですよね。聞き取ることができないぼくや学習係の声を、隣の子の丸付けを見ることでなんとか乗り切ったり、時には間違ってる答えをそのまま丸にしたりしていることもありました。
 幸いにもその子の困り感に気付けたぼくは、その後の丸付けは口頭で答えを言いながら、必ず黒板にも答えを書くようにしました。
 この事は、難聴のその子にだけでなく、集中力を維持することが難しい子、人よりも作業が遅れてしまう子への手立てともなりました。
 場面緘黙の子との出逢いも、ぼくの当たり前を大きく崩してくれる気づきをくれました。
 二校目では、「みんなが元気よく進んであいさつができるように」というねらいで、児童会の子を中心にあいさつ習慣を行っていました。ぼく自身もあいさつを交わすことは気持ちの良いことだと思える人間なので、例に漏れず、あいさつをすることは大切だと思い、子どもたちにもそう伝えていました。
 二校目の学校では、あいさつ習慣の時に、振り返りのために自己チェックシートをつけていました。進んであいさつができたは◎、あいさつできたは〇、あいさつできなかったは△とった具合に、終わりの会でその日のあいさついて振り返り、あいさつできる子になるようにと啓発するものでした。
 多くの子が、「◎何個やった。」など自慢げに嬉しそうに話す中、場面緘黙のその子のチェックシートは全て△でした。しかも、毎日、毎日、自分で自分に△をつけているわけなのです。
 いったいどんな気持ちで△をつけて、どんな気持ちで周りの子たちの話やあいさつができることを褒められているのを聞いていたんだろう。
 自分が当たり前に思っていることでも、そうじゃない人もいるんだ。その事に気付き、職員会議でチェックシートの廃止を提案しましたが、「配慮します。」の一言で、「でも、あいさつできるようになることは大切だから」という理由で、結局チェックシートは変わることはありませんでした。
 人権教育を大切にしているはずの学校でも、こんなものなのか。もしくは、自分の考え方がおかしいのか。学校や世間の当たり前や常識といったものの中で苦しむ子たちがいるのに、置き去りにされている。本当にそれで良いのか。
 それと共に、教師としてこの当たり前や常識を目の前の子どもたちの価値観に植え付けているんじゃないか。
 そんなことを考え、思い悩む日々が続きました。

 ◎ LGBTという言葉との出逢いから罪の意識へと
   2つ目のターニングポイント


 LGBTという言葉と出逢ったのは、二校目での8年目の頃だったと思います。ぼくの苦悩真っただ中の時でした。
 二校目において、さまざまなテーマで人権についての勉強をしてきましたが、性的マイノリティの人たちの存在を知った時、初めて自発的に学びたいと思いました。
 淀川区で公的なコミュニティの場があると知ったら足を運んだり、自分なりに多様性について考える授業を考えて当事者の方の意見もいただきながら実践したり、東京の大学での研修会にも参加したりしました。
 「なぜそこまで関心を持ったのか」と時々聞かれるのですが、自分にとって、性的マイノリティの人たちの苦悩は、親にすら相談できないといった点もあり、ひと際苦しいものではないかと思えたのと、その苦しみはまさに世間の常識や当たり前によって生み出されているものと思えたからです。
 それこそ、学校の中で植え付けられる同調性や均質性という価値観の被害者なのではないかと思いました。学校の中で自分が改善できそうなことはできる限り改善していこう、そして訴えていこうと思い、今も行動し続けています。
 さらに、ぼくは、LGBTという言葉と出逢えたことで、「ちがい」ということについて深く考えることができました。
 1人1人がちがっていることが当たり前であるのに、この「ちがい」を認められない認めてもらえないところから、差別や偏見や排除というものが生まれているものと考えています。
 そして、この「ちがい」を認め合えない環境を作り出しているのは、学校で当たり前とされている「みんなで同じことをみんなで一緒に」という同調性や均質性を求める価値観なのではないでしょうか。
 ということは、
「目の前の子どもたちを差別者にしているのは、子どもたちに差別の意識を植え付けているのは、ぼくなんじゃないか」
 うすうすは感じていたのですが、この時に確信に変わりました。そして、同時に、これまでの子どもたちへの言動を思い返すと、申し訳なさと罪の意識がこみ上げてきました。

 ◎ 罪の意識から、今、自分ができること・すべきことへ

 自分が子どもたちを差別者にしてしまっていた、同時に差別される人間も生み出してその子たちを苦しめていたかという罪の意識から、ではどうやったらこの現状を打破することができるのかと考え始めました。
 まず考えたのは、「なぜ、人権教育を大切にしていた二校目ですら、そのような現状なのか。」ということでした。
 そして、教育制度や学校の在り方、その常識や当たり前について考えるようになりました。
 現状を打破するためには、今の学校において当たり前とされている「みんなで同じことを、みんなで一緒に」という同調性や均質性を身に着けるさせる教育を変えないといけない。「1人1人のちがいを認め合う」といったそれぞれの人権を大切にする力を子どもたちにつていけるような教育にしていかなくてはいけないのではないか。といったことが、自分の導き出した答えでした。
 子どもたちが互いのちがいを認め合える力を身に着けるためには、学校の中で子どもたちが自分自身のちがいを認められているという感覚を実感しないといけない。
 そのためには、教育制度、学校の在り方、教職員の意識や言動が「1人1人のちがいを認め合える」ものでなくてはいけない。そう変えていきたいし、そう変わってもらいたいというのが、今のぼくの想いです。
 余談ではありますが、今、文科省が求めている「主体性」、この力を子どもたちに付けていくためにも、「みんなで同じこと、みんんなで一緒に」という中で学ばされるばかりでなく、「1人1人のちがいを認め合う」中で自ら学んでいける環境を整えていく必要があると思っています。

 ◎ 最後に

 もちろん、人にはそれぞれの想いがあって、教育に対しての考え方や教師としてどう在りたいかという想いもちがっていて当然のことだと思っています。そして、自分の考え方が絶対的
に正しいものではないというふうに思っています。
 けれど、今の学校や世間の当たり前や常識の中で、多数派の陰で、不当な偏見や差別や排除にもがき苦しんでいる人や子どもたちがいるのは事実です。その人やその子たちを置き去りにし続けて良いのだろうか。
 子どもたちにとってどのような教育が良いのか、そのために学校や教師の在り方はどうあるべきか、今も自問自答を続けています。
 子どもたちが少数のものを異質と感じ差別したり排除したりしてしまう、そのような価値観を植え付ける教育を続けていて良いのだろうか。みなさんは、どう思われますか。
「一見楽しそうにしている目の前の子どもたちの中にも、自分の想いや生き方を声に出せず苦しんでいる子がいるかもしれない。」
 ぼくは、罪の意識に襲われてから、常にこの視点をもって子どもたちと接しています。新任の頃、「みんなで同じことを、みんなで一緒に」という事に疑問を持たずに頑張っていた頃に、この視点を持てていたらもっと早く変われていたかもしれません。
みなさんは、子どもたちと接するときにどういう視点を大切にしていますか?
 子どもたちの人権を大切にする学校や教育制度とはどういうものなのか、そんな学校にするためにはどのような点をどのように変えていかなくてはいけないのか、みんなで考えたいことや書きたいことはまだまだ尽きませんが、今回の話の趣旨とずれてしまうので、この辺りで終わりとさせていただきます。
 ずいぶんと話が長くなってしまって、申し訳ありませんでした。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 この資料について、ご意見やご感想があれば、ぜひ志水までお知らせください。
 当該のKさんにお伝えします。
 志水博子:Eメールアドレス zaza0924@yahoo.co.jo


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